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最終章 つばめの羽ばたく空

 合戦のあった日、十河の郷。

 陽が落ちゆく中、百姓たちが仕事を終えて家に帰ろうとしていた時。三百ほどの兵が旗を持ち十河城に向かっているのを見た。

「これは、九州からの報せに違いない」

 領民たちは城に詰め掛けた。しかし。

「そのような兵は知らぬ」

 と言う城の者たちの答え。

領民たちは確かに見たと言うが、城の者は確かに知らぬと言う。もちろんあの三百の兵もいないという。

 この騒ぎを聞きつけ、何事かとお燕は侍女ひとりをともなって留守居の家来にこのことをたずねたが、家来は不思議そうに、

「わりません。私も何がなにやら」

 と答えるのみだった。 

「そうですか……」

 なにかよからぬ予感がする。それを押さえて奥の間へゆけば、千松丸の、

「父上」

 と言う声が聞こえた。

(え、存保様?)

 慌てて千松丸のもとまでゆけば、我が子は、

「父上がそこに」

 と濡れ縁を指差す。まさかと思いつつも、そこを見れば。

「ま、存保様」

 千松丸の言うとおり、お燕はそこに存保の姿を見て、絶句した。存保は妻子をを見て、微笑んでいる。だがその姿は、風に吹かれるかのように静かに消えた。 

 従う侍女には存保の姿は見えなかったが、母と子のそのおかしい様子に、心臓が早鐘のように鳴るのを覚えた。


 十河城での不思議な出来事からしばらくして。今度こそほんとうに数十名の兵たちが十河城に入った。その中に、存保の言葉を受けた寒川七郎もいた。

 七郎は、涙ながらに存保の言葉をお燕に伝えた。

「わかりました。遠路ご苦労さまでした」

 当主の夫人として毅然と、その労をねぎらった。そのあと、奥の間にゆくと侍女に言いつけ千松丸を遠ざけて。

「存保様。あなた様は意地悪なお人でございます」

 と、泣いた。

 土佐でも、同じように小雨が泣いた。

 腹にややを宿していた小雨は、土佐軍が九州に赴いている最中に、女の子を生んでいた。だが父と子の対面はかなわなかった。

 さらに不幸なのは、あの地獄のような戦場から命からがら帰ってきた元親の耄碌ぶりであったろう。元親は何を思ったか娘を小雨から取り上げ、四男千(せん)(ゆう )(まる)(後の盛親)に嫁がせることを強引に決めた。

 次男、三男を差し置いて四男の千熊丸を後継者にすることも決めていた。そのため、家中では後継者争いが起こり、処刑や切腹沙汰のすえに怨霊騒ぎまで起こる始末。

 後に地検や百箇条制定など政治力の高さを見せながらも、戸次川合戦が元親に与えた衝撃の大きさは察して余りあり、豊臣家のもと長宗我部家はひたすら滅亡に向かい突き進んでゆくのであった。

 そんな長宗我部家の様を、小雨は出家して身を寄せる尼寺で静かに傍観して。やがては、その存在も誰からも忘れられて、ひっそりと俗世から姿を消した。


 讃岐の国主もかわった。

 先の九州攻めにおいて軍監をつとめた仙石秀久は、進軍進軍と積極的姿勢をしめしながら罠にはまるや一目散に四国にまで逃げ出し、命拾いをした。世の人々はこの行為を、「仙石は四国を指して逃げにけり、三国一の臆病者なり」と、卑怯者と言って批判した。

 無論これに豊臣秀吉が黙っているわけもなく、罰として所領を没収し高野山へ謹慎させた。

 だが後に浪人の身ながら小田原平定戦に参戦して奮戦し、徳川家康のとりなしもあって信州小諸(長野県小諸市)五万石の大名に返り咲き。没後に子の忠政が上田藩(長野県上田市)に移るまで、名産のそば製造を奨励するなど国造りにはげみ、現在の長野県小諸市の基礎を築くことになった。

