第八十三話 地獄で猫の一本釣り
広い道の真ん中で、神経質そうな男が追い詰められた表情をして何事かブツブツと呟いている。
「何でこんな事に……何で俺が……絶対におかしい……全部あの女のせいだ……」
人の目では何も見えない暗闇の中、忙しなく視線を動かして何かを警戒していた。
その様子を壁の上から冷ややかな目で見下ろした鈴音は、すぐそばに居る黒猫へ視線を移す。
「黒猫様、皆さんはこの暗い中で雷の光を見ても問題ありませんか?」
猫に限らず動物全般の目に強烈な光は禁物だが、虎吉が平気だったので多分ここの猫達も大丈夫だろうと思いながらの質問だ。
「うん?目をやられないかって事なら大丈夫だ、問題無い。ただ、ビックリはすると思う」
どうして雷の話などするのだろうとでも言いたげに、黒猫は小首を傾げる。
凡そ予想した通りの答えを得て鈴音は小さく笑った。
「あー、そうですよね、ありがとうございます。……更に嫌われてまうかなー……音は小さするから赦して欲しいなー」
呟きを耳にして益々不思議そうな黒猫の前で、骸骨に軽く手を挙げて合図してから鈴音は男へ向けて口を開いた。
「あれぇー?消し炭にでもなったんか思たのに、こんなトコでなにしてんのー?」
極度の緊張状態にある中、突如声が降って来た事で飛び上がらんばかりに驚く男。
しかしその声が、忘れたくとも忘れられぬ程に忌々しい相手の物だと気付くや勢い良く顔を上げた。
「お前……お前ぇぇぇえええ!!どこだ!!出て来い!!」
青筋を立てて目を血走らせ喚いているのは、職場体験中の鈴音に殴られ投げ飛ばされ、温厚な孔雀明王を怒らせて羽を突き立てられ、鬼に踏まれ蹴られて阿鼻地獄の火搭載型荷車へ放り込まれた連続殺猫犯である。
そんな経緯があるにも拘わらずこの態度。
何か勘違いしているらしい男を完全に見下しつつ鈴音が応える。
「おーおー、えらい強気やなぁ?」
「ここに居るって事はお前も死んだんだろう!!だったら俺がお前みたいな女に負ける理由が無い!!顔の形が判らなくなるまで殴ってやる!!出て来い!!」
「やっっっぱり頭悪いよなぁ。そんなん言われたら出て行かんやんフツー。アホはアホなりにもうちょい考えておびき出そうとする思うねんけど、それすら出来ひんレベルのアホやったんやなぁ。いやまあ私は普通ちゃうから行ったらん事もないけど?必死なアホをスルーすんのも可哀相やし?でもアホに関わってアホが伝染ったらシャレならんしなーやめとこかなー」
「……ッ!!……ッ!!」
煽り耐性ゼロの男はもう、只々顔を真っ赤にして食いしばった歯を剥くだけで、言葉など出てこない。
「あぁめんどくさ。ほれ来たったで前見てみ?」
そう告げると同時に鈴音は、立てた人差し指を上から下へと素早く振る。
何の前触れも無く男の背後に落ちる細い雷。
その雷光が男の前方を照らし出す。
一瞬の白い光に浮かび上がったのは、フードを被り大鎌を構え佇む骸骨の姿。
「フョァアッ!?」
驚愕のあまり男は素っ頓狂な声を上げ飛び退いた。
「しに、死神!?」
真っ暗な前方を凝視したまま後退し、トン、と背中が何かにぶつかった事に驚いて振り返る。
そこには、素早く回り込んだ骸骨が青白い光を纏って浮いていた。
「ヒィャァアアアー!!」
情けない悲鳴を上げながら、必死の形相で男は逃げる。
暗闇の中で周囲の安全も確かめずに走り出せばどうなるかなど、考えもせずに。
「ぐぶぁッ!!」
