サイラスの秘密
「あなたと二人きりになることはできない」
開いた扉の向こうから聞こえたのは予想だにしない人の声だった。
(……! サイラス殿下⁉︎)
声の主はサイラスで、目の前の人に向かって言っているようだった。
「あら。でも廊下で話していたら誰かに聞かれてしまうかもしれなくてよ?」
そう答えた声は、クロエにも聞き馴染みのある声で。
「ここまで誰とも会わなかったが? もし部屋に入るというのなら、扉は開けたままで、あなたの侍女と私の従者も一緒ならいいだろう」
サイラスはどことなく不機嫌そうな声で答えるが、相手はそんなこと気にもしていないように笑う。
「わかりましたわ。殿下のお望みの通りにどうぞ」
そう言って部屋に入ってきたのは……。
(リリアン……様)
まるで覗きをしているような状況を恥ずかしく感じながらも、カーテンの隙間から部屋を見たクロエは息を呑んだ。
長居をする気はないのか、入ってきた二人は立ったままで、リリアンの後ろに侍女が控え、サイラスの後ろには従者がいる。
たしかに二人きりではないが、しかしこんなところで密かに会うなど、決して褒められたものではない。
「父も殿下とはもっとお話しをする機会が欲しいと言っておりましたわ」
「しかしあんな風に呼び出されては困るのだが……」
「普通にご招待しても来てはくださらないでしょう?」
「もう個人的にオーブリー邸に訪問することはないと伝えたはずだ」
ポンポンと交わされる会話からは、二人がそれなりに親しい間柄だということがうかがえる。
(お二人はあんなに気兼ねなく話せる関係だったの?)
目の前の光景に、クロエは言葉にならないショックを受ける。
今までクロエも一緒にいた場では、王子殿下と公爵令嬢以上の親しさを感じさせることはなかったのに。
「つれないのね」
不意に、リリアンの口調が変わった。
親しい中にも公爵令嬢らしい話し方だったものが、一気にそれ以上の何かを孕んだものになる。
「あなたと私は婚約を結んだ仲なのに」
(……‼︎)
驚きに悲鳴を上げそうになるところを、クロエはすんでのところで呑み込んだ。それでも意味のない言葉が出てきそうで、自らの両手で口を塞ぐ。
「それは正式なものではなかっただろう?」
「いいえ。まだ社交が始まる十歳になっていなかったから公表していなかっただけで、王家とわたくしの両親との間では決まっていたでしょう?」
リリアンの言葉にサイラスが何と答えるのか。
一言も聞き漏らすまいとクロエは耳を澄ませる。
「……」
サイラスは、何も答えなかった。
その沈黙が肯定であると、わからないほどクロエも鈍くはない。
「それなのにあなたは急に婚約の話をなかったことにした。正式な書面を交わしていなくても決まっていたことなのに、わたくしはとても辛かったわ」
リリアンは声を震わせてそう言った。
(サイラス殿下とリリアン様が……婚約を……結んでいた)
それが解消されたのは、クロエがサイラスをかばって怪我をしたからなのだろうか。
「……」
「何も言ってくださらないのね」
衝撃を受けるクロエの耳に衣擦れの音が聞こえた。
カーテンの向こうでどんなことが起こっているのか。
見てはいけない、そう本能ではわかっていたのに、それでもクロエは我慢することができなかった。
少しだけ開いたカーテンの隙間からリリアンとサイラスが抱き合う姿が見える。
「……‼︎」
悲鳴は、喉の奥へと消えた。
「あなたは私に注意をするけれど、私があの子に少しの意地悪をしてしまうのは仕方ないと思って欲しいわ。だってそれだけのことを、したでしょう?」
『あの子』というのが自分を指しているのだとクロエは悟る。
サイラスがリリアンのクロエに対する行動を注意し、リリアンはそれに対して理解を求めている。
そういう、ことなのだろう。
「たとえどんな事情があろうとも、リリアン嬢の行動は褒められたことではない。あなたは公爵令嬢だ。他の令嬢たちの手本になるべき立場。それをわかっていればあんな行動はできないと思うが?」
そう言いながら、サイラスは自身の体に回されたリリアンの腕をほどく。
「話がそれだけなら失礼する。オーブリー公にも伝えたが、私があなた方の希望を汲むことはない。私の婚約者はクロエ嬢だ。これからはそのことを念頭に置いて行動してもらいたい」
リリアンを見ながらはっきりとそう言うと、サイラスは自身の従者を連れて開いていた扉から出ていった。
つかの間の沈黙が室内に落ちる。
部屋の中にはサイラスに残されたリリアンと侍女、そしてカーテンの後ろに隠れているクロエだけ。
リリアンがいなくならなければクロエはここから出ることもできないが、同時に彼女が鍵をかけて行ってしまったら閉じ込められたままになってしまう。
(どうしたら……)
先ほどの二人の会話から受けた衝撃から立ち直れず、クロエは混乱から抜け出せないままだった。
だから、気づかなかった。
「そんなところに隠れていたのね」
嘲るような声と共に、クロエが隠れていたカーテンがさっと取り払われる。
「‼︎」
突然のことに目を見開くクロエを眺めながら、リリアンはその口元に含み笑いを浮かべた。
「これでわかったでしょう? あなたはわたくしと殿下の間に割って入ってきたお邪魔虫なのよ。殿下だって本当はわたくしとの婚約を続けたかったはずなのに、あなたが余計なことをしたせいでわたくしたちは別れなければならなくなってしまったわ」
そしてへたり込んでいるクロエの顎を手にしていた扇で持ち上げると言った。
「何回も教えてあげたわよね? あなたは『傷もの令嬢』よ。殿下の婚約者にはふさわしくないの」
リリアンは触れているのも汚らしいとでもいうようにパッと扇から手を放す。
「あら、汚れてしまったわ。その扇はもう使えないわね」
そう言い捨てると、リリアンはクロエを一瞥してから侍女を伴い部屋を出ていった。
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