 ともあれ、讃岐を去った仙石秀久のあとに尾藤知宣(びとうとものぶ)という人物が讃岐に入ったものの、これまた九州攻めで失態をおかし所領を没収され、さっさと讃岐から出て行ってしまった。

 そのあとに生駒親正(いこまちかまさ)が入り、後の江戸時代の「生駒騒動」と言われる内紛で改易され出羽(山形県)に流されるまで、今は公園として残る高松城を築城するなど讃岐の国主として国造りにはげみ、現在の香川県の基礎を築いた。

 その生駒氏のもと千松丸は養われる身とされ。十河家は先の二万石からわずか三千石にと、所領を大幅に削られてしまった。当主親正いわく、鼻紙代、と。

 幼い身に二万石は多すぎる、とでも言おうか。

 敗戦に敗戦を重ねた末に、存保は九州で戦死し、もはや十河家に力はなかった。それに追い討ちを掛けるように所領の大幅削減。家中のものたちは歯噛みして悔しがった。

「これでは、存保様に合わせる顔がない」

 お燕も同じように悔しがったし、己の非力さがとにかく悲しくもあった。

 それでも、千松丸の存在と成長が支えだった。

 希望だった。

 悔しさと悲しさを噛みしめながらも、成長する我が子に愛情をそそぎ。一日一日を懸命に生きた。

「そなたは、父上である存保様のような、立派な人になり、この十河家を背負ってゆかねばなりません。わかりますか」

 ある日、お燕はそう千松丸に言った。まだ幼少ながら、これから十河家を背負ってゆかねばならないことを、早いうちから自覚させるためだった。

 最初は、あまり意味がよく飲み込めなかったようだったが、母の愛情溢れる眼差しをうけ、

「はい」

 と、元気よく返事をした。

「母上さま、どうかご心配なさらないでください。この千松丸、立派に成長して、きっとご期待におこたえいたします」

 千松丸は母の手を強く握らんがばかりに、目を輝かせながら言った。母親の愛情に応えようと、少年らしい純粋さを胸にいっぱいつめこんで、母親に笑顔を見せた。

「そうです。それでこそ、存保さまの子です。わたしの子です」

 お燕は千松丸の言葉を聞き、涙を溢れさせ、強く抱きしめたくなる気持ちをこらてえ、母親として毅然と振る舞い。我が子を激励した。

 それから月日が経ち、千松丸も母の期待を受け、それに応えて、十三歳の立派な少年へと成長した。

 存保は、自分が死んだら千松丸を秀吉公に伺候せよと言った。

 豊臣秀吉と会って、十河家の存続を認めてもらえるように。

 その豊臣秀吉と会える日が来た。

 生駒親正が大坂へ上る際、十河家の者たちもともに上ることを許された。そこで、豊臣秀吉と謁見することになった。

「よいですか。くれぐれも粗相のないように」

 謁見の直前、あてがわれた部屋で、そわそわする母は我が子に何度も粗相のないように、と言った。立派な少年となった千松丸は、そんな母をおかしそうに見て、

「はい。決して父の名を汚すようなことはいたしませぬ」

 と、毅然として言った。

(存保さま)

 毅然とする我が子を見て、そこに不意に、在りし日の存保を重ね合わせた。よく似ている目鼻顔立ち。間違いなく、千松丸は存保の子であり、お燕の子であった。

(存保様も、この千松丸の姿を見ればどれほどお喜びになることか)

 切なさが胸に溢れてくる。しかし、いつまでもそんな感傷にひたっているわけにはいかない。と思いつつも、成長した我が子を見て、そろそろ誰かよき娘を見つけ、嫁に迎えられないものかと、先のことを我知らず思い巡らせていた。


