第百二話 修羅場
突き飛ばされると思われた副隊長だったが、絶妙なタイミングで横移動し背後からの攻撃を回避して見せる。
そのまま、体勢を崩した隊長の背を強く押して転ばせ、尻を蹴り飛ばした。
結果、精霊術式の中へ完全に入り込んだのは隊長の方である。
呆然とした表情で己を見上げる隊長に、副隊長は実に楽しげな笑みを向けた。
「何故気付かないと思ったんだ。お前が私を信用していないように私もお前を信用していないんだから、これくらいの事は予想するに決まっているだろう」
勝ち誇った顔で言いながら、壁に何本か掛けられている剣へと近付き、どれにしようかなと選ぶ。
「私は正真正銘の貴族だからな。幼い頃より護身術は叩き込まれている。背後に立とうとする者への警戒など当然の事なんだよ。ああ……平民の王子サマはご存知無いか」
「アキレギア……ッ!!」
平民呼ばわりされ青筋を立てた隊長は、忌々しげに副隊長の名を呼び立ち上がった。
「おや、どうなさいましたか平民のモンクシュッド隊長」
剣を手にした副隊長が、醜い笑みを浮かべ軽く素振りをする。
「これはお前が私にしようとしていた事だろう?まずはその身で試してみるといい」
そう言って、笑みを浮かべたまま隊長へ向けて剣を突き出した。
後ろにある球体に触れぬようどうにか躱した隊長だが、副隊長は精霊術式の外を回りながら何度も剣を突き出す。
「全く、何が王子だ、平民の分際で、身の程を知れ、身の程を」
副隊長がぶつけるのは、つまらない挑発の礫だ。
しかし隊長にとっては堪え難い屈辱のようで、顔を真っ赤にし目を血走らせている。
そんな状態では冷静な判断など出来よう筈も無く、副隊長が突き出した剣を両手で掴み、引っ張るという暴挙に出てしまった。
「……馬鹿な奴だ」
一瞬驚いた副隊長は直ぐに呆れた顔になり、当然の如く全身が引き込まれる前に剣を手放す。
「……っ!!」
目を見開いた隊長は、思い切り引っ張った自身の力そのままの勢いで後方へと倒れて行った。
精霊術式という巣の真ん中で静かに獲物を待つ蜘蛛のような、真っ黒い球体の上へと。
「ぅぐ……ッ」
潰されるかに見えた球体は、影のように隊長の背中から腹へと突き抜ける。
直後、弾けるようにして四方八方へ数え切れない程の細長い黒を噴き出した。
その黒が隊長に巻き付き、姿を覆い隠して行く。
「何が起こるんだ……?」
怪訝な顔で見つめる副隊長の耳が、とても不快な音を拾った。
骨が砕けるような音と肉が千切れるような音だ。
副隊長も流石に嫌そうな表情をする。
そんな中、隊長を覆い隠した黒い何かが伸び縮みしながら形を変えた。
ぬうっと立ち上がったそれは、人の形と言えば人の形をしているものの、元の隊長よりも随分と大きい。
身長3メートルはあるだろうか。
体型は類人猿に近いが、それにしたって腕は長過ぎるし倍近い首の長さが異様だ。
「な……なんだコイツは」
これでは目的の為に使えない、と副隊長は顔を顰める。
「移動はさせられても人目につき過ぎるだろう……倒すしかないな」
中身の下種さはともかくこの男、怪物から国を守る最前線の砦で副隊長を務められる実力の持ち主だ。
逃げるのではなくここで始末するという選択をした。
「やれやれ、人を材料にしてコレではな。この方法で家の者達を葬るのは無理という事か」
副隊長の声が聞こえているのかいないのか、顔の無い黒い化け物はゆっくりと動いて、精霊術式の中から腕を突き出す。
「なにッ!?」
壁に掛けられた別の剣を取ろうとしていた副隊長が、驚愕のあまり大きな声を出した。
それに反応するように、化け物が頭を動かす。
精霊術式の中からは出られないと思い込んでいたらしい副隊長は慌てて剣を構え、化け物を睨み据えた。
「大人しくしていろ!」
隊長の身体を取り込んだのだから物理攻撃も効くだろうと、突き出た腕を斬りつける副隊長。
しかし空振りしたかのように何の手応えも無く、真っ黒な化け物はそのまま進んで精霊術式の中から出てしまった。
「クソッ、精霊術でなければ効かんのか!?」
顔を歪めた副隊長は、警備隊所属の精霊術師を呼ぼうと階段へ向かう。
ここは隊長室からしか入れない場所なのだから、何か聞かれても適当な嘘を吐けば、罪は全て隊長に押し付けられると今更ながら気付いたのだ。
死人に口なし。
さっさと戻って皆で片付けよう、そう思い階段を上りかけた所で、足が急に動かなくなる。
