殿下が、すごくやる気になったようですわ。
後日。
「普通に手続きが面倒過ぎないか!?」
王宮の自分に与えられた執務室で、ワイルズは思わず下唇を突き出した。
今書いている書類は、魔獣狩りギルドへの依頼の手続きである。
目の前に、わざわざ出向いてくれたらしいギルド長とアガペロの姿があり、ディオーラもその場にいた。
申請と認可自体は、形式的なものである。
必要な書類にサインをしたら良いだけの話だ。
なのだが。
「口頭で内容を全部説明するのがルールって何だ!? 字は読めるぞ!?」
内容をいちいち話してくれるのを聞くのに飽きたワイルズが、ギルド長にそう問いかけると、彼は困ったように眉をハの字に曲げた。
「ええ、殿下については仰る通りなのですが、これは魔獣狩りとしての登録や契約に際して制定された取り決めでして。例外はないのです……」
「だから、それをわざわざ口で全部説明する意味が分からんと言っているのだが!?」
それに答えたのは、ディオーラだった。
「字を読めない者が多いから、でしょう? ギルド長」
彼女の言葉に、ワイルズはピタッと止まる。
―――あ。
そういえば、アガペロもギルドの木札は字が読めなくても大丈夫なように、作られたものだという話をしていたのを思い出す。
「口頭説明の規律も、実際に現場の声を聞いて、実情に沿った形で作られているのです」
ギルド長は、ディオーラの言葉に小刻みに何度も頷いた。
「そう、そうなのです、パング公爵令嬢。魔獣狩りは基本的に平民の出や、多くを養えない男爵家辺りの下位貴族が多いので。そして殿下、貴族の出であればまだ読み書き計算を出来る者が多いのですが、外に出された平民の次男坊三男坊となると……」
そもそもそうしたものを習う環境や必要とされる状況が少なく、そうなると説明が必要、ということらしい。
「軍や騎兵団に入れればまだどうにかなるのでしょうが、全員が全員入れる訳でもありませんし。魔獣狩りを志願する者らには、そういう規律のある生活を嫌う者も多くてですね……」
止むに止まれず家を出た者なら、まだ金目当てだけの気性がマシな者が多いらしい。
が、例えば婚姻を嫌った独立独歩の魔力も気も強い女性や、他に行き場のなくなった乱暴者など、魔獣狩りになろうとする者は実に様々なのだと。
「聞き流す者は仕方ないが、そういう無謀な者らにも、きちんと危険性や契約の重要さを伝える必要はある、というのが、上妃陛下の方針ですので……」
やっぱり大きい体の割に小心者らしい彼が、汗を掻きながら背中を丸めて一生懸命説明すのをどう思ったのか……アガペロがため息を吐いた。
「ギルド長、殿下はもう分かってるから、話を先に進めてやれ。余計に長くなるだろ」
「あ、そ、そうだな! 失礼しました、殿下」
「いや、すまん……」
なんか最近謝ってばっかりだな、と思いつつ、眠たくなりながら話を聞いて、ワイルズはどうにか理解した。
「魔獣狩りとして登録した後は、自分よりも上位として登録されている魔獣や魔物を狩りたいなら、そのランクより上の者とパーティーを組むか雇い入れて、同行して貰う。そういう話だな?」
「そうです。殿下は今一番したの五番目のランクで、アガペロは上から三番目のランクなので、四番目の依頼を受けることが出来ます。昇格条件は……同格か上位の魔獣を規定数討伐した後、ギルドでの模擬戦で一本取ることです、が……」
そこでギルド長は言い淀んでから、小さく呟く。
「……多分、最上ランクの者でも、殿下には勝てないので……」
「む? そうなのか!?」
「ええ、一応、魔獣狩りギルドとしては非公式ですが、殿下はアトランテ王国内で魔人王を単独討伐しておられますので……普通は無理です……」
流石にもう、ワイルズは『弱すぎるのでは』とは言わない。
自分たち王族の方がちょっとおかしいのだ、という程度のことは理解出来ていたからだ。
「なので、ええ。一応最上ランクの私が本気でお相手しますが、昇格に関しては問題ないかと。問題は、期間内にどれだけの魔獣を狩れるかですね……」
「期間とは?」
「殿下、それについてはわたくしの方からお話し致しますわ」
と、ニッコリ笑ったディオーラが、指を三本立てる。
「期間は三ヶ月。それまでに、殿下が納得できる程度のランクに上がり、諸々の問題をクリアして下さいませ。この納得、というのは、『殿下が展示する予定の魔獣』を生け捕りに出来るランクですわ」
魔獣は退治するより生かして捕獲する方が、当然ながら難しい。
先ほど説明を受けた中では、生け取りに出来るのは基本的に一つか二つランクが下の魔物だという話だった。
「何故三ヶ月なのだ!? 流石に短過ぎないか!?」
