第六十九話 慈雨
骸骨神の青白い光を浴びた世界中の人々が、その場に立ち尽くしたまま夢を見ている。
殆どの者は、驚愕の表情を浮かべ何事か叫んだ後に涙するという、とてもよく似た反応を示していた。
その様子を眺め、虹男とサファイアは不思議そうな顔をする。
「みんな泣いてるよ?」
「骸骨の神は何故、人々を悲しませるのかしら」
人の心理に疎い二柱は揃って鈴音を見た。
「あー、ただ悲しんでる訳やないんです。二度と会えへん筈の人に会うて感情が昂ったいうか……ビックリも嬉しいも悲しいもぐっちゃぐちゃで、本人も訳わからん感じになってるだけです多分」
「嬉しいと悲しいが一緒って変」
虹男のツッコミに鈴音は笑いながら頷く。
「うん、変やけど人の感情ってそんなんやねん。会えて嬉しい、でもこの人は死んでしまってる、ずっと一緒に居れる訳やない、だから悲しい。それでも今ここで会えた事はやっぱり嬉しい、けど別れがもっかい来るから悲しい」
「うわあ難しい!」
「複雑なのね……私の感情を参考に作った筈なのに理解するのが大変だわ」
頭を抱える虹男と眉を下げるサファイアを見た虎吉が笑った。
「人は死んだら終わりやけど、神さんは死のうがバラバラになろうが、こないして元通りやもんな、そら理解すんのは難しいやろ」
「確かに……もう会えないかもしれないという悲しみなら体験したけれど、結果的には会えたし二度目の別れは訪れない訳だから、本当の意味で理解するのは不可能ね」
小さな溜息を吐くサファイアに、虹男が『ごめんね?』などと謝っている。
「ふふ、理解しようとしてくれはっただけで充分ですよ。死んだ人に夢で会うのが嬉しいかどうかは人それぞれですけど、骸骨神様の見せる夢やし多分、心の綺麗な人や罪を悔い改めた人には目が覚めた後も幸せな気分が残るようにしてはる思います」
「あら、悔い改めない者も居るのかしら」
神の恐ろしさを思い知ったのではなかったか、と言いたげなサファイアに鈴音は残念そうに頷いた。
「あの大神官みたいな罪を罪とも思わん奴とか、全部他人のせいにして開き直る奴とか、どうしようもない輩は一定数残ってると思います。それが炙り出されるかもしれませんね。今ならあっという間に捕まって、人の手で裁かれるでしょう」
成る程と頷いたサファイアは人々へと目を向ける。
優しげなその眼差しに微笑みつつ、鈴音は骸骨神が居る大神殿を見た。
これは、必要な事だったとはいえ断りなく凄惨な場面を見せてしまった人々への、骸骨神なりの気遣いだろう。
皆がどんな夢を見ているのかは分からないが、犠牲者に近しい人などの心の傷が少しでも癒えれば良いなと思う。
そんな風に大神殿を囲む人々や空に映る人々を眺めていると、『みんなやってたでしょ!?私だけが悪いみたいな目でみないでよ!!』とか何とか吠えている者も居たりして、ああやっぱりな、と鈴音は半眼になった。
他者の痛みが解らない者は反省などしない。
犯罪者ではなさそうだが、現実に戻った後世間から浮きまくるだろうなあ御愁傷様、と片手で拝んでおいた。
そうこうしている内に、徐々に光が弱まり始める。
どうやらそろそろ皆こちら側へ帰って来るようだ。
「あ、そうや。サファイア様、この後の事なんですけど。骸骨神様の存在は内緒にしといた方がええんで、全部サファイア様がやったような顔しといて貰て……」
どうせなら派手な演出で世界が元に戻ったと教えた方が、人々も素直に喜べるのではないか。
そう考えた鈴音は思い付いた内容をサファイアに伝えた。
「あら素敵ね!うふふ、思い切りやっちゃおうかしら」
「え!?あー、その、ほどほど、程々で!」
またしてもやる気満々になってしまったサファイアを宥めていると、青白い光が完全に消え人々が目覚め始めた。
慌てて澄まし顔を作る鈴音と、慈愛に満ち溢れた微笑みを湛えるサファイア。
正に夢から醒めたばかりという顔で周囲を見回した人々は、女神の優しい微笑みに辿り着き感動に心を震わせた。
「ありがとうございます女神様」
「あの人にまた会えるなんて……」
「言えなかった一言が言えました」
「これからまた頑張れます」
口々に感謝を表す人々へ、サファイアは幾度も幾度も頷いた。
そうして皆が落ち着くのを待って、ゆっくりと口を開く。
「私はもう帰るけれど、みんなこれからも、いい子でね?悪い事したら許さないんだから」
幼子に言い聞かせるような口調で告げると悪戯っぽく笑い、あっという間にその姿を竜へと変えた。
どよめく人々が見上げる空へ何本もの稲妻を走らせ、そのまま世界中を旅するかの如く優雅に飛び回る。
