第七十話 ただいま戻りました
得意顔で先行していた虹男は、物凄い形相で追って来る鈴音に驚き更にスピードを上げる。
「速い速い速い!!何あれ鈴音の本気!?」
「残念まだ五割も行ってへん」
「ギャー!!」
真後ろから聞こえた声に虹男は両頬を押さえて叫んだ。
「ビックリしたー!でもそっか、本気の時はもっと光るんだっけ」
「あの状態を本気言うんやったら、今は力の一割も出てへん事になる思うけど」
前に出ようとせずに話す鈴音を振り返った虹男は口を尖らせる。
「ちぇー、僕も少しは強さが戻ったのになー」
「あーはいはい、そういう事ね。いきなり飛んで行くからビビったわ。そないにいちいち『強い神様やねんでー!』てアピールせんでも、サファイア様は虹男の事嫌いになったりせぇへんから大丈夫やで?あと、人である私に勝つんは神様として当たり前やから、張り合うても意味あらへんよ」
「そもそも男に強さは求めてへんよなあの女神さん。ほれ前向いて飛びや、ぶつかるで」
鈴音どころか虎吉にまであっさり言われ慌てふためく虹男。
「ななな何でそんなこと解るんだよう」
「むしろ何で解らんのかが謎やわ」
「自分の事は解らんもんなんちゃうか?知らんけど」
顔を見合わせて頷き合う鈴音と虎吉を見やり、虹男は頭を抱えた。
「ふたりだけで解ってズルい!!イテッ!」
虎吉の忠告を無視した結果、背後に迫っていた大岩にぶつかり漫画のようにめり込んだ虹男は放っておいて、足を止めた鈴音は辺りを見回す。
先程の雨で少し元気を取り戻したように見える森が、急斜面に向かって続いていた。
どうやら目的の山に辿り着いたようだ。
「この山の途中に丸い石があるん?」
鈴音の問い掛けに、岩から出て来た虹男が破片を払いながら頷く。
「うん。滝がある川の底に転がってるよ」
「滝かぁ。枯れてへんやろか。他に目印ある?」
「あ、そっか。じゃあ上から見てくるよ」
言うが早いか虹男は空へと舞い上がった。
暫く鳥のように飛び回り、反対側から戻って来たかと思うと手招きをする。
走って跳んで外周を回った鈴音に、上空で静止した虹男は山の中腹辺りを指差してみせた。
「あの辺にあったよ。ここから真っ直ぐ登れば着くと思う」
「うーん、下からやとよう分からんわ。上飛びながら誘導してくれへん?」
「いいよー」
そういう事になり、虹男の指示を頼りに鈴音は険しい山を登って行った。
神界から見た“山の中を進む軍隊”について鈴音が尋ねた時、何故それを知っているのかと驚いた騎士団長コラードが『あんな道を女が歩けるわけがなかろう』と言っていた山である。
傾斜もきつければ足場も悪い。
確かに男性に比べて体力の無い女性には厳しいだろう。
しかし鈴音には関係無かった。
そもそも道ですら無い場所を平然と進んで行く。
何せ指示役が虹男である。
迂回路なぞ示すはずも無く、直線で上へ上へと導いた。
そしてそれが当然とばかり鈴音も最短距離を進む。
いきなり跳び上がって来た人に樹上の鳥が驚いて逃げると、虎吉が面白がって喜ぶ、すると鈴音が更に張り切って跳ぶ、そんな展開が暫し続いた。
恐らく日本の最高峰よりも高いと思われる場所まで来た所で、何かを感じたのか鈴音が立ち止まる。
「どうしたのー?」
上から降って来る呑気な声に、口元で人差し指を立てた。
意味を理解した虹男が音も無く隣に降り、周囲を見回す。
すると、木々の間に黒っぽい獣を見つけた。
「あ、居た!大きい猫みたいな子」
「やっぱりあれがそうなんや。確かに猫っぽいなぁ可愛いなぁ。何やろな、ユキヒョウを黒っぽくした感じ?あんよも尻尾もぶっといし。あ、立派な牙やなぁ肉食獣丸出しやなぁ可愛いなぁ」
「獣が牙見せるのって怒ってる時だよね?あの顔の後に何回も噛まれたし僕」
牙を剥いて唸る獣に、首元を押さえて嫌な顔をする生みの親と、デレデレしている鈴音。
「心配せんでもほら、ウチの喧嘩番長が」
威嚇されて頭にきたらしい虎吉が、全開の黒目を爛々とさせている。
鈴音の腕から飛び降りると、立てた耳を反らし背中の毛を逆立てながら、獣にゆっくりと近付いて行った。
「おぉーまぁーえぇー、誰に唸っとるんや誰にぃー」
家猫サイズの虎吉の恐ろしい重低音に、豹サイズの獣がペタリと耳を伏せ尻尾を股の間に仕舞い込む。
