3 夕餉の休息
マルタと別れ、今日の探索はこの辺で切り上げることにした。寒い地下迷宮から地表に戻るとその温度差に驚く。体感的にも十度以上の寒暖差がありそうだ。
やや西に傾きかけた日を背に受けながら、俺たちは街に戻る。夕食時の街中は活気に満ち、多くの迷宮帰りの冒険者たちや、そんな彼らを呼び込もうとする商人たちの声が交錯する。
「今日のご飯どうする?」
「あー、そうだなぁ。行きつけの店……に行っても酒呑めないしなー……」
日課だった飲酒ができないのはとても世知辛い。顔なじみの店も一応料理店の体裁を取ってはいるが、実際は居酒屋だ。アルコールの匂いが漂う中、それにありつけられないのは生殺しもいいところだろう。
「おや、ラウラにトリシャじゃないか」
とりあえずその辺の大衆食堂を見繕うとした時、聞きなれた声が耳に届く。振り返ると買い物袋を下げたハリーが立っていた。
神父姿のままで雑多な荷物を持つ姿は何というか……実に俗世的である。まあ本当に生臭だけど。
「迷宮帰りみたいだな。どうだい、初めての第二階層は」
「ぼちぼちってとこ。まだ上層だもの」
「二層は既に開拓された迷宮、言ってしまえば先人の足跡を辿ってるだけだ。でも油断するなよ。死亡率は一層の倍以上だぞ」
「分かってるよ」
またこの前みたいな不死身のヨルムンガンドみたいな奴が出てくるかもしれないしな。
「ところでこれから私は食堂に向かうんだが、良ければどうだい?」
ハリーの提案に、俺はトリシャを見る。彼女もコクリと頷いた。
「じゃ、一緒に行くよ。まだどこで食べるか決まってなかったんだ」
俺たちはハリーと一緒に食事をすることに決まる。
途中、共同墓地に通じる三差路で彼は立ち止まった。
「少し待ってくれ。ガラフと待ち合わせしたんだが……ああ、丁度いいタイミングだったな」
墓地に通じる道は寂しく、人通りはほとんどない。夕闇に染まったなだらかな丘陵から一人の男が歩いてくる。ガラフだった。
「よお。お揃いで」
軽く手を上げ、挨拶する。俺もそっと頷いた。
彼が墓地に行く理由は一つしかないだろう。
「ポールの野郎を弔ってきた。まあ奴はヨルムンガンドに食われちまったから、生前にもしもの時のために貰っておいた遺品があって良かったぜ」
あんな奴だったけど――それでもガラフにしてみれば戦友だったんだろう。昨日まで当たり前にいた仲間がいない世界は広すぎる。
「なにお前らまで暗い顔してるんだよ。俺のことは気にするな、冒険者やってりゃ避けられねぇ運命なんだ。ましてや俺たちはお前らに色々無礼なマネをしちまった……その報いさ。ボウマンなんて当分、病院くらしだぜ」
元気づけるように豪快に笑うガラフ。底抜けの笑い声だが、どこか空虚に感じられる。
冒険者の心構えは常在戦場だ。常に〝その時〟の覚悟は持たなければならない。突然の別れは絆や誓いすらも容易に引き裂くのだから。
――でも。
だからこそ盾が生まれた。全てを護るために、理不尽な運命に『否』を叩きつけるために、聖騎士は盾を誇りとした。
例えその名声が地に堕ちても失われることはない。誰かを守りたい――そう願う心がある限り。
「ラウラ?」
視線に気づいたトリシャが首を傾げる。
「何でもないよ」
俺はそれに対し、ただ笑顔で返した。
夕方の食堂は混雑していたが、運よくテーブル席が空いたのでそこに素早く陣取る。
「……酒……」
しかしそこは俺にとって耐えがたい場所だった。何故よりにもよって居酒屋なのか、この生臭神父め。
「ハハハ、ラウラ。良い目つきじゃないか。もっと私を睨んで……」
「黙れ」
早くも赤ら顔のハリーの向こう脛を割と本気で蹴り飛ばし、沈黙させる。酔い覚ましにもなるだろう。
「あー、禁酒なんてやってらんねぇ……」
やっぱやめときゃ良かった。何で飲酒に年齢制限なんてあるんだ。だったら冒険者にも年齢制限つけろよ。俺みたいな小さい子が戦場に出ていいのか? 規制されたらされたで本当に困るが。
渦巻く負の念を飲み込むように、アルコール分のないホットミルクをチビチビと口に含む。
一方ハリーは本格的に酔い潰れ、管を巻き始める。こんなのでも神職が務まるってんだから、年々教会の威光が薄まっていくのもしょうがない気がした。
夜が更けるにつれて酒場の席は埋まっていき、大ジョッキを片手に男たちは野太い声で歌い出す。ありふれた曲調だし、音程も酷いものだ。
でも不思議な居心地の良さを感じずにはいられない。だからここは好きなんだ。たとえ酒が飲めなくとも。
「おい、知ってるか?」
大合唱もひとまず落ち着き、まためいめいで談笑に耽る頃、ある会話が耳に届いてくる。隣の席に座った冒険者らしい男たちのパーティからだ。
「なんだよ」
「帝都七大貴族のエーデルヴァイン家が近々、ノイスガルドに来るってよ」
「おいおい、貴族様がこんな酒臭い街に何だって来るんだ? まだ魔物狩りの時期にはちと早いだろ」
「さあな。噂好きの連中によれば何か依頼でも持ってくるんじゃないかって話だ」
「へぇ、それが事実なら是非とも来ていただきたいものだね。貴族様からの報酬だ、そら大層なモノが貰えるだろうよ」
帝都七大貴族。皇帝に永遠の忠誠を誓った七つの血筋をそう呼び、家系図を辿るとあの聖騎士王ジーク・オリバーと共に戦った七人の旅の仲間に行きつく。いわば最も王権に近い権力と富を有した名家中の名家だ。
そのうちの一つがエーデルヴァイン家。先祖はジークの伴侶となったシャルロット・フォルナ・エーデルヴァイン。世界一の魔法使いとも言われる。
そんな人たちがノイスガルドに来る? 何故? ハリーなら何か知ってるかも……と思ったが。
「おい、ハリーさんよ。ここで寝たら風邪ひくぞ」
グラス片手にテーブルへ突っ伏し、寝込んでいた。ガラフが肩を揺すっても鼾で返事するだけである。
だーめだこりゃ。
俺は溜息を吐き、傍を通り過ぎたウェイトレスに料理を注文した。