すると、竜の頭が通り過ぎ、長い胴が横たわる空から、ポツリポツリと何かが落ち始めた。
それは大神殿のある国にも、剣の王の芸術の王の北の王の国にも、その他の国々にも等しく落ちた。
「雨だ」
「雨だ!」
「雨だー!!」
ザア、と音を立てて降り出した大粒の雨に、全世界が歓喜する。
人々はずぶ濡れになりながら声を上げて笑い、土埃が洗い流される街を見てまた笑い、乾いた大地がどんどんと水を吸って潤って行く様を見て大いに笑った。
世界を巡り雨を降らせた竜が天高く上昇し姿が見えなくなると、陽の光が戻り周囲が明るくなる。
ああ雨が止んでしまった、と空を見上げた大神殿周りの人々は、もう直ぐ夕陽と呼ばれる高さにある太陽の前を、複数の鳥が横切る光景を目にした。
「鳥だ、鳥が飛んでる!」
反対に夜明けを迎えようとしている国々では、朝を告げる鳥が高らかに鳴いた。
とある国では草原を野生の馬が走り、とある街では木々をリスのような小動物が駆け回り、夜が近い地域ではそろそろねぐらに戻ろうかと山に向かって鳥が飛ぶ。
長らく遠ざかっていた当たり前の光景。
当たり前の日常。
「ああ……、私達、赦されたんだ」
それぞれの国それぞれの場所で漸く実感した人々は、女神が居た大神殿を、竜が消えた空を見つめ、両手を胸に当て膝を突いて只々涙した。
「よし、バッチリや。ほな私らも行こか」
大喜びした後に神へ感謝を捧げる人々に頷き、鈴音は虹男に声を掛ける。
「んー、これ放っといていいの?」
空中の映像を指す虹男に鈴音は親指を立てた。
「この国が夜になったら消えるて言うてはったから大丈夫」
「そっか、それなら平気だね」
頷き合ってから、鈴音は大神殿を見る。
「骸骨神様ありがとうございました。お陰様でうまい事行きましたし、色々と勉強になりました」
深々とお辞儀した鈴音へ、骸骨が石板を見せた。
でかでかと、親指を立ててニヤリと笑った骸骨神が描かれている。
「あはは、可愛い。っと失礼な事言うてしもた、お赦し下さい。ほな骸骨さん、私らは猫神様へのお土産をゲットしてから帰るんで、先に戻っといて下さい」
頷いて手を振った骸骨が大神殿へ入ると、直ぐに骸骨神共々その気配が消えた。
「よっしゃ、行……」
「鈴音様!いや間違えました鈴音さん!」
さあ行くぞと気合いを入れ掛けた鈴音に空から声が掛かる。
「はい何でしょうかジェロディさん」
瞬きをしながら空を見上げる鈴音に、ジェロディは両手で捧げるようにして神剣を見せた。
「こちらを直ぐにお返ししたいのです。馬が戻ったとはいえ、運んでいる最中に暴漢にでも襲われ奪われては一大事ですし」
鈴音としては、神剣持ったあなたに勝てる人がこの世界に居るんですか、と聞きたい所だったが、ジェロディが本気で心配しているのは解っているのでやめておく。
「虹男、ジェロディさんが神剣返したいねんて」
「え?なんで?キミにあげたのに。いらないの?」
不思議そうな顔で尋ねる虹男へ、ジェロディは大慌てで首を振る。
「いえ、違うのです神よ!これ程に素晴らしき剣を賜りました事、生涯忘れ得ぬ喜びにございます。されど神剣は皆で崇める物であって、個人が所有してよいものではないと申しましょうか……」
どう説明すればいいのかと困り果てるジェロディに、鈴音は笑いながら助け舟を出した。
「綺麗な剣やし色んな人に見て欲しいから、ここの大神殿に飾っときたいねんて」
「なあんだそっかー。いいよ、ちょっと待ってね」
笑顔になった虹男がフッと姿を消す。
直ぐに映像から慌てたジェロディや国王の声が聞こえ、騎士団長が間に入ったりしている様子も見えた。
暫し後、跪いて見送る彼らに手を振り虹男が戻って来る。
「はい、貰ってきたよ」
「はいはい。ほな神官さんに渡してくるわ」
ひと蹴りで大神殿の神官達の元へ跳んだ鈴音は、胸元に手を当てたままうっとりしているカンドーレに驚いた。
「えぇー……。ツッコんでええんかなアレ」
「関わらん方がええんちゃうか?」
虎吉と共にスナギツネ化しつつ、神剣を近くの神官へ渡す。
「これ、また大神殿に祀っといて貰えますか?」
「ははッ!畏まりました!」
「で、カンドーレさんはどないしはったんですか」
恭しく神剣を受け取った神官は、鈴音の質問に困った顔で笑った。
「神が授けて下すった布を、胸元に仕舞われておりまして」
「あー、成る程」
そっとしておこう、と虎吉と神官と頷き合い、虹男の隣へ戻る。
「ジェロディさん、大神殿の神官さんに頼んどきましたんで」
「ありがとうございます。本当に何から何まで……」