「そちが、十河存保の子か」

「はい。千松丸と申します」

 秀吉は千松丸と対面した。大坂城の広間、無論上座は豊臣秀吉。左右に近習の家来たちがつめ、下座に生駒親正、少し後ろにその甥と、千松丸、お燕。

「そして、そちが存保の奥であるか」

「はい。お燕と申します」

 お燕は平伏し秀吉の呼びかけに応える。

 それから秀吉は千松丸をよく見て、うむ、とうなずき。

「よくぞ千松丸をここまで立派に育て上げた。存保もさぞ感慨深いであろう」

 お燕は秀吉の言葉を聞き、早くも感激で胸がいっぱいだった。

「思えば、わしの不徳のいたすところのために、存保は死に、そちらには随分と苦しい思いをさせた。この秀吉、そちらに詫びようもない」

 母と子は、黙って秀吉の言葉を聞いていた。その言葉には、存保や十河家への同情に溢れていた。

 もったいないお言葉でございまする、と母と子はさらに平伏をした。そうすれば、

「そうじゃ。これ親正よ、千松丸にはいかほどの知行がある」

「は、まだ童でございますので、鼻紙代に三千石を与えております」

「三千石とはまこと鼻紙代よな」

 親正の言葉に、秀吉は不満そうだった。

 生駒親正は面白くなさそうである。良くも悪くも戦国武士というものは気も強く我も強い。主の言葉だとて面白くないものは面白くない。

 もともと親正には十河家への同情はほとんどなく、家中に加える気もなかった。だが十河家がこのまま存続すればさらに所領をわけてやらねばならないだろう。

 争乱を乗り越えせっかく手に入れた所領である、惜しい気持ちが強いのも無理からぬことであったろう。

 そんな親正の意中など知らず、秀吉は機嫌よく千松丸と話していた。どうやら千松丸が気に入ったようであり。

「ひとつ舞いでも見せよ」

 と扇子を千松丸に渡し、舞いを舞わせた。

 そこで千松丸は見事に舞ってみせた。

優雅にして十三歳の少年らしい溌溂としたその舞いに、秀吉もおおいに喜んだ。

「そなたは父にも劣らぬひとかどの武将になれるであろう。早く大人になれ」

 と、はなむけの言葉を送った

 お燕はこの秀吉の心配りにただただ感激していた。しかし、その感激も長くは続かなかった。


 この世には、神も仏もないのか。

 人が絶望の淵に陥ったとき、誰しもそう思うであろう。呪うであろう。

 お燕が今、そうであった。

 豊臣秀吉と会って、讃岐に帰ってほどなくしてのことだった。

 千松丸が、死んだ。享年十三歳であった。

 まさに突然の死であった。

 近侍の者の話によれば。千松丸は馬で郷を駆けている時、ある農民から枇杷を差し出されて、それを食した途端に吐血し、意識をなくしたという。

急いで十河城に戻って医者に見せたものの、すでにこと切れていた。

 農民の差し出した枇杷に毒が混入されていたのは間違いない。

 だが農民はいつの間にか姿を消して、捜索をしても見つけられなかった。まさか、忍びの者ではなかったか。

ともあれ、この時のお燕の狼狽ぶりは、言葉にならぬほど哀れなものであった。

 千松丸を生み、育てるために、どれほどの労苦があったろう。それが一瞬にして、水泡に帰したのである。

「千松丸、千松丸」

 母はなきがらにすがり、我が子の名を何度も何度も叫んだ。しかし、返事などあろうはずもない。ただ、静かに永久の眠りにつくのみ。

(どうして、どうしてこんなことに)

 夫に、さらに我が子にまで先立たれ。

 お燕は自分自身の不運に打ちのめされていた。希望の灯火が突然の嵐で消されたようだった。

 なぜ千松丸は死んだのか。死なねばならなかったのか。

(千松丸が、何の悪いことをしたというのだろう)