「なんだ!?」
見れば、副隊長の足には化け物の手から伸びた黒い縄のような物が、ぐるぐると幾重にも巻き付いていた。
「チッ!」
断ち切ろうと剣を突き立てるも、これまた何の手応えも無い。
「……誰か、誰か聞こえるかー!!」
頭上の出入口へ向け大声を張り上げる副隊長だったが、悲しいかなそれが外へ届く事はなかった。
何故なら彼を殺すつもりだった隊長が、万が一にも悲鳴など漏れ聞こえては敵わぬと、出入口の蓋も隠し部屋に続く本棚も隊長室の扉も全て、きっちりと閉めてからここへ来たからである。
「ふざけるなよ、誰がこんな所で」
こうなれば足を斬り落とすしかあるまいと視線を戻せば、既に下半身全体が黒に覆われていた。
腰から腹へじわじわと侵食を続ける黒と、階段下から迫り来る黒の化け物。
化け物は一切の物音を立てず、地下室に響くのは副隊長の荒い呼吸音のみ。
「……来るな。来るなぁッ!!」
身体を捻って剣を振り回すが効果などある筈も無く。
静かに動く化け物がゆっくりと覆い被さり、副隊長の声は聞こえなくなった。
骨の砕ける音が響く中、化け物の体から吐き出されるようにして、剣だけが精霊術式の方へ飛んで行く。
床に落ちる金属の鈍い音を残して、化け物は出入口を擦り抜け地上へと向かった。
ここで一旦休憩とばかり骸骨が術を解除する。
虎吉と虹男以外の全員が、大きく息をついて肩の力を抜いた。
「っはー……、気色悪かったぁ、特に音がアカン音が。いかにも食べてますみたいな音はアカンて」
身震いしつつ鈴音が言えば、皆も顔を顰めて頷いている。
「アレが上に出て混乱が起きた所に、アレに呼ばれたか釣られたかした怪物の大群が押し寄せたんやろな多分」
階段を上り隊長室へ戻りながら呟く鈴音に、虹男が首を傾げた。
「多分とか言わないで、骸骨に見せて貰えばいいのに」
「いやそんなん、スプラッタどころの騒ぎちゃうやん?まあ、あれやねん、何で怪物が居らんようになったんか確かめなアカンから、ある程度は見る羽目になんねんけども、最小限にしときたいやん最小限に」
力説する鈴音へ皆が大きく頷いて同意を示している。
「そうなんだー」
「そうやねん」
不思議そうな顔をする虹男に、鈴音は思い切り頷いておいた。
「さて。ほんなら次は何処に行くんが正解やろ。塔の上から全体の流れを見下ろしてみる?」
鈴音の提案に皆が状況をイメージしている。
「……そうですね、外で何も起こらなければ中を確認すれば良い訳ですし」
サントリナが頷き、皆も賛成した。
そういう事になり、飛行や跳躍というショートカットが使えない神人一行は、長い長い螺旋階段を黙々と上る。
賛成するんじゃなかった、と顔に書いてあるように見えるのは気のせいか。
塔の上に出た神人一行は氷漬けの怪物にギョッとし、鈴音の説明を受けて納得。
全員が散らばって全方位を視界に収められる状態を作ってから、骸骨が空中に円を描き術を発動する。
お馴染みの巻き戻しの後、空も地上も大量の怪物で埋め尽くされた映像が再生された。
「うわ……こら酷いわ」
怒号に悲鳴、矢と精霊術が飛び交い、怪物も人も無く死体が重なる修羅場に、鈴音は厳しい顔となる。
「おう、あの巨人も居るで。よってたかって壁殴ってブッ壊しよるな」
通常時なら、石造りの壁が破壊されるまで取り付かせたりはしないだろう。
精霊術で上から攻撃すれば楽に勝てると思われる。
だがこの時の砦にそんな余裕は無かった。
一つ目の巨人が空けた穴から、小型中型の怪物が雪崩れ込んで行く。
「……助けに行かれへんのがキツいな……。あ、そうや、アレはどこ行ったんやろ。誰かあの黒い奴確認出来てますー?」
ちらりと振り向いて声を掛けた鈴音に、タイマスが応えた。
「こっちに居ます!塔の下辺り!人を取り込む度に大きくなるのか、腕が八本?十本?何だかワケの解らん見た目になってます!あ、危ない!無理だ逃げろ!!あぁ……」
これは過去、既に起きてしまった事、変えられない事実。
解ってはいてもやはり、人の多くはタイマスのような反応をしてしまう。
イキシアもサントリナもアジュガも、少なからず叫んでいた。
特にイキシアは杖をきつく握り締め、この場に自分が居ればと唇を噛み悔し涙を流している。
あの黒い何かを滅する事が出来るのは、神人の力以外にあり得ないと解ったからだ。
副隊長は精霊術でなければ効かないのかと言っていたが、その精霊術を撃ち込まれてもアレは怯む様子さえ無かった。
