プロローグ 幼少期の夢
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「好きです!私と結婚してください!」
寝耳に水、藪から棒、晴天の霹靂。
公爵家の令嬢として生まれた私、リリアナ・クラインベルクは、その日初めて、見知らぬ男の子から求婚された。
週に一度の教会での祈りを終え、馬車へ向かおうとしたその時だった。
護衛達を押しのけ、一人の少年が私の前へ飛び出してきた。
年齢は私と同じくらいだろうか。
服は薄汚れていて、貴族街では見かけないような平民の子供だった。
それなのに。
彼は真っ直ぐ私を見ていた。
まるで世界に私しかいないかのように。
手には雑草で作られた花束。
片膝をつき、震える手で差し出している。
あまりにも必死で。
あまりにも真剣で。
少しだけ、笑いそうになった。
もちろん馬鹿にしたわけではない。
ただ、こんな人が本当にいるのだと、少し驚いただけだった。
「お嬢様に近づくな!」
執事のヴァルが慌てて私と少年の間へ割って入る。
周囲の護衛達も剣を抜いた。
当然だろう。
平民の子供が公爵令嬢へ近付くこと自体が大問題。
ましてや護衛を突破している。
下手をすれば打ち首になってもおかしくない。
「あ、お待ちください!」
少年が手を伸ばした瞬間。
ヴァルがその腕を掴み、地面へ叩きつけた。
「ぐっ!」
「お嬢様!お早く馬車へ!」
周囲が騒然となる。
だけど私はその光景を見ていられなかった。
「ヴァル、待ちなさい」
「お嬢様!?」
「その子を放してあげなさい」
「ですが!」
「いいのです」
しばらく沈黙した後、ヴァルは不承不承ながら手を離した。
私は少年へ近付く。
そして手を差し出した。
「立てる?」
「……はい」
少年は驚いたような顔で私の手を取る。
思ったよりも固い手だった。
何かの仕事をしているのだろうか。
「痛い思いをさせてごめんなさい」
「い、いえ!」
「でも、もうこんな無茶は駄目よ。今回は運が良かっただけ。貴族によっては命を落としていたかもしれないのだから」
少年は黙って頷いた。
本当に反省しているらしい。
だから私は微笑んだ。
「それと、告白ありがとう」
「!」
「でも、ごめんなさい」
少年の肩が小さく震える。
「私はあなたの気持ちに応えられないわ」
それは当たり前のことだった。
私は公爵令嬢。
彼は平民。
そこにはどうしようもない壁がある。
「もっと自分を磨いて、私なんかより素敵な人を見つけてね」
本心だった。
この子なら、いつかきっと誰かを幸せにできる。
そう思ったから。
だけど。
少年は諦めなかった。
「どうしたら」
顔を上げる。
真剣な瞳。
「どうしたら、お嬢様に振り向いてもらえますか?」
思わず目を瞬かせた。
不思議な子。
本当に不思議だった。
普通なら身分差を気にする。
現実を知る。
諦める。
それなのに。
彼はどうすれば可能なのかを聞いてきた。
まるで諦めるという選択肢が存在しないかのように。
私は少しだけ羨ましく思った。
貴族の結婚は家のためにある。
領地のため。
家門のため。
利益のため。
好きだから結婚するなんて話は、おとぎ話の中だけだ。
けれど平民は違う。
自分の気持ちで人を好きになれる。
それが少しだけ眩しく見えた。
だからだろうか。
ほんの出来心だった。
「そうね」
私は考えるふりをした。
そして誰にも気付かれないくらい小さく微笑んだ。
「まずは、この街で一番強い人になってみなさい」
無理な話だった。
街一番の冒険者。
それは大人達の憧れであり、子供の夢だ。
目の前の少年がなれるはずがない。
だからちょうどよかった。
夢と現実を知るには。
「街一番……」
少年が呟く。
そして。
「なります」
即答した。
「え?」
思わず聞き返してしまう。
「俺、なります」
迷いはなかった。
まるで明日の天気を言うかのように。
「それができたら、また課題をあげるわ」
「はい」
「全部達成できたら、あなたとのことを考えてあげる」
「はい!」
「でも、いつ諦めても構わないのよ?」
「諦めません」
間髪入れず返ってくる。
私は少しだけ困ってしまった。
本当に変な子だ。
「……そう」
それ以上は言わず馬車へ向かう。
これで終わり。
そう思っていた。
だが。
馬車へ乗り込む直前。
なぜか私は振り返った。
少年はまだそこに立っていた。
雑草の花束を抱えたまま。
真っ直ぐこちらを見ている。
私と目が合った瞬間。
少年は大きく手を振った。
まるで約束でもするかのように。
私は苦笑して馬車へ乗り込んだ。
本当に変な子。
それが彼への最後の印象だった。
少なくとも、その時は。
◇
その夜。
私は寝室で本を読んでいた。
お気に入りの恋愛小説。
いつもなら時間を忘れて読みふけるのに。
今日はどうにも集中できない。
一ページ読んでは止まり。
一ページ読んでは止まる。
そして気付く。
脳裏に浮かぶのは本の登場人物ではなく。
昼間の少年の顔だった。
「どうしたら、お嬢様に振り向いていただけますか?」
思い出してしまう。
私は慌てて首を振った。
「変な子」
それだけ呟いて本を閉じる。
きっともう会うことはない。
街一番の冒険者になるなんて無理なのだから。
だから。
本当にそれだけだったのだ。
少しだけ印象に残った。
それだけ。
それだけのはずだった。
――三年後。
貴族学院の入学式の朝。
私はまだ知らなかった。
あの日の約束が。
私の人生を大きく変えることになると。
お読み頂き、ありがとうございます。




