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神凪の鳥  作者: 紫焔
神聖国に蠢くモノ
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第百七話

 しんとした空気を切り裂くように、石畳の床を蹴り上げる靴音が響く。五人は回廊の奥にある、玉座目指して駆けていた。

 回廊の壁につけられた豪奢な燭台が、まるで誘うように手前から奥へと炎を灯していく。

 何らかの魔術が掛けられているのであろうその現象に不愉快そうにミリアは顔をしかめつつ、奥へと進む速度は緩まない。

「嫌な感じね」

「だな」

 ミリアの呟きに、カズヤは頷く。

 しかし、それ以上の言葉は続かない。

 奥から感じる強大な妖魔の気配に、本能が委縮しているのだ。

 ミリアから与えられている加護があっても、それでも本能を刺激される程の畏怖をまき散らすヴァンパイアロード。

 魔神に近いとも言われる実力者であることは、間違いないのだと志希は再認識する。

 だがふと、志希の脳裏にヴァンパイアロード程の強者が“花嫁”をなぜ求めたのだろうかという疑問が浮かぶ。

 今まで気が付かなかったが、それは異常な事なのだ。

 ヴァンパイアが伴侶を迎えるという行為には、一族を増やす事よりも重要な意味がある。

 それは、伴侶が持つ異能や強力な加護をヴァンパイアが取り込み己の力とすることができるという事だ。

 特に聖人や聖女の持つ加護の力はヴァンパイア達にとって天敵なのだが、取り込む事によって法術への耐性も獲得できる。

 場合によっては、法術すら操る事が出来るようになるのだ。

 だがそもそも、不死族の頂点立つヴァンパイアロードには最初から法術への耐性などを獲得しているはずだ。

 さらなる力を求め、真の魔神として立つ為の最初の一歩として天敵中の天敵であるエルシルの聖女を欲したのだろうか。

 だがそれにしては、あまりにもやっている事の規模が大きすぎる。

 そのことが酷く解せないと眉を顰めていると、アリアが声を上げる。

「謁見の間が見えてきました」

 志希は分からない事を考えていても仕方ないと気持ちを切り替え、前方を見据える。

 回廊の先には燭台に照らされた炎を照り返す、重厚な黒い両開きの扉がある。

 装飾が施されているのが見て取れるが、それはところどころ削られている上に赤黒い肉片のようなもので汚されていた。

 その扉が持つ本来の意味を否定し、貶めているかのようなその所業にミリアは顔をしかめて呟く。

「エルシル様の聖印を削り取られているのね……そして、血肉を擦り付ける事によってこの扉の奥の聖なる儀式場を穢している」

「嫌な趣味ですね。このような事をしなくても、儀式場は使えるでしょうに」

 息を切らせながら言うアリアに志希は内心で同意しながら、謁見の間に近づくにつれて鼻につく臭いに一瞬喉が鳴りそうになる。

「酷い臭いだな」

 思わずと言ったように呟くカズヤの声に、イザークも小さく同意の言葉を零す。

 その間にも濃くなる臭いに気力が萎える上に目に涙が浮かんでくるが、志希は何とか自分を奮い立たせて足を前へと運ぶ。

 全員臭いに辟易しながらもなんとか扉の前について、気が付く。

 この酷い腐臭の出所は、血肉が塗りたくられた扉からではなく、その奥からしているという事に。

「……いやな予感がするわ」

 若干青ざめながら、ミリアは呟く。

 彼女の脳裏に広がっているのは、幼いあの日の記憶だ。

 玄関ホール一面に広がった血の海に、かつて仕えてくれていた者たちの体の一部分が浮いていた、おぞましく、そして痛ましい光景。

 あの時のように。否、あの時以上の景色が広がっていたら。そう考えたミリアは扉を開けようとした手を握ってしまう。

 今更のように襲う恐怖に、躊躇いが生じてしまったのだ。

 しかし、その手を覆うようにカズヤがそっと手を重ねる。

「大丈夫だ、とは安易に言えねぇ。逃げてぇなら、逃げてもいいと思うぜ」

 扉の向こうからの腐臭と、畏怖を抱いてしまう気配。

 恐ろしいとしか言いようのないその感覚に竦んでしまうのは、誰もが持つ生存本能だ。

 それを肯定し、逃げ道を示すカズヤの言葉に、しかしミリアは頭を振る。

「逃げないわ。ここで逃げれば、わたしは二度と前を向けなくなる。だから……」

 腐臭の中、己を落ち着かせるためにミリアは深呼吸をしてカズヤの手を握り、ゆっくりと仲間の顔を見る。

「情けないけれど、一人では無理だから……力を貸して。わたしが前に進めるように、この国を救えるように」

「もちろんです、姉さん!」

 アリアは腐臭と恐怖に青ざめながらも、笑顔で頷く。