怪物達の憎悪と人の恐怖を食って生まれた化け物には、神人が使う光しか効かないのだ。
「もっと早く……ここに来ていれば……!」
涙声の呟きが耳に届き、鈴音は小さく息を吐く。
神人といったって人だ。神ではない。
たかが人ひとりに出来る事など限られている。
今こうして過去を見ている間に、別の何処かで似たような事が起きているかもしれない。
その全てに居合わせて誰も彼も救うなんて事は、もし出来るとしたらこの世界を創った神だけだ。
だから、居なかった場所で起きた事にまで責任を感じて泣く必要なんてない。
でも、散って行った人々を思い未来へ繋げる為の涙なら、流せるだけ流せばいいと思う。
そうして心に刻み込んで、自分の手が届く範囲に助けられる人が現れたなら、持てる力の全てを使って助けてやればいい。
「……こんなん、わざわざ言うたらんでも、あの子なら自分で気付くやろな」
「うん?どないした?」
見上げて来る虎吉の可愛らしさに目尻を下げつつ、鈴音は首を振る。
「親や先生は、何をどこまで教えるか考えんの大変やろなーって思ただけ」
「お、おう。脈絡無さ過ぎてようわからん」
「あはは、ごめんごめん」
首を傾げる虎吉を撫でていると、アジュガが声を上げた。
「向こうから誰か来ます!」
アジュガが見ているのは、村から続く道がある方向だ。
全員そちらへ集まり下を見る。
馬に乗った女性が砦の入口付近で剣を振って怪物達を斬り捨てながら、上から見下ろす者と会話していた。
「あれは、鎧の中の女性です!」
イキシアの声に成る程と鈴音は頷く。
「街に出とった言うてたもんね。あ、引き返した。救援要請に行ったんや。でも次に戻って来るんは全滅した後やんね?ほな、この間に何かが起きるんやわ」
また元の位置で全方位を観察だな、と皆が思った時、馬に乗った女性隊士が走り去った道に、突如として人が現れた。
空間の歪みというか、ゆらぎのようなものと同時に突然出て来たので、皆揃って目が点である。
「えーと、瞬間移動みたいな、遠くにポンと出て行ける術とかあります?」
鈴音の問い掛けでサントリナが我に返って頷いた。
「はい。時空の精霊術に空間転移があります。ただ、実際に使われた場面は初めて見ました。昔話や伝説にしか出て来ないというか……本当に居たんですね使える人」
サントリナが憧れの眼差しを向ける先で、ローブのフードをすっぽり被った術師が杖を構える。
暫し後、杖が淡く輝いたかと思うと空から光の雨が降って来た。
「え!?」
「これは……!」
イキシアとサントリナが目を見開いて、光の雨と術師を見比べている。
鈴音が砦の上を確認すると、怪物達は光の雨を嫌がって逃げ惑っていた。
そんな怪物達と同じく、隊長以下多くの人を飲み込んだ黒い何かも雨を嫌がり、グニャグニャと形を変えながら砦前に立つ術師の方へと移動している。
分厚い壁を擦り抜けて黒い何かが姿を見せると、待ってましたとばかり術師は光の矢を一斉に放った。
多くの矢に貫かれた黒い何かは散り散りになり、てんでバラバラに森へと逃げて行く。
それを追う事はせず再度光の雨を降らせた術師は、来た時同様突然消えた。
「うーん?神人が使う術ですよねあれ。ただ、私の知ってる術より威力がかなり劣るけど」
首を傾げる鈴音にイキシアとサントリナが頷く。
「今の神人と私しか使えない筈なんですが……」
「現在の神人は神殿で我々の到着をお待ちですし、そもそも神人が撃った光矢があの程度の威力の筈がありませんし」
イキシアが同じ事をすれば、砦の形が変わっていただろう。
「ふんふん、今の神人さんがお出ましになる事はないと。伝説級の転移術が使えて、神人の術も使う謎の術師か。まあ、何にせよあの人のお陰で村が救われた訳やね。怪物がパッと居らんようになった理由は解った。ほな後は謎の術師の正体を調べましょか」
頷いた骸骨が眼窩の光を消して術を解除し、先程まで謎の術師が居た場所へ飛んで行く。
「あっちに行けばいいの?それじゃお先にー」
虹男もまた当たり前のように飛んで行く。
「向こうで待ってますんでー」
笑顔でそう告げて、鈴音は床を蹴り跳んで行った。
軽やかに着地した先で大きく手を振る姿を見ながら、神人一行は遠い目になる。
「……急ぎましょう」
サントリナの一言に全員で頷き、ひたすらに階段を駆け下りた。




