第七十六話 時間外労働
猫達が骸骨に触れても頭骨が落ちなくなったので、安心して風呂を済ませた鈴音が大きく息を吐く。
「ふぅー。あ、そうや晩ご飯どないする?私はお母ちゃん帰ってったら一緒に食べるねんけど、先に何か持って来よか?」
髪を拭きながら尋ねる鈴音に、軽く手を振った骸骨はローブの内側から平たく丸い物体を取り出す。
ココアクッキーのようなそれをポイと口へ放り込み、咀嚼するでもなく動きを止めた。
どうやら食事終了らしい。
「早ッ!総合栄養食みたいな物なんかな。飲み物は?」
鈴音の問い掛けにローブから水筒のような物を出した骸骨は、外蓋を開けてストロー状の先端を前歯で挟む。
そのまま本体を握ると中身が飛び出す仕組みらしいのだが、水分らしき物が出る気配はなかった。
首を傾げた骸骨が内蓋を開けて中を覗き、がくりと項垂れる。
「ありゃ、空っぽや。お茶かりんごジュースでよければ持って来るよ?」
水筒を猫達に嗅がれまくっている骸骨は、鈴音の申し出に少し考え石板を取り出した。
今度は石板を嗅がれまくりながら、骸骨はせっせと絵を描いて見せる。
「んー、私が木から取った丸い物を握り潰しとる。うん解った、りんごジュースやね」
任せろ、と頷いた鈴音はキッチンの冷蔵庫から紙パックを取ってきた。
期待に満ちた空気を醸し出しながら、骸骨が水筒を差し出す。
「もしかして、水以外の地球の飲み物初めて?」
透き通った黄金色の液体を注ぐ鈴音の問いに、甘く爽やかな香りを嗅ぐ仕草をしながら骸骨は頷いた。
「そっかー、それは確かにワクワクするやろなぁ。あ、そろそろ満杯?」
500ミリリットル程注いで水筒を満たしてから『いや待てよ、口に合わんかったら?』と初めての物を勧めるにしては入れ過ぎた事に気付く。
しかし骸骨はまるで気にする様子も無く、内蓋を閉めた水筒を軽く掲げてから、ストロー部分を前歯で挟んだ。
ぎゅう、と右手で水筒を握った途端、骸骨の身体に電流が通ったかのような震えが走る。
「うわ、アカンかったかな?無理せんでええよ?」
鈴音の声には応えず、5秒程固まった骸骨はその後、ぎゅうぎゅうと水筒を握り続けた。
人で言う所の一気飲みだろうと思われる。
「ん?あれ?逆かな?めっちゃ気に入ってる?」
目を瞬かせる鈴音の前へ、流れるような動きで内蓋を外した水筒を差し出す骸骨。
おかわり、という声が聞こえそうな勢いだ。
「あはは、良かった喜んで貰えて」
笑いながら残りのジュースを注いだ鈴音は、骸骨へ他の果物のジュースについても教え、明日にでも買っておくと約束した。
その後帰宅した母親と共に夕食を済ませ、再び自室へと戻る。
ペットボトル入りのブレンド茶を持って行くと、骸骨はこれまた喜んでくれた。
「お仕事大変そうやし、せめて美味しい物で癒やされてな。オヤツなんかもいけるかなぁ?……あ、猫神様んトコからオヤツの空袋回収せな!虎ちゃーん」
鈴音の呼び掛けに応えてベッドの上に通路が開く。
「ちょっと行ってきます。猫達をよろしくー」
頷く骸骨に手を振り、鈴音は白猫の縄張りへ入った。
「ゴミの回収に来ましたー……って、あれ?お客様?」
スフィンクスのような体勢の白猫と、その隣に座る虎吉の前に、白髭のお年寄りが座っている。
つるりとした頭に白い髭白いローブ、そして杖。
「ザ・神様!て感じのお方やなぁ」
もこもこテーブルそばでゴミを回収した鈴音を、白髭の神が優しい笑みで見ている。
「こんばんは。すぐ帰りますので」
お辞儀する鈴音に白髭の神は笑顔のまま手を振った。
「いやいや、丁度そなたの活躍について話しておったところでのぅ。そなたも参加せんかの?」
「あー、すみません。この後まだ向こうで、ちょっとややこしい仕事が残ってまして」
神界なので時間の心配は不要だが、神との会話で気を使い心が疲れた状態で般若の面と遭遇するのは避けたい。
申し訳無さそうな顔をする鈴音へ、白髭の神がうんうんと頷く。
「そうかそうか、気を付けてのぅ」
