第八十七話 一つ眼の巨人
街道脇の村を襲わんとする巨人が視界に入った辺りから詠唱を始めていたサントリナが、自分達へ精霊術を掛ける。
「……疾き風よ我らが足に翼を!」
杖が光ると神人一行の身体も光り、一気にスピードが上がった。
「直ぐに終わらせますので、鈴音様方は少年と共にお待ち下さい!」
振り向いて叫ぶサントリナに手を振り、鈴音達は少年と一緒に木の陰へ身を隠す。
村の中から飛んで来る矢を鬱陶しそうに払っていた巨人は、雄叫びを上げ駆け寄って来る男達に気付き、標的をそちらへ変えた。
「取り敢えず村から気は逸らせたかな?」
視線を少年へと移した鈴音は、彼の呼吸が整うのを待って話し掛ける。
「私は鈴音、こっちは兄の虹男。あの人らとたまたま一緒になった旅人です。よろしく」
走り通しだった少年は、まだ少し荒い呼吸ながらも顔を上げて微笑んだ。
「僕はヨサークといいます」
「木を切る人ですか?」
「……?ううん、木こりじゃなくて百姓です。朝採れた野菜を街まで売りに行ってました」
「農家さんでしたかー。ほな、街からの帰りに巨人が村へ向かうのを見つけてしもたと」
若干残念そうな鈴音に不思議そうな顔をしつつ、少年ことヨサークは頷く。
「うん。村に一つ眼の巨人を追っ払えるような力は無いから、街の近くの警備隊を呼ばなきゃと思って引き返してたんだ、です。そしたら精霊術師が居たから。二人も居たらきっと強いと思って、思いました」
「敬語いらんし、フツーに喋ってよ?咄嗟に警備隊呼びに行くとか、素晴らしい判断やね。けど、あんなんが出るのに村の柵があれって……」
鈴音がちらりと見た柵は、立派な丸太が隙間無く並べられた頑丈そうな物だが、今それを背にしている巨人と比べると大変心許なく思えた。
「うん、そうなんだ……。前はこの辺りで一番怖いのは角イノシシだったからあれで良かったんだけど、この先の辺境の砦が無くなってからもっと強い怪物も出るようになっちゃって。ついにあんな恐ろしい奴まで」
「えぇー、砦が無くなるとか一大事やん。戦争?」
「戦争じゃなくて、怪物が大量に押し寄せて来て負けちゃったらしいんだ」
砦が落ちた理由を聞いた鈴音は首を傾げる。
「それやとこの村も無事では済まへん思うねんけど……」
「うん、大人達も不思議がってた。何でこっちまで来なかったんだろうって」
砦を落とせるだけの力を持ちながら、その先の村や街を無視するとは、随分とおかしな行動を取る怪物の集団も居たものだ。
何か裏がありそうだなとは思った鈴音だが、そんな事に首を突っ込むつもりは毛頭無い。
さっさと魚を獲って白猫の元へ帰るのだ。
「へぇー……まあ何にせよ、砦が元通りになるまでの対策は考えんと」
「うーん、そうなんだけど、辺境の砦跡へ続く森に恐ろしい化け物が出るようになったらしくて、元通りになるかどうか……。それにウチの村はあまりお金が無いから、一つ眼の巨人に対抗出来るような何かを作れるかって言われると……」
肩を落とすヨサークの姿に、もしや村を捨てるかどうかという話にまで発展する深刻な事態なのか、と鈴音の顔も曇る。
「ねーねー、鈴音。ねーってば」
そこへ割り込んで来た虹男の声で鈴音はハッと顔を上げた。
「え、なに?」
「増えてるよ?」
そう言いながら虹男が村の方を指差す。
「ええっ!?」
「何で?ちょっと目ぇ離した隙に何が起きたんよ」
虹男の指が示す先では、一つ眼の巨人が五体に増えている。
一体は倒されているから、後から三体やって来たという事だ。
「え?直ぐ終わらす言うてへんかった?」
「言ってた!だから安心してたのに……。三体同時に倒せないなら、何で追っ払うだけにしてくれないのかな?そしたらその間に砦の警備隊を呼びに行ったよ僕」
ヨサークの言葉を聞き、そこに巨人が増えた原因があるのかと鈴音は理解した。
「私ら遠い遠い島国の出身やから、あれ見るん初めてなんやけど、一遍に倒さな増えるもんなん?」
鈴音の質問にヨサークは大きく頷く。
「酷い怪我をしたり一体でも倒されたりしたら、仲間を呼ぶんだ。だから、仲間を呼ばれる前に纏めて倒すか、大勢で掛かっても勝てないぞって思わせるかしなきゃ大変な事になる。この大陸では僕より小さな子供でも知ってる話だよ」
「ほなあの人らも別の大陸か島から出て来たんやろか。それはともかく、やったらアカン事やってしもたと」