 イザークはいつもと変わらない表情で、小さく首肯する。

 志希もまた、笑顔を浮かべてミリアに応える。

「ミリアに助けてもらった分、恩返ししないと」

 彼女の言葉に、カズヤは笑みを浮かべる。

「オレが一番役に立たなそうだけどよ、全員で生きて帰れるように頑張るぜ」

 彼の声音は若干の自虐を含みながらも、どこか明るい。

 ミリアはそんなカズヤに、心からの笑顔を浮かべる。

「カズヤがいてくれなければ、わたしは此処まで来れなかったわ。そして、今一番信頼しているのも貴方よ。自信をもって、一緒に行きましょう」

 カズヤはミリアの笑顔と言葉に、若干頬を染めながら笑む。

「ああ、ありがとうよ」

 ミリアの手を握り返し、カズヤは礼を言う。

 自己評価が若干低いカズヤではあるが、ミリアに認められていると言うような事を聞かされれば嬉しいのだろう。

 だが、すぐに表情を引き締めカズヤは扉を見る。

「開けるぜ」

「いいえ、開けるならわたしがやるわ。……わたしが、やらなくてはいけないから」

 謁見の間につながる扉に、罠など仕込まないだろう。

 ヴァンパイアロードにとって、人間の冒険者など塵芥に等しい。

 何よりわざわざミリアを招待しているのだから、罠を仕掛ける必要などない。

 顎を引くように頷き、カズヤは握っていたミリアの手を離す。

 彼女は一瞬だけ寂しげな表情を浮かべたが、一つ深呼吸をして触れるのを躊躇った扉に手を伸ばす。

 指先が扉の表面に触れる寸前、音もなく内側へと両方の扉が開いていく。

 ゆっくりとミリアの目の前に広がるのは、朱殷に彩られた床。

 その中央には、まるで人を編んで作ったかのようなおぞましいオブジェがうすぼんやりと光り、天井までそびえ立っていた。

 オブジェのいたるところにある顔は、苦悶の表情を浮かべ怨嗟のうめきを上げている。

「……なんて、酷い」

 思わずと言ったようにこぼれた声は、アリアだ。

 ミリアは青ざめ、人で作られたオブジェを凝視している。その後ろから志希は室内を見てしまい、小さく喉を鳴らして思わず口を押さえる。

 アンデッド化された人達の怨嗟と悲嘆、そしてそれを愉しみ美酒として味わっているであろうヴァンパイアロードの精神に吐き気を催したのだ。

「ミリア」

 カズヤが静かに、ミリアに声をかける。

 オブジェを凝視していた彼女はびくりと肩を震わせ、大きく深呼吸をする。

 腐臭を放つ人のオブジェから目を離さず、しかし肩の力を抜いたミリアは口を開く。

「趣味の悪い事に、このオブジェは王族の方々だわ。陛下に王妃、それに殿下達とそのお妃。見慣れない幼子は、おそらく殿下と妃殿下たちのお子様でしょうね」

 努めて冷静に、怒りで声を震わせないようにしていたミリアはふと言葉を切る。

 背に負っていた大鎌を利き手に持ち、一瞬だけ左右に視線を走らせる。

 隣に立っているカズヤもまた、剣の柄に手を掛けながら周囲を警戒しつつ問いかける。

「どうした?」

「少し、気になる事があるの」

 ミリアはそう答え、手で中に入る意思を告げる。

「入るしかないから、ミリアのタイミングでいいよ」

 志希はそう言って、手に持っている根をぎゅっと握る。

 隣に立つイザークもまた、大剣を抜き放ちオブジェの光が届かない範囲を見ている。

 イザークもまた、アルフと同じように暗視を持っている。

 志希は視界を精霊の物へと切り替え、精霊たちに頷きかける。

 精霊たちは志希の思考を読み、彼女の望み通りに全員の側についている。不意打ちでも、何とかなるはずだと志希は気を落ちつけようと試みる。

 ミリアは小さくエルシルに加護を祈り、全員にかけている守りを強くする。

 アリアは杖を握り、無言で魔術を構築する。

 床に広がる朱殷の色は乾いておらず、まだぬらぬらと仄かな光を反射しているのだ。下手に足を踏み入れれば足を滑らせ、転んでしまいかねない。それを防ぐために、全員の体を床から浮かせる魔術を行使する。

「これで、足を滑らせて転ぶ事はないと思います」

「アリア、凄い」

 ただ浮かせただけだとバランスが崩れて転んでしまいかねないこの魔術。しかし、アリアはアレンジをして、しっかりと地に足を付けているような安定感がある。

 志希はそんなアレンジを即興でできるアリアに思わず感嘆の声を上げ、彼女はその言葉に少しだけ胸を張る。

 ミリアは後ろから聞こえる志希の言葉と、横目に見えるアリアの表情に小さく笑みをこぼし、一つ頷く。

「行くわ」


 ―――― この国を救うために。


 声に出してはいないけれど、ミリアの決意の言葉が聞こえた。


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