「はい、ありがとうございます」
再度お辞儀した鈴音に、虎吉からも声が掛かった。
「頑張れよ。ほな、また明日な」
「うん、また明日」
ニッコリと目を細める白猫にもお辞儀して、人界へと戻る。
「ほい、ただいまー。またダサジャージで神様にお会いしてもうたわー」
ゴミ箱の上に口を縛ったビニール袋を置きながらぼやく鈴音に、猫まみれの骸骨が肩を揺らした。
「けどパジャマかどうかなんて異世界の神様には分からんやろ、て開き直っとこ。ほな私仮眠取るね。夜中にもう一仕事あるねん」
ベッドへ潜り込む鈴音に骸骨は頷き、自身も少し休んだら夜間の捜索に出ると石板で伝える。
「そっか、お互い頑張ろね」
仲良く頷き合って、部屋の灯りを消した。
そして日付けが変わって暫く後、大きく伸びをした鈴音が起き上がる。
猫達がベッドの真ん中を占拠し自身が端へ追いやられている状況から、室内を確認するまでもなく骸骨は既に仕事へ行ったのだなと理解した。
「働き者やなぁ。帰りにコンビニ寄ってジュース買うといたげよかな」
寝ぼけ眼を擦りつつベッドから出て身なりを整える。
最後に姿隠しのペンダントを首から下げて完成だ。
「よっしゃ。ちょっと早いし澱でも消しながら行こかな」
薄っすらと目を開けた大人猫達に、見回りに出てくるから子猫を頼むと言い残し、そろりと部屋を出る。
ペンダントを着けているのだから堂々としていれば良いのだが、何故かコソコソとしてしまった。
そんな自分に小さく笑いながら外へ出ると、曇り空ではあるものの雨は降りそうにない事を確認。
その後しっかりと玄関ドアへ施錠して、夜の空に消えた。
神社近くの駐車場で昼間と同じ位置に車を駐め、菩薩化した顔の綱木がスマートフォンを見ている。
真っ暗闇にぼんやりと顔が浮かび上がって不気味だが、彼もまた姿隠しのペンダントを装備済みなので問題は無い。
「うーん、明日中に市内全域が清浄化されるんちゃうかコレ」
綱木が見つめる画面は澱の発生場所を示すマップだが、かなり広い範囲に除去済のマークが付いている。
誰が作業したか分かるよう職員それぞれのアイコンで表示されるのだが、画面の殆どが鈴音のアイコンLED電球で埋まっていた。
そして今現在も、画面が更新される度にLED電球アイコンによる除去済マークが増えている。
「通り道にあるやつをサクサク消しながら進んどるんやな……。3分前がこの場所いうことはもう来るやろな」
そう呟いた直後、運転席のドアが軽くノックされた。
「こんばんは、遅なりました」
会釈する鈴音にいやいやと手を振り外へ出た綱木は、スマートフォンを示して笑う。
「ごっついな、流石や。俺らにこの早さで澱消すんは無理やから皆ビックリしとるわ」
きょとんとした鈴音は、一瞬悪い顔をしてから小さく首を振った。
「今、しもた働き過ぎたか、とか思わんかった?」
「ナンノコトデスカ」
「思たな。まあ確かに、ようさん働いても直ぐには給料変わらんけど、後々ね。昇進いうか、肩書き付いたら上がるから働き損にはならんよ」
昇給有りと聞いた鈴音の目がギラリと光った、ように綱木には見えた。
「ほんで、今夜の作戦は?」
綱木が問い掛けた時、バタバタと足音をさせながら田中が走って来る。
勿論こちらもペンダント装着中なので、周囲に誰か居ても気付かれる事は無い。
「お疲れ様です、いやー、もうひとつの駐車場、ちょっと遠いですわ」
荒い息を整えながら、田中は二人に会釈した。
「ん?ああ、藁人形の主が車で来るとしたら、見慣れん車が2台もあったら警戒されるから別れたんですか?」
鈴音が言うと二人は頷く。
「向こうの駐車場が遠いいう事は、車やったらこっちに来る可能性が高いな」
綱木に頷いた鈴音は辺りを見回し、駐車場近くの街灯から離れた茂みを指した。
「お二人はあの辺におって貰えますか?ここでお二人が藁人形の主の顔見てしもたら、話が違ういうて桜の精が怒るかもしれませんし」
鈴音が指差す方へ視線を向けた二人だが、ただの闇にしか見えず困惑する。
