手紙
十一月十八日。セツナはミサカイ峠に向け車を走らせていた。無線から男の念押しの声がかかる。
「いいか? 初瀬。くれぐれも先走った行動はとるなよ。」
「ええ。分かっているわ。この機会を確実にものにするには慎重に動く必要がある。そうでしょ?」
「……分かっているなら良い。現場に着いたら指示を出す。不審な点があったら連絡しろ。」
「了解。」
アヤミ町市街から南東十キロメートルほど行ったところにあるミサカイ峠ははるか昔から行方不明者が続出し、神隠しに遭うといわれた。この為、近隣住民は近づくことを恐れ峠周辺の手入れは殆どされていなかった。なので、この峠は良く晴れた昼間でも薄暗く、猫の子一匹見当たらない。まして今は二十時を過ぎたところだ。辺りは電灯もないため暗闇はいよいよ深さを増し、ヘッドライトの明かりだけを頼りに車を走らせていた。道路沿いには樹齢数十年程の針葉樹林群と不気味な静寂が続いていた。
しかし、今のセツナにとってこの静寂は考えに没頭する為には都合がよいものであった。――これから会う人物のこと、これから起こること。いくつもの疑問や不安が心中に浮かび上がってはぐるぐると彷徨っていた。
事の起こりは助手席に置いたショルダーバッグの中にある一枚の手紙と小ぶりのハートが愛らしいネックレスだった。
今から一年前の十一月十八日。セツナの婚約者、鷺沼ユウイチは自宅で殺害された。第一発見者は彼の母親だった。母親は連絡をしても返事のない息子を心配し、一人暮らしをしている彼のマンションを訪ねた。遺体の状態は悲惨なもので、頭部がまるで水風船をアスファルトに叩き付けたかのように吹き飛んでいた。その衝撃の凄まじさたるや、部屋中に死臭が立ち込め、血や肉片が飛散し目も当てられない有り様であった。
彼を溺愛していた母親は強いショックを受け、未だに日常生活を満足に送ることが難しいという。
また同日にハルカの唯一肉親である妹が行方不明になっていた。妹の名前はハルカといった。
警察は怨恨のためユウイチを殺害し、ハルカを誘拐した線が一番濃厚として殺害されたユウイチはもちろん、彼の肉親、親族、婚約者であるセツナやハルカの交友関係を徹底的に洗ったが、捜査は難航した。
何しろ殺害された婚約者は人を軽んずる性分なので人の恨みを買いやすく、彼を憎むものは大勢いた。また、セツナ自身も警察官であり、職業柄どうしても逆恨みを買いやすく、セツナに恨みを抱くものも少なくなかった。
ユウイチを殺害する動機があり、妹であるハルカを誘拐しようと企むものなど、それこそ掃いて捨てるほどいた。
そうして捜査が進展しないまま時は過ぎ十一月十八日を目前に控えたある日、セツナの元に一通の手紙がきた。――それは一年前に失踪したハルカからのものであった。
それは奇妙な手紙だった。昨晩は何も置かれていなかったベッドサイドテーブルの上に、封筒と見覚えのある華奢なハートのネックレスを見つけたのは朝起きてすぐのことだった。
ネックレスを見たとき、セツナは自分の交感神経が一気に活性化されるのを感じた。よく見知ったハート型のネックレスは、ハルカの就職祝いにセツナがプレゼントし、肌身離さずつけていたものだったからだ。
(なぜ。どういうこと。)
起きたばかりだというのに、嫌な汗をかいている自分を感じる。セツナは一人暮らし。玄関はオートロックだし、窓が開いた、若しくは割られた様子はない。
(一体どこから。)
煩い心臓に急かされながら、ありふれた茶封筒の封を切り中を確認する。一枚の便箋に書かれた、久しぶりに見る妹の筆跡を見て視界が滲む。
親愛なるセツナ姉さんへ。
ずっと連絡しなくてごめんなさい。
姉さんに会いたい。けど、時間がないの。
十一月十八日の夜九時にアヤミ町にあるミサカイ峠に来て。
そこから姉さんを私のところに来られるようにしておく。
絶対、来て。お願い。
ハルカ