「展示するにも準備が必要ですもの。待てるのがそれくらいですのよ。事務系作業であればある程度手伝えますけれど、わたくしも暇ではございませんし」
と、ディオーラはペラッと一枚の用紙をワイルズの前にあるテーブルに置いた。
「一つ朗報がありますわ。魔獣の飼料代に関しては、ある程度抑えることが可能かもしれません」
「何だこれは? ……【エリュシータ草】?」
「はい。以前の【災厄】に際して、中央大陸のバルザム帝国が栽培に成功した薬草ですわね。ヒーリングドラゴンと呼ばれる魔獣の群生地に、稀に生えると言われていた薬草なのですけれど」
「知っているが」
グリフォンの時に相互輸出の候補に上がっていたので、勉強したのだ。
【生命の雫】や【復活の雫】と呼ばれる特殊な薬の原料である。
「が、【エリュシータ草】は普通の餌より明らかに高いぞ。それが何で安くなる?」
「この薬草は、魔獣にとっては高い栄養価を持つものらしいですわ。魔獣の巨大さを考慮に入れて【エリュシータ草】を飼料に混ぜた結果、一日に必要な食事の総量が格段に抑えられる、という研究結果が出ておりますの」
ディオーラが出した二枚目の紙には、月間必要な飼料に関するそれぞれの記録が記されており、総額にすると半分程になると分かった。
「だが、稀少なものであれば輸出量は? 前は、帝国側からはそんなに大量には出せないと聞いていたぞ?」
「魔獣の個体数にもよりますけれど、20体程度であれば通常交易の範囲内で抑えられますわね」
ディオーラは、何が楽しいのか微笑みを浮かべたまま片目を閉じる。
「また、自ら魔獣を捕らえればタダ、と考えていらっしゃるのでしたら、魔獣狩りとして、殿下が魔獣を運んだりする分も、私費をお使いになってよろしいのでは? ご自身の『趣味』として。その上で、わたくしが殿下の元に交渉に赴き全部タダでお借りしたいと提案しますわ。その提案を受け入れるかどうかを決めるのは、所有者である殿下ですわね?」
「お、おぉ……!?」
「予算で問題になっていることの内、魔獣を誘致する手間と輸送費に関しては殿下が、そして場所と飼料代に関してはわたくしが、問題を解決出来るでしょう。けれど、まだ一つ、管理の問題が残っております」
魔獣飼育の専門家。
これに関しては、【懐き薬】の問題と専門家の人数そのものの問題があるらしい。
「魔獣狩りを雇う、と言うのは?」
「無理だな」
と、答えたのはアガペロだった。
「魔獣狩りギルドに展示されていた魔物は、【懐き薬】が効いたり、上位者に従う性質を持つモノばっかりだ。魔獣は基本的に殺すか、捕えたとしてもギチギチに拘束魔術を掛けて動けないようにしてある。薬が効くかどうかも分からず、危な過ぎて檻の中に野放しは難しい」
「そうか……管理、管理か……封印結界はどうなんだ?」
上妃陛下や母上、アンナ叔母さん、ディオーラに頼んで封印結界を施して貰う、のはアリな気がしたのだが。
「アトランテ大島を覆う結界を維持するローテーションの中に、組み込めませんわね」
ディオーラはあっさりそう答えた。
「一応、祝賀祭の間に行う魔獣の管理は『継続的な生態研究利用』を名目として交渉する予定ですわ。その期間内のみであれば、わたくし含め全員協力するにやぶさかではないですけれど。その後の恒常的に魔獣を封じておく強度の封印結界は、定期的な点検が必要となりますし、必要魔力量も多いですから」
「ダメなのか……」
「公共事業なので、無理ということはないですけれど。今は四人いるので余裕がある、というだけの話ですもの。殿下?」
ワイルズがむむむ、と唸ると、ディオーラは少し申し訳なさそうにしながらも、その点について引く気はないようで。
「どうせやるのなら、王侯貴族の力がなく可能なら平民だけでも出来るようにする、という将来の利益を見据えて、事業は起こす方が良いのです。祝賀祭も国家事業である以上は、そうした点も考慮して然るべきですわ。それに……殿下の功績が一時的なもので終わっては勿体無いですし」
言われて、ワイルズはハッとした。
彼女の赤い瞳を見つめると、その目に映るのは。
―――期待、している? ディオーラが、私に……!?
何か、それは凄いことであるような気がした。
あのディオーラが。
自分に。
子どもをあやすような態度ではなく、期待を。
「ディオーラ……」
「とりあえずは、魔獣を狩ることに専念なさっても良いですし、祝賀祭に関しては、今後の維持管理に関する目算が立つのなら、一時的に陛下がたの協力を取り付けるように動きますわ」
「……分かった」
その為の手段は、今すぐには思い浮かばない。
思い浮かばないが……なんだか、今まで以上に物凄くやる気が出てくる気がした。
「頑張る」
ワイルズの返答に、ディオーラはやっぱりニコニコと頷いた。