「うん、このままじゃどんどん増えて……って、そっちは村が!」
ヨサークの叫びと同時に爆発音が轟き、巨人の片足が吹っ飛んだのと同じ線上で村の柵の一部も大きく壊れていた。
杖を掲げているのはイキシアなので、彼女の攻撃が勢い余って柵をも破壊したのだろう。
それを見ていたヨサークの顔から血の気が引いていく。
「白い髪に白い光……まさかあの人達、街で噂になってた次代の神人一行……?」
「街で噂?」
聞き返す鈴音へヨサークは幾度も頷いた。
「あの人達が通った後には、雑草一本生えないとか、壊された街や村は数知れないとか、とにかく関わらない方がいいとか」
真っ青になったヨサークを見、村から上がる悲鳴を聞いて、鈴音は大きな溜息をつく。
「それ、あの人らに教えたった方がええね。その為にもまずあの一つ眼巨人、纏めてやっつけてくるわ」
「え!?出来るの!?武器もないのに……?」
鈴音も虹男も丸腰で、おまけに鈴音は眠そうな虎吉を抱えているのだ、到底戦えるようには見えないだろう。
驚くヨサークの純粋な目を見やり、鈴音は悪ガキのような笑みを浮かべた。
「任しといてー。姉さんこう見えて強いねんで?この兄さんも、本気出したらここに居る誰も勝たれへん強さやし」
強い男だと紹介された虹男がご機嫌な笑顔で胸を張る。
「ほな、ビリビリーっとやった後に虎ちゃんにシャーして貰お思うから、影響受けへんように虹男は村丸ごと守ってくれる?」
鈴音の提案に虹男は頷き、ヨサークを見た。
「いいよー。この子はどうするの?ここに居たら虎吉の威嚇で腰抜かすと思うけど」
あんな怪物を追い払う勢いの威嚇を子供が食らったら、腰を抜かすどころか下手をすればショックで身体から魂が抜けかねない。
「私が村ん中へ連れてくわ。それが一番安全やろ?」
「そだね、じゃあそれで」
骸骨にも視線で合図し、鈴音はヨサークの隣に立つ。
「左腕を私の肩に回してくれる?」
「え?これでいい?」
「そうそう。ほな今から村ん中へ行く為に跳び上がるけど、ビックリせんとってな?……まあ無理やろうけど一応は言うとかんとね」
「え?え?」
困惑するヨサークの腰を右腕でしっかり支え、鈴音は地面を蹴った。
「うぅぅぅわあぁぁぁあああーーー!?」
「うわ喧しッ!あれ、跳んどる」
絶叫するヨサークと、その声でうたた寝状態から覚醒したらしい虎吉。
両極端な反応に笑いながら、穴が空いた柵の向う側へと鈴音は降り立った。
まるで空から降って来たかのような二人を、弓を手にした村の男達が目を真ん丸にして見ている。
「はい到着。後は私と兄がやりますんで、弓はもう置いといて下さい」
呆然としているヨサークを近くの男に任せた鈴音が振り返ると、村の前に立つ巨人へ向けて光球と火球が放たれる直前だった。
「うわあ!!何考えてんだ!!」
村人の叫びに全面的に同意した鈴音の視界では、巨人が躱した火球を骸骨が大鎌で刈り取り、柵の上に立った虹男が巨人の体を貫通して来た光球を掴み握り潰している。
「おおぉ!?何だ!?」
「助かったみたいだぞ!」
「すげぇなあの兄ちゃん」
驚きを口にする村人達の声で我に返ったヨサークが、瞬きを繰り返しながら鈴音を見た。
「ホントに強いんだね鈴音さんのお兄さん」
「ふふふ。あの調子で防御は完璧やから。皆さんも安心して下さいね」
そう言ってヨサークと村人達には優しい笑みを見せた鈴音だが、振り返って巨人と神人一行へ視線をやった途端、その目に怒りが宿る。
巨人に邪魔され長い詠唱が出来ないせいか、先程鈴音達に向けて放ったような強力な攻撃は無い。
しかし無詠唱で出せる火球や光球でさえ、巨人にダメージを与え丸太の柵を破壊する威力だ。
そんな恐ろしい力を、周囲への配慮など全くせずに撃ちまくる女達と、止めもしない男達。
虹男と骸骨が居なければ、村には壊滅的な被害が出ているだろう。
鈴音は虎吉をそっと地面に降ろすと、大きく息を吸い一歩前へ出て叫んだ。
「ええぇかげんにぃ……せえええぇぇぇえええ!!」
怒声と共に五体の巨人へ一斉に特大の雷を落とす。
青い空から何の前触れもなく落ちる雷に打たれた全ての巨人が、なす術もなくその場に崩れ落ちた。
唖然とする神人一行を尻目に鈴音は虎吉を振り向いて、新たにこちらへ向かって来ている一つ眼の巨人達を指す。
「ここが誰の縄張りか……先生、お願いします」
「おう、そういう事か。任しとけ」
