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第10話 404号室の前

小峰が見つけたのは、水曜日の朝だった。


ビルの一階に警備室がある。管理会社が残していった監視カメラのシステムが、まだ生きていた。電源は建物の共用電源から取られていて、テナントがすべて退去した後も録画を続けていたらしい。八台のカメラが各階の廊下を映し、データは警備室のハードディスクに上書き保存されている。保存期間は二週間。小峰は配線の確認で警備室に入り、モニターが点いていることに気づいた。


「久住さん、ちょっと見てほしいんですけど」


小峰の声にいつもの軽さがなかった。理帆は一階に降りた。警備室は二畳ほどの狭い部屋で、スチールラックにモニターとレコーダーが載っている。モニターは十五インチの古い液晶で、画面が黄ばんでいた。八分割の映像が映っている。各階の廊下を捉えた、動きのない灰色の映像。


警備室に入った瞬間、あの匂いがした。ビルの匂いではない。404号室の匂い。甘くて重い、花が枯れかけるときのような匂い。狭い空間に凝縮されている。壁が近い。四方の壁が理帆の肩に触れそうなほど近い。息が浅くなった。


「これ、昨日の夜中のなんですけど」


小峰がレコーダーを操作した。タイムスタンプが巻き戻される。画面の右下に日付と時刻が表示されている。昨日——火曜日の午前二時十四分。四階の廊下を映すカメラの映像だった。


薄暗い廊下に、人影があった。


404号室のドアの前に、誰かが立っている。カメラは廊下の端から奥を捉える角度で設置されていて、人影は画面の奥、ドアの正面に位置していた。画質が粗く、顔は判別できない。全身がぼんやりと白っぽく映っている。服装も分からない。ただ人の形をした何かが、ドアの前に立っている。


動かない。二時十四分から十五分、十六分、十七分。タイムスタンプだけが進んでいく。人影は微動だにしなかった。


「ずっとこのままなんですよ。二時過ぎから四時まで、約二時間」


小峰が早送りにした。タイムスタンプが加速する。人影は動かなかった。二時間のあいだ、404号室の前に立ち続けている。早送りの中で唯一動いているのはタイムスタンプの数字だけだった。午前四時を過ぎたあたりで、人影が消えた。フェードアウトするように薄れて、いなくなった。歩き去ったのではない。その場で、消えた。


理帆は画面を見つめていた。首筋が冷たかった。警備室の空調は動いていない。この冷たさは404号室で感じたものと同じだった。画面の中の人影は、ただ立っている。404号室のドアに向かって。まるでドアの向こうにいる誰かと話しているように。あるいは、ドアの向こうの何かに聞き入るように。


理帆は自分がその姿に既視感を覚えていることに気づいた。梶原が壁に手を当てて目を閉じていた仕草。あれに似ていた。建物に耳を傾けている人間の姿勢。


「誰すか、これ」小峰が言った。声が乾いていた。「分からない」


理帆はそう答えるしかなかった。ビルに夜間の警備員は配置されていない。施錠は管理会社が行っている。鍵は管理会社と梶原設計が一本ずつ持っているだけだ。深夜二時に四階にいる人間はいない。いるはずがない。


「不法侵入かもしれない。管理会社に確認しよう」


自分の声が妙に落ち着いていることに、理帆は気づいていた。落ち着いているのではなく、落ち着こうとしている。不法侵入という説明を自分に与えることで、画面の中の人影に名前をつけようとしている。名前がつけば怖くない。説明がつけば考えなくていい。


けれど不法侵入者は二時間もドアの前に立ったりしない。消えるように姿を消したりしない。理帆はそのことを分かっていた。分かっていて、不法侵入という言葉を選んだ。


小峰は頷いた。けれどその目は画面を離れなかった。再生は止まっていて、四階の廊下には誰もいない。蛍光灯の光と、リノリウムの床と、404号室のドアだけが映っていた。理帆は映像を巻き戻した。もう一度見たかった。人影が立っている二時十四分の映像。画面の隅に、別のカメラの映像が表示されている。五階の廊下。三階の廊下。どこにも人影はない。四階だけに、その人影がいる。


——映像をよく見ると、人影の足元に影がなかった。蛍光灯が点いている。廊下に立っている人間なら、足元に影が落ちるはずだ。人影の白っぽい輪郭の下に、影がない。画質のせいかもしれない。暗い廊下で、低解像度のカメラで、影が映らないことはあり得る。あり得るはずだ。


理帆はモニターの脇に目をやった。スチールラックの壁面に、薄い染みがあった。水漏れの跡だろう。茶色がかった輪郭が、壁のコンクリートに滲んでいる。丸みを帯びた不定形の染み。ただの水漏れだ。古いビルではよくある。


理帆はモニターに視線を戻した。

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