 今までこらえてきたものが、堰を切ったように溢れ出てきた。とめどもなく涙を流し続け、泣き叫んだ。

 今出来ることは、それしかなかった。

 心当たりがあるとすれば、生駒親正であった。生駒親正は千松丸の存在が気に入らなかったようだった。よって忍びの者を使い、毒殺したのではないか。

 だが原因がどうであれ、千松丸が死んだというのはどうしようもない事実だった。その事実の前に、真相など何になるだろう。

 このことはお燕のみならず、十河の郷の者たちも、

「千松丸様の死は十河家だけの悲しみにあらず」

 と、領民はもとより奴婢までも千松丸の死を悼んだ。


 千松丸の死により十河家は滅んだ。

家中の者たちはあるいは讃岐を出て他家に仕官しあるいは讃岐にとどまり生駒家に仕官し、あるいは武士の身分を捨て帰農し、離れ離れになった。

 寒川七郎はこの一連の出来事におおいに心を痛め、武士の身分を捨て帰農し、つつましやかに暮らしていた。

 お燕は城を出て、城からやや北にある小さな庵にうつり、そこで静かに暮らしていた。

 もう何の望みもない。命が尽きるまで、ひっそりと庵で暮らすだけ。

 寒川七郎と、戸次川合戦後に娶ったその妻がお燕の面倒を見に来ているが、あまり話をすることもなかったどころか。

「もうこの後家にお構いなさいますな」

 要するに、放っておいてくれ、とそっけなく追い返されたりした。

 いまのお燕は、抜け殻であった。

 夫にも、我が子にも先立たれ、まるで今までのものが叩き壊されるように全てを失った。それまで苦難に耐えて、どうにか気力を振り絞って生きてきただけに、その落胆は人が計り知れぬほど大きく、精根尽き果て、もう一度頑張ろうという気持ちも起こりようもなかった。

 そんな風に心がひからび塞ぎこんでしまったお燕は一気に老け、まだ四十代であるのに、五十代を過ぎているように見えた。

 そんな人の心など知らず、時は移り変わる。

 天下を取った豊臣秀吉も老いには勝てず亡くなり、それに取って代わろうと徳川家康が台頭し、秀吉の忠臣石田三成と関が原で争って、これに勝ち。ついに江戸幕府を開くに至って、時代は急転換を遂げようとしていた。

 この関が原で長宗我部元親の後を継いだ盛親は石田三成率いる西軍に着き、許されず所領を奪われ浪人に身を落とし。かわって土佐に入ったのは関が原で徳川方に着いた山内一豊。掛川六万石から土佐二十四万石への大出世である。山内一豊の妻お千代の方は賢婦で知られ、この大出世もその内助の功が大きいという。

(わたくしにも、せめてお千代の方の半分の器量でもあれば、あるいは……)

 今まで自分は何をしてきたのだろう。お千代の方の話を聞き及んだお燕は、自分を責めた。

「この身の無様さ。死んでも存保さまに合わす顔もない。守りきれなかった千松丸にも、合わせる顔もない」

「お方様、そのように自分を責めてはいけません」

 庵をたずねた寒川七郎夫妻が心配そうにそう言うも、

「いいえ、わたくしはまったく役立たずな女でした」

 と取り合わず、自分を責めつづけた。

(おいたわしや)

