ホームレスと春 その1
「タージマハル」の新歓から数週間ほど遡ります。2月の中旬のことでした。私の家に、同居人がやってきました。
一般的に、新しく同居人ができたと言ったら、同棲を始めたガールフレンドや、シェアハウスをするためにやってきた友人、もしくは、犬や猫、ハムスターといったペットなどが思い浮かばれるかもしれませんが、私の場合、同居人は小汚ないホームレスの男でした。
その男と、なぜ私は同居することになったのか。それを説明するためにはまず、私の一族について書かねばなりません。
私の一族について説明するにあたって、第一に断っておかねばならないことは、私は、人間ではない、ということです。
では、お前は何なのか、と問われれば、私は河童である、と答えるのが最も適しているでしょう。はい、私は河童以外の何物でもありません。いきなり河童と言われても何が何だかわからないでしょうが、ひとまず深くは考えないで、投げ出したくなる気持ちを堪えて読んでください。
私の一族、河童の起源についてお書きします。
私は河童として生まれました。父も河童でした。その父も河童でした。その父も、さらにその父も河童でした。このように書くと、私の一族は由緒正しく河童であるのかと思われますが、しかし、そうではありません。ある代を境に、河童から人間へと変化します。
そのまさに変化した代、私の一族が人間であった最後の代の男こそが、今私が河童として生きることになった唯一かつ、最大の原因なのです。
その男は勘太郎と言いました。勘太郎は百姓の生まれの一人子でした。勘太郎は8歳にして、村の同世代と上の子供を合わせた中で一番の働き者で、農作業の手伝いや家事、近隣の、自分より年の若い者の子守など、様々な仕事を進んで引き受けました。そのため、勘太郎は村の大人たちからとても人気がありました。勘太郎は勉学にも秀でていて、読み書きやそろばんなど、一度教えられたことは何でもすぐに理解しました。また、教えられていないことであっても、物の仕組みを独自の方法でよく理解し、実践することができる要領の良さを有していました。
勘太郎の、唯一といってもいい楽しみは、大人たちの使いで、村から少し離れている川へ水汲みに行く際、ついでに、着ていた服を脱ぎ、裸でその川を泳ぐことでした。持ち前の要領の良さから、勘太郎は誰からも教わることなく独自の方法で泳ぎ方を習得しました。勘太郎はその要領のよさゆえに、ほかの子供たちならば苦労するあらゆる問題をすんなりと解決してしまうため、日常において特段脳みそを使うことがほとんどなく、自分の生活に張り合いのなさを感じていましたが、川での遊泳だけは違いました。その川は水の流れが速く、川底が深く水の量も多いことで有名で、溺れたり、水に押されて流されたりしないためには、泳いでいる間は常に考え、手足の力加減を調整し正確に手足を動かす必要がありました。日々の単純な生活が退屈だった勘太郎にとって、この、多大な思考を要する、自然への挑戦が、唯一の生きがいでした。
ここまで書いてしまえばもうお分かりかもしれませんが、勘太郎は溺れて死にました。長く続いた雨の日のことでした。増水した川の中で勘太郎の足がこむら返りを起こし、あっけなく流されてしまったのです。
いつもの勘太郎なら、雨の日の川で泳ぐようなことはしませんでしたが、あまりに雨の日が長く続き、泳ぎたいという衝動を抑えるのが難しかったのと、雨足も弱まった頃で、川の状態が一時よりはだいぶ落ち着いたように見えたので、油断して軽い気持ちで川の中に入ってしまったのです。あるいは、いつもの流れの速さになれてしまった勘太郎は、さらに強い刺激を求めていたことも理由の一つかもしれません。
勘太郎は溺れるなか死を覚悟しました。皮肉にも、勘太郎は、その頭のよさゆえに、自分がもはや助からないことは承知していました。
自分が死ぬと分かっていても、それでも死はやはり恐ろしいもので、勘太郎は必死に流れに抵抗しました。しかし、結局はむなしく流されてしまいました。勘太郎は実際にその時に確実に死んだのですが、勘太郎の死ぬまいという強い信念か、村の人々の勘太郎に対する強い気持ちか、はたまた神様の気まぐれなのか、何が功を奏したのかはわかりませんが、勘太郎は生き返りました。勘太郎は下流に流され、そこで目を覚まし、何事もなかったかのように自分がもといた場所に戻って水を汲み、村へ戻っていきました。村の人々からは勘太郎が水を汲んで戻ってきたようにしか見えず、一度死んだことが分かりませんでした。彼自身、自分の身に起きた変化に気が付いておらず、気づかぬまま彼は人生を終えました。