当然の如く壁に激突し跳ね返されふらつく男の頭上へ、足から真っ直ぐ鈴音が降って来る。
鈍い音を立てて男の身体へ着地し、何事も無かったかのようにその上から退いた。
「さるかに合戦の臼はこんな感じなんかな……」
相手は魂なのでスプラッタホラーにはならないが、骨を踏み砕いた感覚は鈴音の足にしっかり伝わったらしく、自分でやっておきながら何とも気色悪そうだ。
そこへ青白い光を消した骸骨が滑るように近付き、大鎌の背で男の腹を叩く。
さっさと起きろと言わんばかりのそれに応えた訳でもなかろうが、砕けた骨が元通りに戻り始め、男が起き上がった。
「ぅぐッ、くそ、何だ、何が……」
痛みに呻きこめかみ辺りを押さえながら、見えないと解っているのにやはり周囲を見回す。
するといきなり目の前に鈴音の顔が浮かび上がり、男はまた悲鳴を上げて逃げ出した。
「まさかこんな古典的な方法が通用するとは」
手のひらサイズの雷球で顔を下から照らしながら鈴音は半笑いだ。
そのまま大きく振りかぶり、雷球を男の背中目掛けて放り投げる。
「はい命中、見事なデッドボール。私は絶対野球やったらアカン人や」
この短期間で野球が何なのか覚えたらしい骸骨が肩を揺らし、感電し痙攣している男へ近寄った。
復活するのを待ってから大鎌の先で男の後ろ襟を引っ掛け、床を引きずり回し始める。
左右に小刻みに動かしたり、止まったと思わせて突然素早く動かしてみたり。
「……あ!コレもしかして」
気付いた鈴音が言葉を続ける前に、いつの間にか壁上に集っていた猫達が次々に飛び降りて来た。
骸骨が大鎌を振り上げ男を宙に舞わせると、華麗なジャンプを決めた猫が容赦の無いパンチを叩き込む。
「おお!猫の一本釣り!!骸骨さん猫じゃらし上手いなぁ!」
代わる代わる襲い掛かる猫達の爪で男の身体はボロボロになるが、直ぐにまた元に戻っていた。
成る程これが地獄の地獄たる所以かと鈴音は納得する。
虎吉が言っていた通り、死にたくなっても死ねないのだ。どんな目に遭っても。
「もう死んでんねんから当たり前……って、うわ大物が釣れた!」
壁上から跳んだ黒猫がその大きな前足で男を押さえつけ、喉笛に噛み付いてブンブンと振る。
耐え切れず胴体が飛んで行ってしまったのを見て、骸骨は固まり鈴音は遠い目になった。
「え、これ身体がズリズリ動いて合体したりする?めっちゃホラーっぽくて嫌やねんけどそれ」
薄目を開けてそっと見た鈴音の視界では、飛んで行った胴体が霧散し、黒猫が捨てた頭の先で再生して行く。
「よかったー。そうやんね、魂やもんね」
ホッと胸を撫で下ろす鈴音の元へ、満足そうな顔をした黒猫が近付いて来た。
「うっかり釣られた。上手いな、あの骸骨」
「ふふふ、私もビックリです。毎日あちこち飛び回ってる間にどっかで見て覚えたんでしょうね」
骸骨が大鎌で男を振り回し猫達に襲わせる、という正に地獄絵図としか言いようの無いものを眺めながら、鈴音と黒猫はほのぼのとした空気に包まれている。
「ところで、あの雷はなんだ?かみさんにあんな力は無いぞ。……無いよな?」
ちょっと瞳孔が開き気味の目を向ける黒猫に鈴音の目尻は下がりまくりだ。
「猫神様の御力ではなくて、異世界の女神様にいただいた御力なんです」
女神サファイアと骸骨神から力を分け与えられた経緯を説明すると、黒猫は納得すると同時にとても安心したようだった。
「良かった。また俺の知らない間に強くなったのかと思ったぞ」
ずい、と出された黒猫の頭を両手で優しく撫で、デレデレとしながらも鈴音はどうにか質問する。