 七郎もこれ以上なにを言ってよいのかわからず。お燕が一日でも早く元気を取り戻すことを祈るしかなかった。


 それからまた月日が経った。

 塞ぎこむ日々を長らく送っていたお燕だが、彼女を想う寒川七郎夫妻の気持ちがいくらか通じたか、少しずつでも元気になってゆき、

「たまには、外に出てお天道様の光りに当たらなければいけませんね」

 と、この日は珍しく外に出て散歩をするという。

 それまで外出をせず、ひたすら庵に篭りっぱなしの日々を送っていただけに、

「それはようございます。わしらもご一緒いたします」

 と七郎夫妻はよろこび、共をすると言った。しかしお燕は建前的に少し微笑んで、丁重にそれを断った。

「子供じゃあるまいし、共はいりませぬ。大の大人が共なしで散歩できぬなど、それこそ恥ずかしいではないですか」

 昔、長宗我部と争っている戦国期ならいざ知らず、今は徳川公の御世の、太平の世となっている。明るい時間に近所を歩く程度なら、ひとりでも危ないことはない。

 それよりも、これはお燕の気持ちの問題だった。

 ひとりで郷を歩いて、今までの来し方を歩きながら思い浮かべたかった。それまでの来し方を思い浮かべてどうするというわけではないが、自分の足で、郷を歩きたくもあった。

 それは、自分の命にも触れるようとしていると言ってもいいかもしれなかった。

 今の自分は、どこから来て、どこにあって、どこにゆこうとしているのか。

「では、いってまいります」

 七郎夫妻に見送られながら、お燕は歩き出した。

 外は春が訪れてきていて、日差しは暖か。天に向かって咲く花もちらほらと見受けられ、そのまわりを飛ぶ白い蝶。

 そよ風がお燕をなでてゆく。

 まるで初めてひとりで外出する子供のように、お燕は郷を見回していった。人や家々にかわりはあるものの、そののどかな田園風景のまわりの自然は、昔のままだった。

(ああ、十河の郷だ)

 人や時代が変わろうとも、郷の自然は変わらなかった。

 昔、十河城篭城戦で降伏を決め、讃岐を出るとき、存保は「国破れて山河あり」という杜甫の詩の一説を言ったが、今お燕が同じように思い浮かべていた。

 同時に様々な思いが心の中に浮かび上がった。

 一緒に戦国乱世の時代を生きてきた人々の、その必死な姿を、思い浮かべていた。

 喜怒哀楽。様々な顔が浮かぶ。その一瞬一瞬、良いも悪いもすべて含んで、その人たちは必死に、懸命に生きて。そして死んでいった……。

 何も残せなかったかもしれない。

 でも、彼らの命が確かにそこにあって、その命の火を燃やしていたことは、お燕の心に強く刻み付けられていた。

(たしか、ここで)

 歩きつづけて、郷で一番思い出深いところに来た。ここは幼い頃に存保と一緒に城を出て、置いてけぼりにされて、思わず泣いてしまったところだった。

 そこに、幼い日の自分が泣いているのが見えるようだった。

 ふと、不意に女児の泣き声が聞こえた。

「えっ」

 と泣き声の方に振り向けば、女の子がひとり、えーんえーんと、泣きながらこちらに歩いていた。

 これにお燕は一瞬たじろいだ。まさか思い出が外に飛び出たのか、と。

 どうしたものか、と思ったが。泣いている子供を捨て置けず、意を決して、その女の子に話しかけた。

「どうしたのですか。何を泣いているのです?」

 目線が合うようにしゃがみ、優しく語り掛けるお燕。女の子は最初見知らぬ婦人に声を掛けられ戸惑っていたが、その優しげな声にいとも簡単に心を開いた。

「みんなと遊んでて、はぐれてしもうて」

(まあ)

 遊び仲間と遊んでいてはぐれるなんて、まるで幼い日の自分が今目の前に来たような錯覚を覚えた。同時にこれはいよいよ捨て置けない気持ちも覚えた。

「そうですか。ではわたくしも一緒にみんなを探してあげましょう」

 ひとりぼっちがよほど寂しかったのか、女の子はお燕の言葉を聞いて安心して、しゃくりあげながらも「うん」とうなずいた。

 お燕は女の子の手を引き、郷を歩き遊び仲間を探していた。途中、人に会えば、

「もし……」

 と声をかけ、女の子の遊び仲間のことを聞いた。お燕に声を掛けられた人の中には、その姿を見て、絶句して。

「お、お方様!」

 と驚く人もあった。

「そんな、よしてください。お方様など昔のことです。それより……」

 驚かれるたび、お燕は困ったようにそう答え、女の子の遊び仲間のことを聞いて回った。

 郷の人々にしてみれば、十河家の滅びで長らく失意の日々を送っていたお方様が、突然外に出たばかりか郷の子供の手を引いてその遊び仲間のことを聞いて回るなど、思いもしなかった。それだけに驚きも大きかったし、喜びも大きかった。