勘太郎の人生においてに最も奇妙だったのは、あの日、暴れる川から訳も分からず生き残ったことを別にすれば、自分の死期が近づくと、自分に赤子が生まれたことでした。生まれた、というより、いきなり存在し始めたのです。勘太郎が死んだ年の1年前のことでした。それは存在し始めたというほかなく、気づいたときには隣で泣いていたのです。勘太郎はその時にようやく、あの川で、自分は生き残ったのではなく、何か別のものになったのだと自覚しました。そして隣で泣いている赤子が自分の息子であり、自分と同じ性質を持っていることを一目見て直感しました。赤子は勘太郎が死ぬまでの1年で急速に成長し、勘太郎が死ぬ間際には16歳くらいの見た目になり、知識もその年の人間と変わらないか、少し勝る程度身に着けていました。その赤子も、自身の死ぬ約1年前、勘太郎と同じように突然赤子を授かりました。
このことは村人たちを恐れさせるには十分すぎました。中には皆から疎まれていた勘太郎の子孫を気の毒に思って、情けをかける者もいましたが、多くは彼らの存在を無視するか、何とかして虐げようとしました。代が変わるにつれて虐げようとする者の割合はますます多くなり、とうとう勘太郎の子孫は村から追放されました。
そして、ある代から、彼らは、人々から逃れ続けた先に、ある台のような地形に掘られた、人が通れるくらいの人工的な穴を進んだ先に広がっている、石の壁に囲まれた小さな空間に住み始めました。当時そこはどの村からもある程度離れていて、彼らが暮らすには最適な場所でした。そこが誰かの墓であることはすぐにわかりましたが、彼らが誰からも迫害を受けず、安心して暮らすにはそこ以外ありませんでしたし、その墓はすでに盗掘にあっていて、棺や宝飾品さえもなかったため、そこで暮らしてもそれほど罰当たりでもないだろうと考えたのです。そうして、彼らはそこに住み続け、今の代までその住処を守ってきました。この土地は私の数代前から日本でも有数の大都会となってしまいましたが、我々一族を知っている者はもうこの世にいないだろうということと、先祖代々住んできたこの家を手放すのは心が痛むということで、今でもそこに住んでいるのでした。
つまり、何が言いたいのかというと、私は河童であり、そのため一般的な家に住んでいるのではなく、今は古墳と呼ばれている、小さな山状の地形の中にある穴の中に生活している、ということです。そのため、誰か知らない人が突然やってきても、一般的な家と比べたらそれほど不思議ではないというわけなのです。
その男は、三寒四温と呼ばれる天気が繰り返していたころの、ちょうど3回目の寒の日に私の家にやってきました。
「おや、先住民がいたか。ここに住もうと思ってたんだけどなあ」
その男は私を見るなりそう言いました。先住民とは私のことです。
男は邪魔して悪かった、という恰好で外へ出ていこうとしましたが、何しろ、私は先祖の教訓から外へほとんど出て行かず、たまに食料を調達しに行くくらいで、それもほとんど人とは出会わず、出会ったとしても、人間に対して非常に興味があったにもかかわらず、河童であることがばれてしまうのを恐れて、なるべく無用な関わりを持つことをしないようにしていましたので、私の内から漏れ出る好奇心を燻ぶらせていたところだったので、この男の滞在を許すのは必然のことでした。私は彼を引き留めて、まだ空間に余裕があるから、ここに住んでも構わない、と言いました。ホームレスならば、私の正体を知られたところで問題はないし、私の興味心を満足させるにはよい相手だろうと思いました。
「おや、本当かい。それはありがとう」
彼はそういうと、唯一の荷物であったリュックサックを下に置き、自身も胡坐をかいて座り、リュックサックの中から、4本の棒と折りたたまれた板を取り出し、簡易的な机を組み立てました。次にリュックサックから薄いマットのようなものを取り出し、机の下に敷きました。リュックサックの中にはそれらしか入っていなかったらしく、彼は空になったリュクサックを壁のほうへ投げました。そしてマットの上に座りなおしました。私は彼の行動がとても素早いことや彼が実用的なものを何一つ持っていなかったことよりも、見た目のわりにリュックサックの容量が大きいことに感心しました。




