やっぱり怒られましたわ。
その後、私室に居るようお伝えしたワイルズを訪ねると、大人しく言ったことに従ってくれていたようだった。
「ワイルズ殿下」
「……ああ」
ぼんやりした印象は薄れ、代わりにどこか、記憶を失う前よりも大人びた印象を感じさせるワイルズに、ディオーラは少しだけ違和感を覚える。
「少し、お付き合いいただけますか? 見せたいものがございますの」
「それは、俺が……記憶を取り戻すのに、何か関係のありそうなことか?」
「ええ」
―――聡いですわね。それに、『俺』。
ワイルズの普段の一人称は『私』である。
記憶を失って、作法などを忘れているのだろうか。
それに普段のワイルズであれば、今のようなやり取りでディオーラの真意を悟ることはない筈だ。
何故だろう、と理由を考えるが、思いつかなかった。
が、別に抵抗しないのであれば今のところ問題はないので、置いておく。
ディオーラはワイルズを連れて、王宮の一角にある荷下ろし場に赴いた。
「ウォルフ殿下」
ディオーラが目的の人物に声を掛けると、またワイルズが妙な反応をした。
まるで自分が呼びかけられたように、パッとこちらを見たのだ。
が、彼が口を開く前に、ウォルフ殿下が満面の笑みで頼んだものを差し出して来る。
「頼まれたものを持ってきましたよ!」
「ええ、助かりますわ」
祝賀祭の前日である為、アトランテ王国は様々な人や物が集まっている時期。
【月魅草】も手に入りやすくなっているので、ワイルズの代わりに伝令を務めてくれているウォルフ殿下に、ちょっとお使いを頼ませて貰ったのである。
頼まれたものを受け取ったその足で、今度はベルベリーチェ上妃殿下の元にまた戻る。
道中で、ワイルズ殿下がポツリと問いかけてきた。
「あの者の名は、ウォルフというのか?」
「ええ。ワイルズ殿下の弟君である、ウォルウォルフ・アトランテ殿下ですわ。何か?」
「……いや」
歯切れの悪い返答を受けて、ベルベリーチェ上妃陛下のところに着くと、既に準備は終わっていた。
衣を掛ける棒に、天幕を巻いたものがある。
その下に、二つの台座があって、その一つに、枯草が花瓶に差されて置いてあった。
もう一つ、空の花瓶に、今受け取ったばかりの【月魅草】を活ける。
「では、始めようかの」
やり方は軽く習ったものの、又聞きのディオーラよりも、幾度か【幻想花】による記憶喪失を癒したことがあるという上妃陛下に頼んだ方が確実だから、お手間を取っていただいたのだ。
ちなみに最初に癒したのは、バロバロッサ上王陛下らしい。
「【幻想花】と【月魅草】の台座に背を向け、そこに座し、目を閉じよ」
「……ええ」
素直にワイルズ殿下が従うと、上妃陛下は天幕を下ろして【幻想花】と【月魅草】の姿を隠し、ワイルズ殿下と向かい合う。
そして、治癒魔法を行使した。
上妃陛下の膨大な魔力が部屋の中に満ち溢れると、やがて、天幕の内側から奇妙な波動が感じられるようになっていく。
―――【幻想花】が、咲いたのでしょうか。
上妃陛下が治癒魔法によって癒したのは、枯れた【幻想花】である。
その一輪が殿下の記憶を失わせたものかどうかは不明だけれど、一度試す意味でもやってみる価値がある、と判断したのだ。
本当に心汚れた者が側にいると咲きもしないらしい【幻想花】は、聖なる魔力を持つ存在には寛容らしく、見さえしなければ花開くらしい。
どうやらディオーラ自身も、それなりに清らかと認められているようで、少しだけホッとした。
意識を朦朧とさせてくる妙な波動は、すぐに横にある【月魅草】からも放たれた別の波動と融和し、逆に意識をはっきりとさせるようなものに変わる。
すると目を閉じていたワイルズが、微かに眉根を寄せた後に、ゆっくりと瞼を開いた。
「……あれ?」
目を開いた時に、上妃陛下とディオーラがいたことに驚いたのだろう、パチパチと何度か瞬きをする。
「な、何で上妃陛下が飛竜舎に!?」
「ここ、飛竜舎ではありませんわよ」
ディオーラが告げると、キョロキョロと周りを見たワイルズは、いつも通りに戻っている。
「本当だ!? な、何故!?」
「愚かですわねぇ、殿下」
「愚かって言うな! 何も愚かなことなどしていないぞ!」
「あら、そうですの?」
ディオーラは扇を開いて、スゥ、と目を細めてみせる。
「では、誰にも言わず、勝手に一人で、【飛竜草】を採りに行ったのは、愚かではない、と?」
すると、ワイルズは頬を引き攣らせる。
「バ、バンちゃんの具合が悪かったのだ! 仕方がないだろう!」
いつものように反射的に、そう言い訳を口にしたのは、見事に誘導に引っかかっている……ということにワイルズが気づく筈もなく。
当然その後、ベルベリーチェ上妃陛下の雷が落ちた。