「あの辺。まあとにかく暗がりにおったらええねんな」
「はい。ほんで私はこのまま桜の精んトコ行って、藁人形の主には私が居る事はわからん形で話進めて貰います」
成る程、と田中が頷いた。
「誰かを呪うぐらい思い詰めてる人に、まともな説得しても無理っぽいですもんね」
「はい。呪いなんか信じるタイプなら、桜の精の言葉の方が頭に入る思うんで」
人の言葉は届かないだろう、と全員が頷く。
「もし桜の精の言葉も聞かんと逆上するようやったら?」
綱木の問いに鈴音は真顔で答えた。
「脳の防衛本能が働いて部分的に記憶無くすレベルで怖い思いして貰います」
「……俺は今うっかり記憶なくしかけました」
「偶然やな俺もや」
遠い目をする男達に笑い、鈴音は神社の方を見る。
「ほな、桜の精との打ち合わせもしときたいんで、もう行きますね」
二人へ会釈した鈴音が音も無く消えた。
「何なんですか彼女……。輝光魂で神使や言うたかて肝座り過ぎちゃいます?年上か思うぐらいですわ」
田中の疑問は尤もだ。
しかし、恐らく異世界での経験がそうさせたのだろう、とは思っても詳しい内容を知っている訳でもないので、綱木には説明のしようがなかった。
「まあ、色々あったんやろ」
異世界の神二柱から力を授けられる程度には、と心の中で続ける。
「知りたいような聞かん方が身の為のような」
言葉通りの表情で、田中は大きな溜息を吐いた。
「こんばんはー」
境内へ入り桜に近付いた鈴音が声を掛けると、桜の精が姿を見せる。
「こんばんは。ふふ……ホンマに来てくれた」
ふわりと柔らかく微笑む桜の精に、鈴音は大きく頷いた。
「そら約束は守りますよ。まあ仕事でもあるんですけど。ほんで藁人形の主の説得についてなんですけど……」
「あ、それなぁ……私がやってもええ?」
願ってもない申し出に思わず拍手する鈴音。
「助かります。私が出ると、逃げるかキレるかのどっちかになる思うんですよねぇ」
「うん。あの人なぁ、好きな男の人が別の女の人の所へ行ってもうて、恋心が暴れてる人やねん。男の人が離れたんやなくて、女の人が奪ったて思てるねん。そこへ鈴音が出て来たら……」
「んー、金槌振り上げられる未来しか見えへん」
遠い目をする鈴音に困り顔で桜の精が頷く。
「それは嫌やから私がやろ思うんやけど、私の姿が急に見えたらきっとビックリするやん?悲鳴上げへんかなぁ?」
自身の顔をペタペタと触って首を傾げる桜の精に、鈴音は悪ガキのような笑みを見せた。
「同じ事考えたんです私も。ギャー言われて、もし誰か来たら面倒臭い事になるし。せやから、悲鳴が誰にも聞こえへんようにしたらええわ思て」
「どないするん?」
「ちょっとだけヒンヤリしますけど、境内を氷のドーム……ドーム解ります?えーとね、境内に氷のお椀被せるみたいにします」
見本として掌に氷の椀を出し、それをひっくり返す。
「わぁ……!鈴音、光る魂だけ違うんやねぇ。そんなん出来る人、初めて見た」
両手の指先を口元へやり、桜の精は目を真ん丸にして驚いていた。
「ええ、神様のお陰です。いや別に変な宗教にかぶれとる訳ちゃいますよ?他には悲鳴に合わせて雷鳴轟かせる方法も考えたんですけど、寝てる人起きてまいそうやな思て」
「雷?それは私も怖いから嫌や」
「あ、そうか。木にとって雷はある種の天敵ですね。やめときましょね」
微笑みながらそう言って、ふと、猫にとっては寒さも大きな音もどちらもある種の天敵ではないか、と気付き愕然とする。
「虎ちゃんが雷怖がらへんから忘れとったわ……ここにも外暮らしの猫居るみたいやし、演出で吹雪とか使わんように気ぃつけよ」
拳握って呟く鈴音に不思議そうな顔をしつつ、桜の精は空を見上げた。
「晴れてお月さん出たらええのになぁ……」
確かに月が出れば桜の精の幻想的な雰囲気が増すだろうな、と鈴音も空を見上げる。
丁度その時、こちらへ向かって歩いて来る者の足音が鈴音の耳に届いた。