「誠に、あなた様と神が居られなければ、今頃我が国は汚名を着せられた挙げ句滅ぼされ、世界もまた滅んでおったでしょう。どれ程の言葉を尽くしても足りません」
ジェロディの後に言葉を続けた国王が、鈴音に対して両手を胸に当て跪く。
「いやいや、私は大した事してませんので!神様方がお優しくて良かったですねって事で」
立って立って、とジェスチャーで伝える鈴音に国王は微笑んだ。
「ご謙遜を……。改めてお礼を申し上げたいので、どうかこちらへ御足労願いたいのですが」
「あ、すみません。私の大事な神様をお待たせしているので、最短距離を全速力で帰ります」
無理、と顔の辺りまで手を挙げてキッパリ断る鈴音。
「なんと!もうお帰りに!?祭りを催し国中を練り歩いていただく計画が……ッ」
国王が漏らした計画を聞き、庶民の鈴音は『なんじゃそりゃー!?絶っっっ対無理』と心の中で思い切り首を振る。
「国が落ち着いて、美味しいご飯なんかも復活した頃にまた遊びに行かして貰いますんで、今日のところは勘弁して下さい」
申し訳無さそうに頭を下げる鈴音に、今度は国王やジェロディが頭を上げてくれと慌てた。
「畏まりました、美味なるものにございますな」
背後に炎が見えそうな勢いで気合いを入れる国王に、何だか嫌な予感がした鈴音だが口は挟まないでおく。
何を言っても自身の意図とは違う解釈をされそうな気がしたからだ。
「ほな、もう行きますね。また会う日までお元気で」
「ははッ!鈴音さんもご無理はなさいませぬよう」
「美味なる名物を御用意してお待ち申し上げます」
既に挨拶の内容がおかしい国王にコケそうになりつつ、笑顔で手を振った鈴音はその場から跳び去った。
一連の流れを見ていた記者は、鈴音と虹男が消えた方へ頭を下げる。
鈴音の動きを真似したのだ。
その後官邸から一番近い街道の方角へ向き直り、亡き同僚の姿を心に描いた。
「この仕事に目処がついたら、家族揃って穏やかに眠れるようにしてやるからな。もうちょっとだけ待っててくれ」
そう呟いて、神官に囲まれへたり込んでいる元大統領達を鋭い視線で射抜く。
「神官様方、奴らに質問などなさいませんようお願いします。迂闊な返事や聞き逃しての沈黙などで、神の制約が発動する危険があります。可能なら会話が出来ないように、離れた場所へ個別に隔離しておきたいですね」
心得たと頷く神官達の中から、門前の軍はどうしようかという話が出た。
神に弓を引いて怒りを買い、結果震え上がる羽目になった小物達だ。
「なるほど軍にも腐ってる奴らがいるんですね。証人として使えそうな奴は居るかな……え、中隊長?それは是非確保したいですね。死にかけ?はい、治療をお願いします。これを機に議員も軍人も纏めて綺麗にしてしまいましょう」
記者の指示で神官が動き、悪党達が連行される。
国王達は国王達で、まだ使える中継機能を使って次の会議について相談しているし、神官長達もまた同じく今後について話し合い始めた。
集まっていた人々は現実離れした体験の余韻に浸りつつ、それぞれの居場所へと戻って行く。
再び、当たり前の毎日が動き始めた。
「うーーーん、何か忘れとる気がするんよねー」
その頃鈴音は街外れで唸っていた。
「なになに?おーい」
鈴音の顔の前で両手を振る虹男。
それを見た鈴音は、ハッと目を見開く。
「金や、金!神様方に貰た金!革袋に入れとったやつ!どこやった?手に持っとったやんね?」
「……あれ?うーーーん」
今度は自身の両手を見た虹男が唸り出した。
「あんだけあったら結構な復興資金になる筈やねん」
「あ!階段に座ってた時に氷漬けになったかも。でもその後溶かしたからー……あの辺に置きっぱなし、かな?」
えへ、と小首を傾げる虹男を半眼の鈴音が見つめる。
「神官さん達は真面目やから、拾たもんを勝手に換金したりはせん思うねん。後でこっそり、復興に使ってね、とか書いた紙張り付けに行ってくれへん?嫌やったら戻って言いに行くけど。忘れとった私も悪いし」
「ん?紙張り付けとけばいいの?解った、後でやっとく。悪戯みたいで楽しそう」
面白がる虹男に、戻る手間が省けた鈴音はほっとした笑みを見せた。
「ホンマ?ほなお願いするわ、ありがとう。ほんで、虹色玉みたいな石がある山、どっち?」
「あっち!どっちが早く着くか競争ッ!!」
ずらり並んだ山のどれかを指差すや否や、猛スピードで飛んで行く虹男に鈴音の目は点である。
「ま、待てぇええええーーー!!説明アバウト過ぎなんじゃーーーッ!!」
魂の光を全開にした鈴音は、地を走る彗星と化しながら虹男を追った。