「神様って強なったりしはるんですか。完全体や思てました」
気持ち良さそうに目を細め喉を鳴らしながら黒猫は頷いた。
「かみさんトコには他の神々が遊びに来るだろ?手土産持って。物食うと強くなるんだよ。命食ってる訳だから。勿論上乗せされる力なんか微々たるもんだ。けどかみさんの場合……多いだろ量が」
「あー……、ちょっと集まっただけで50柱くらいの神様がいらしてましたね。あの方々や今回はお目にかかれなかった方々が、それぞれ貢物をするとなると……」
「それも滅多に手に入らない巨大魚だの、伝説に出てくるような牛だの鳥だの、人界なら国を挙げた祭りになるようなもん持って来るからな?」
そういえば男神シオンが張り切っていたな、と思い出す鈴音に、軽く頭を振ってすっきりした顔になった黒猫が笑う。
「ま、仕方無いんだけどな。うちのかみさん可愛いから」
その言葉を聞いた途端、鈴音は胸を押さえヨロヨロと後退した。
「可愛い猫が可愛い猫の事を可愛いって言うた……!!」
人生に一片の悔いも無さそうな微笑みを浮かべる鈴音を見た黒猫は大慌てだ。
「まてまてまて逝くな逝くな落ち着け」
「……ハッ。また召されるとこやった危な!溜めも無しに必殺技出したら駄目ですよ黒猫様」
「お、おぉ。俺のせいか?何かすまんかったな」
「罰として擽りの刑に処します」
そう言うや否や顎から頬を擽る鈴音に抵抗するでもなく、愉快そうに黒猫は笑っている。
「うんうん、ははは、そこそこ」
戯れる鈴音と黒猫の元へ、沢山の猫達を引き連れた骸骨が嬉しそうに近付いて来た。
「わあ、骸骨さんすっかり人気者!ええなー」
玩具にされていた男の姿は見えない。猫達が飽きたので逃げる事が出来たのだろう。
大鎌を仕舞い床へコンパクトに纏まった骸骨へ登る猫達を眺めながら、黒猫が鈴音に尋ねる。
「あの男に対して物凄い殺意があっただろ?もういいのか?」
黒猫の柔らかな被毛を撫でる手を止め、鈴音は唸った。
「うーーーん、よくはないんですけど。ないんですけど、まあええかな、いう感じですかねぇ。殺された猫を思うとハラワタ煮えくり返りますよやっぱり。でもあの男はもう死んでて、猫さん達の玩具になってる。逃げ場なんかあらへん。それやったらまあ取り敢えず、ええかぁ、みたいな。あれが生きた状態で人界で会うとったら、自分を抑える自信無いですけど」
眉間に皺を寄せ口を尖らせる鈴音に笑いながら、よかったよかったと黒猫が頷く。
「また殺意が湧いたらここへ来て好きなだけ殴ればいい。骸骨が死神のフリもしてくれたし、あの罪人が『死神が来る死神が来る』と喚けば他の罪人にも伝わるだろう。猫以外にも襲われるとなったら恐怖は倍増だ。実に素晴らしいな」
骸骨の提案を採用し死神になって貰った訳だが、どうやら大正解だったようだ。
猫まみれになっている骸骨へ、鈴音はビシッと親指を立てた。骸骨からも同じポーズが返ってくる。
「ふふふ。よし、ほんなら猫さん達が飽きたら今日の所は帰ろか。それまで私は適当に罪人殴り飛ばしてきます」
「おう、ありがとな」
せいぜい10分15分で猫達は飽きるだろう、と鈴音も骸骨も黒猫も考えていたのだが。
骸骨の頭の上で寝るというまさかの猫が現れ、結局ここから1時間程の滞在延長となった。
「いやー、数も人種も多かったー。そら世界中から猫に害を与えた輩が集まり続けてんねんから当たり前かぁ。いつか全員制覇したいわー」
