第一部 第一話:室町の落日
第一部 第一話:室町の落日
(歴史小説風)
永禄八年五月。
京の都は、血と煙に包まれていた。
室町幕府第十三代将軍・足利義輝は、二条御所の一室にて、敵の波を迎え撃っていた。畳に突き刺した数本の太刀を次々と抜き替え、襲いかかる刺客どもを斬り伏せる様はまさに「剣豪将軍」の名に恥じぬ最後の咆哮であった。
だが――孤立無援の城に、最後の援軍は現れなかった。
斬っても斬っても現れる刺客、割られた障子の向こうから放たれる火矢。
ついに義輝は、幾本もの刃をその身体に受け、無念のうちに倒れた。
彼の死は、幕府の崩壊を意味していた。
その夜――
奈良の山道を、一騎の駕籠が急ぎ駆けていた。
駕籠に乗るのは、足利義輝の弟・義昭。年若き僧侶であり、一乗院門跡の名を持ちながら、今はただの亡命者に過ぎなかった。
「兄上……」
駕籠の中で、義昭は震える指を組み、眼を閉じる。
炎に焼かれる二条御所の幻影が脳裏を離れない。
「なぜ、このような……」
僧侶としての生を歩んできた義昭にとって、戦乱とは遠い世界のはずだった。
だが、兄の死によって、その血脈は再び時代の中心へと引き戻されたのだ。
駕籠の外、護衛の騎馬に乗る男が口を開いた。
「ご安心あれ、義昭様。朽木の地までは、我らが守り抜きまする。」
声の主は、旧幕臣にして忠義の士・細川藤孝。その冷静な眼差しは、時代の変化を見据えていた。
もう一人、馬上で拳を握りしめるのは和田惟政。
怒りと焦りを露わにして、駆ける駿馬を叱咤する。
「三好の連中め、主君を討ち、都を我がものとするとは……!
許される道理ではござらぬ!」
「今は戦う時にあらず」と藤孝は低く答えた。「義昭様を安全にお連れすること。それが何より肝要。」
夜霧に包まれた山道。
そこに一筋の風が吹いた。山中に咲く名もなき花が、その風に揺れる。
義昭は駕籠の簾を少し上げ、夜空を仰いだ。
満月が雲間から顔を出していた。
「もし、我に将軍の血が流れているというのなら……」
彼は呟いた。
「――この乱世、終わらせてみせよう。義によって、正しき世を。」
その言葉に、誰が真実味を見出しただろう。
その青年が後に「最後の室町将軍」として、そして「反信長の旗印」として立ち上がることを、いまはまだ誰も知らない。
一方――尾張・清洲城。
「足利義輝、討たれたか」
織田信長は、城の天守より月を仰いだ。
髷も結わぬ乱れ髪、薄く笑ったその顔に、何かを企む者の光が宿る。
「残るは弟か……義昭とかいったな。ふむ、面白い。
使える駒なら使うまでよ。使えぬなら、捨てればよい。」
その笑みの裏にあるもの、それはやがて全てを巻き込む火種であった。
かくして、義の男と覇の男――
足利義昭と織田信長の、交わるはずのなかった運命が、歴史という名の炎に包まれてゆく。
――室町は、落ちた。
だが、まだ終わってはいなかった。
(第一話・終)