「ええか、お前の縄張りなんぞ知らん!俺の居る場所が俺の縄張りや!要するにここは俺の縄張りじゃ勝手に入るないう事や!よう覚えとけ!」
どんと胸を張って自信満々に言い切る虎吉。
とんでもない俺様に絡まれてしまった憐れな獣は、体勢を低く低くして後退り、一目散に逃げて行った。
「ええー?あれでいいの?」
理不尽過ぎやしないかと言いたいらしい虹男に、喉の奥で笑いながら鈴音は頷く。
「動物の世界はあれでええみたいやで?虎ちゃんのルールを認めたないんやったら、虎ちゃんより強なったらええねん」
戻って来た虎吉は鈴音の左腕に収まりつつ、澄まし顔で虹男を見た。
「うわあ、やれるもんならやってみろ、みたいな顔してる!悔しい!」
「まあ、あの豹にも懐かれてへん虹男が虎ちゃんより強い獣作っても制御出来ひんやん?街で暴れて人死にが出るやん?サファイア様怒るやん?」
「僕木っ端微塵。ダメダメ無理無理なしなしなし」
首と手の両方を振る虹男に笑った鈴音は、獣が消えた方向へ顔を向ける。
「何にせよ、こっちの世界に動物が戻って来られて良かったやん。私も異世界の猫っぽい動物見られて嬉しいわ」
「そっか。そだね。うん、喜んで貰えたならいいや」
納得した様子で頷いた虹男は、再びふわりと空を飛ぶ。
「じゃ、行こっか。あと少しだよー」
「はいよー」
虎吉を抱え直して、虹男の指示通り鈴音は走った。
富士山を超えてエベレストの六合目か七合目辺りに来ていると思われるのに、この世界の山ではまだ森が途切れない。
雪景色になるのはこれより更に上からなのだそうだ。
「はい着いたよー。水少なくなっちゃってるけど、あれが滝ね」
虹男の声と共に鬱蒼とした森の中に開けた場所が現れ、下草や苔が覆う平地の先に落差100メートル程の滝があった。
「おー!水量があったら結構な迫力ありそう!」
今は小川のせせらぎ程度だが、本来は見事な滝だと思われる。
「ほんで、石はあの滝から続く川の底にあるんやね」
鈴音から見て左側に、広い川が浅く緩い流れで続いていた。
「水少ないから探し易うてええな」
虎吉の言葉に笑顔で頷き、川へ近付いて覗いた鈴音は瞬きを繰り返す。
「真ん丸や。ホンマ真ん丸な石がいっぱいあるわ。しかも色とりどりやで」
川底には、瑪瑙のような石が大小様々な玉となって大量に転がっていた。
「ね?僕の一部と似てるでしょ?これなら取り替えっこしてくれるよね?」
隣に立った虹男が川底と鈴音の間で視線を往復させる。
「うん、綺麗さはバッチリ。あとは強度やけど……」
鈴音はそう言いながら膝をつき、指が浸かる程度しか水の無い川から赤い石を拾い上げた。
虹色玉より少し小振りなそれを、魂の光を消してから握り締めてみる。
「お、割れへん!」
「ほほー、そら立派や!猫神さんが遊ぶ分には問題無い思うで」
白猫の眷属達のお墨付きを貰い、目を輝かせた虹男もまた川底を覗いた。
「じゃあどれがいい?白い猫だから何色でも似合うよね。大事なのは大きさかなあ?」
白猫の体格を思い出しながら、テニスボールからサッカーボールぐらいまでの大きさを両手で作っている。
「うん、あの虹色玉は猫神様には小さ過ぎかな。せめてこのくらいは欲しいな」
直径20センチ程の大きさを示す鈴音に、虹男は川の上を飛んで探し始めた。
キョロキョロしながら飛び回り、不意に川の真ん中辺りで止まって両手を突っ込むと、左右の手でそれぞれ違う色の玉を拾い上げる。
「じゃじゃーん!黄色っぽくてシマシマの石と、緑色の石、どっち?」
「いいえ神様、私が落としたのは鉄の斧です」
真顔で答えた鈴音に、虹男は黙って小首を傾げた。
「うん、ごめんやで。神様が水ん中から物拾てくれて、どっち?て聞いてくれるいう場面が自分に訪れるとは思わんかったから、つい」
「あー、うん、そうなんだね?よく解んないけどおめでとう……?」
「ありがとう。ほんで質問の答えやけど、私には選ばれへんなぁ。黄色い方は琥珀っぽくて猫神様の目ぇみたいに綺麗やし、緑の方も翡翠っぽくて綺麗やし」
突然の鉄の斧ショックから立ち直り頷いた虹男は、二つの石を見比べて考え込む。
「確かにどっちも綺麗だよねー。じゃあ両方あげちゃおっか?このぐらいの大きさなら、置いといても邪魔にならないよね?」