手当り次第ぶっ飛ばして回ったらしく、ストレス解消になったのか鈴音の顔がスッキリしている。
そんな鈴音に拍手を送る骸骨も猫まみれになった事でストレスが消え去ったのか、骨の白さが増したようだ。
顔を見合わせ笑ってから、ふたりは黒猫に向き直った。
「ほな黒猫様、お世話になりました。今日の所はこれで失礼します」
お辞儀する鈴音と上下にユラリと揺れる骸骨へ、黒猫は目を細めて頷く。
「こっちこそ楽しませて貰った。是非また来てくれ」
「勿論です。皆さんにオヤツ差し上げなあきませんからね。あ、そうやオヤツ食べる場所。長テーブルやないですけど、皆さんが食べ易い高さの台を拵えといて貰えませんか?」
「ああそうか、そうだったな。直ぐに取り掛かるとしよう」
幾度も頷く黒猫に『お願いします』とお辞儀した鈴音は、見送りに来てくれた茶トラ猫に手を振る。
「茶トラさん、またね!」
「ウン、マタネー」
「ほな、失礼しますー」
「またな」
茶トラ猫と黒猫の笑顔にデレデレしながら、ふたりは仲良く地獄を後にした。
長い通路を抜け、もこもこ雲の地面を踏む。
「ただいま戻りましたー」
ビニール袋片手の鈴音が白猫の縄張りに戻ると、行きには居なかった神々がお茶会を開いていた。
しかも何やら微妙な空気が流れている。
お通夜とまでは言わないが、誰かが派手に滑り倒したような居た堪れないあの感じ。
「うわ、野性の勘が今すぐ家に帰れ言うてる」
嫌な予感しかしない、と慌てる鈴音に骸骨も大きく頷き、虎吉はどこだとふたり揃って視線を彷徨わせた。
だが、神々相手にそんな抵抗は無駄でしかなく。
「あ、お帰り鈴音。骸骨も。ちょっと振りだねー」
楽しげな笑顔で手を振る虹男に見つかり、同時に苦笑いを浮かべているシオンにも発見されてしまった。
「やあ、良い所に来たねふたりとも。ちょっとした相談があるんだ、聞いてくれるよね?」
苦々しげに虹男を見てから、シオンはふたりへ笑顔を向ける。
笑顔ではあるが滲み出る迫力が有無を言わさぬ辺り、流石のシオンである。猫絡み以外ではやはり鈴音に勝ち目は無いようだ。
「ドウカナサイマシタカ」
スナギツネと化しながらの鈴音に笑い、シオンは手招きをする。
「実はさあ、さっそく虹男に虹色玉探しの大冒険をして貰ったんだよ。そしたらなんと、山は吹っ飛ばす湖は枯らす海は割る!」
「は?」
ポカンとした鈴音と骸骨が近付いて行くと、女神達の視線を集めていたハンサム男神が膝を抱えて遠い目をしていた。
「うん、彼の世界なんだけどね。直ぐに止めに入ったとはいえ中々の被害だったな。愉快な冒険物語の筈がとんだ衝撃映像だ、ははは」
「えー、わざとじゃないよー?力が戻ったばっかりで加減がよく分かんなかっただけだし。ま、ちゃんと僕の一部は見つけたからいいよね」
得意気に胸を張る虹男と、溜息を吐くシオン。
どうやら虹男を単独で行動させた結果、世界が一つ滅びかけたようだ。
「……ん?という事はまさか」
状況を理解した鈴音が嫌そうな顔をすると、シオンは楽しげな笑顔になる。
「さすが、察しがいいじゃないか。そう、次の世界には鈴音達も一緒に行って欲しいんだ」
お断りします、と鈴音が言う前に虎吉が足元へやって来た。
「鈴音、実はこれな、猫神さんの頼みでもあんねん」
「解りました行きます」
即答する鈴音に当然だとばかり頷く骸骨、きょとんとしている虹男。
「猫ちゃん効果凄すぎ」
呆気にとられた後、シオンはそれはそれは愉快そうに笑った。