鷹揚に頷いた虎吉が、背を山なりにしながら伸びをして、鈴音の前へと出た。
「神人の御一行サマー、精神攻撃に対する防御があるならしといた方がええよー。効果あるかは知らんけど」
鈴音の忠告に怪訝な顔をしたサントリナだが、すぐさま『炎に宿る勇気よ我らが胸に』と短く唱え、仲間達の精神攻撃耐性を上げたようだ。
そんなやり取りの直後、村から100メートル程の距離まで近付いた巨人に向け、虎吉が唸る。
「おうおう、ゾロゾロゾロゾロと。群れな何もようせぇへんのか?おぉ?デカい図体して情けないやっちゃなあ。まあまあ、何にせよ……」
低い位置で尻尾を素早く振り、立てた耳を反らし毛を逆立て、瞳孔を全開にして鼻筋に皺を寄せた。
髭が、ブワリと開く。
「ここは今から俺の縄張りじゃーーー!!とっっっとと去ねーーーッ!!」
鋭い牙を剥き出しにした虎吉から、強大な神力が迸った。
小さな獣が出したとは到底信じられない力で、辺り一帯の空間を揺らす。
まともに食らった巨人達は恐慌状態に陥り、脚に力が入らないのか這うようにして来た道を戻る個体や、抱えた頭を振りながら倒けつ転びつ逃げ去る個体など、総員回れ右で森へ消えて行った。
後に残るのは、六体の一つ眼の巨人の死体と、腰を抜かし震えている神人一行だけである。
「ぃよッ!流石は虎吉先生ッ!」
「うはは、褒め言葉よりオヤツくれ」
「よっしゃ帰ったらあげよ。虹男も骸骨さんもありがとう」
鈴音の礼に、隣へ降りてきた虹男は『いいよー』と笑顔を見せ、骸骨は親指を立てて頷いている。
ヒョイと跳んで腕の中に戻って来た虎吉へ鈴音が頬擦りしていると、状況を理解したらしい村人達から歓声が上がった。
「すげー!!すげー!!」
「雷落ちたぞ!!」
「しかも一遍にたくさん!!」
「仲間の巨人達も何か逃げたし!!」
「すげー!!すげー!!」
お祭り騒ぎである。
そんな大盛り上がりの男達の中から、腕っ節の強そうな中年男性が進み出た。
「俺は村長のカシーだ。村を代表して礼を言う、ありがとう!一時はどうなるかと思ったが、あんた達のお陰で助かった!」
「お礼ならヨサーク君に。遠い島国出身の私らに、巨人の倒し方教えてくれたん彼なんで」
鈴音がそう言うと、皆の視線がヨサークに集まる。
「そうか!偉いぞヨサーク!」
「隠れた英雄だな!」
「お前が村の外に出てて良かったよ」
頭を撫でられたり背中の籠を叩かれたりと、村人達からの手荒い称賛を受けたヨサーク少年は照れ笑いを浮かべていた。
「それでな、今あっちで女達がちょっとした宴会の準備をしてるんだ。大したもてなしは出来ねえけど、良かったらあんた達も参加してくんねえか?」
村長の申し出に、鈴音は村の外を振り向く。
「参加したいのは山々なんですけどねぇ……あの人らに言うとかなあかん事が山盛りでねぇ……」
「……あー、あれか、噂の神人一行か」
村長に視線を戻すと、何とも複雑な表情をしていた。
「まあ、そんな顔なりますよね。神様の代理人やし、助けようとしてくれたんは事実やし、柵壊したんもわざとやないし」
鈴音の言葉に村長は大きく大きく頷く。
「悪い人達じゃあ無ぇんだろうよ。けどなぁ、あんた達が居なかったら、今頃村がどうなってたかと思うとなぁ」
「多分、他の街や村でも同じような感じになったんやと思います。神様の代理人に助けて貰たのに、面と向かって文句なんか言われへん。けど被害は甚大。せやから立ち去った後に、悪意は無いけどやる事がえげつない、て噂が立ってまう。当然本人らは何も知らんから、次もまた同じ事をする」
「あぁー、何かしっくりくるな、それ。俺達も同じようにしてたかもしれん。噂の神人一行が来たんだが、やっぱりとんでもなかったぞ、とか街で喋っちまってた気がする」
腕組みをして頷く村長に鈴音は笑顔を見せた。
「なので、ここはしっかり言って聞かせよ思います。そら人命最優先やけど、それだけやないねんで、いう事をね」
「そうか。そりゃあその方が今後の事考えたらありがたいわな。けどあんた、若いのによくそこまで考えられるなぁ」
「あはは、そういう教育受けて育ったんで。ほんでもし、あの御一行様が私の話理解してくれたら、宴会に連れてきても?」
「おう!いいともよ。助けに来てくれた事には違いねえんだしな!」
「ありがとうございます!」
曇りの無い笑顔で胸を叩いた村長へ礼を告げ、鈴音は虹男と骸骨と連れ立って神人一行の元へと向かった。