「お、太っ腹!それで行こ!きっと喜びはるわ」
笑顔の鈴音と大きく頷いた虎吉を見て気を良くした虹男は、風で丸い石の水分を吹き飛ばし胸を張った。
「よし、それじゃあ大きい猫の所に戻ろう!」
「やったー!任務完了や」
嬉しそうな鈴音に目を細め、虎吉が通路を開く。
「ほなお先に失礼」
「いいよー」
まず鈴音と虎吉、続いて虹男という順番で通路に入り、仲良く神界へと戻って行った。
通路を出てもこもこ雲を踏み、『ただいま戻りました』の“た”が出るか出ないかの時点で鈴音の腹筋に白猫の頭突きが決まる。
「ぐほ!た、ただいま戻りました猫神様……ッ」
魔剣を取りに一旦戻ってから随分と経ったので怒ったのかと心配したが、目を細め喉を鳴らしながら頭を擦り付けているので違うと解った。
「退屈してはりました?そんな猫神様にええお土産があるんです」
白猫を撫でながら振り返った鈴音に促され、通路を抜けた所で立っていた虹男が恐る恐る白猫に近付く。
「これあげるから、僕の一部の虹色の玉返して?」
二つの丸い石を見せる虹男をじっと見つめた白猫は、一度鼻を鳴らしてから自身のベッドへ向かうと、虹色玉を転がしながら戻って来た。
「わあ、ありがとう!これどうぞー」
パッと明るい表情になった虹男は二つの丸い石を並べて置き、代わりに虹色玉を拾い上げる。
丸い石をじっくり観察する白猫から離れた虹男は、虹色玉を胸に当て取り込んだ。
「おー、いいねいいね」
少し力を取り戻しご機嫌さんの虹男には目もくれず、離れた場所では観察を終えた白猫が前足でチョイチョイと丸い石を触り始めていた。
「まずは琥珀っぽい方ですね」
微笑む鈴音に頷きを返し、お座りの体勢で前足だけを動かす白猫。
このままお上品に遊ぶのかと思いきや、いきなり強めに叩き丸い石を高速で飛ばすとダッシュで追いかけだした。
追い付いた先で石にじゃれつき、また叩いて飛ばす。
動きはペットボトルの蓋で遊ぶ鈴音の愛猫達と変わらないが、大きさが大きさなので迫力が違う。
「くぁあー、可愛いぃぃぃ!!ここには冷蔵庫もソファーもないから、玩具が下に入り込んで出て来ぇへん事を心配せんでええもんなぁー。ま、あの大きさの石は冷蔵庫の下には入らんけども」
ドーム内を所狭しと駆け回る白猫を、鈴音とよく似た表情をした神々が見守っている。
しかし先程までと比べてその数が少ない事に鈴音は気付いた。
「あれ?」
「どうかしたかい?」
首を傾げた鈴音に、笑顔のシオンが声を掛ける。
「神様の数が減ってるなぁ思て」
鈴音の素直な疑問をシオンは悪戯小僧の顔で受け止めた。
「誰かさんが人の世の悪事を暴いただろう?それも大神官の。あれれ、ウチのは大丈夫かな、って心配になっちゃった神々が帰ったんだよ」
「あー……、そうですか、それはまた何とも」
遠い目をする鈴音の元へ、丸い石が転がって来る。
拾ったそれを、目をキラキラさせながら待っている白猫へ向けて振り、遠くへと放り投げた。
「そうだ、アーラちゃんが来てるよ?鳥好きの集会に出てたんだってさ。あっちでも虹色の玉の事が話題になったって」
「え、ああそらそうか。猫好きの神様選んで落ちた訳ちゃいますもんね。またサファイア様が謝りに行かなアカンのかな」
そう言いながら鈴音は、銀色の羽を生やした華奢な少女神を探す。
白猫の前足のせいで壊れかけた世界は大丈夫か、鳥ちゃんこと風の精霊王の子や海まで流されたらしい地の精霊王の大蛇はどうしているか、聞きたい事が色々あった。
「ん?どこ?アーラ様ほんまに居てはります?」
ざっと見回しても視界に入って来ない。
首を傾げる鈴音に、シオンが笑いながら手で示した。
「あっち。猫好きが集まってるから、目立たないように布かぶって端っこに居るんだよ」
よく見てみれば確かに、白い布で壁に擬態しているかのような存在が居る。
「猫好きと鳥好きの溝の深さだか壁の高さだかを理解しました」
「ふふふ。別に喧嘩してる訳じゃないけど、食ったり食われたりの関係だから微妙な空気になっちゃうんだよねー」
解らないでもないな、と頷いた鈴音がアーラの元へ向かおうとすると、ドームの入り口からサファイアが姿を見せこちらに手を振っている。
これは丁度良い、と考えた鈴音はアーラにサファイアを紹介する事にした。