(お方様は、元気を取り戻されたのじゃ。そればかりか、お優しい心も取り戻されたのじゃ)

 あの時は、ともに十河の滅びを泣いたが。今は、その背中を見送りながら、郷の人は嬉し涙を目ににじませていた。


 しばらく歩いていると、

「おーい、おーい」

 という子供たちの声がする。どうやら女の子の遊び仲間たちのようだ。

「あれは、そうではないですか」

「うん、そうや」

 女の子はそう言うと、嬉しそうに手を大きく振って、おーいおーいと大きな声で遊び仲間たちに叫んだ。

「どこにいっとったんなー。探したでー」

 子供たちは女の子のもとまでやってくると、何か不思議そうな顔をして、お燕を見上げた。郷の大人はともかく、子供はお燕のことを知らない。

「おばさん、だれなん?」

「わたしですか。わたしはお燕といいます」

「お、お燕、さま?」

「はい、そうです。さて、みんなと会えましたから、わたしはもういいですね。それでは」

 お燕は女の子が遊び仲間たちと一緒になれたのを見て、庵に帰ろうとして背を向けたが。その背中に、

「お燕さまー、まって、まって」

 という、女の子の声。なんと、女の子とその遊び仲間がお燕を追いかけて、取り囲むではないか。

「ど、どうしたのですか、あなたたち」

 これはどうしたのだろう。お燕は驚き戸惑いを隠せない。しかし、子供たちはみんな笑顔でいるから、別に悪気はなさそうだ。

「あのな、一緒に遊んでほしいんやー」

「ええっ」

 みんなの言葉に、お燕は驚いた。まさか散歩に出て、郷の子供たちに一緒に遊んでほしいと言われるなど、考えもしなかった。

「あの、それは」

「いかんの?」

「いえ、だめではありませんが、家に待っている人がいますので」

「ほんだらな、家で遊ぼうや」

「ええっ」

 お燕はまた驚いた。この子供たちはお燕のことを気に入ったらしく、取り囲んで放してもらえそうにない。おそらく、一緒に遊ぶ、というまで放してもらえないであろう。

 それがどうしてなのかわからないが、仕方なく、

「わかりました。わたしの家で遊びましょう」

 と言うと子供たちは、わあ、と歓声を上げて、そのままお燕を取り囲んで一緒になって庵にゆく。

 庵に帰り着けば、留守をしていた寒川七郎夫妻が目を丸くしてお燕と子供たちを出迎えた。

「ありゃまあ、お客人がたくさんおいでのことで」

「ええ、まあ。申し訳ないですが、お茶とお菓子を出してもらえませんか」

「心得たり」

 たくさんの客人をともなって帰ってきたお燕の顔は、散歩に出たときよりもすっきりとして、微笑んでいるようにも見えた。七郎はそれが嬉しくてたまらず、意気込んで子供たちのためのお茶とお菓子を用意しはじめた。

 寒川七郎夫人がそんな夫を見て、

「お前様、戦の仕度をするわけじゃあるまいに」

 とおかしそうに言いながらも、鞠やおはじきを構えだした。

 庵はとたんに、ぱっ、と光りが灯ったように明るくなった。それまで昼間でもそこだけ陰っているように暗さが滲み出ていた庵であったが、子供たちの元気な声が陰りを払い、光りを呼び寄せたようだった。

 

 それからも子供たちはお燕の庵に遊びに来る。

 そのたびに、お燕は子供たちと一緒に鞠をついたりおはじき遊びをしたり、男の子同士は外で相撲をして、その行司もしたり、相撲がゆきすぎて喧嘩になれば慌ててその仲裁に入って止めるということも。

 郷の大人たちは子供たちがお燕の庵にゆくことに最初は、

「ご迷惑をおかけはしまいか」

 とはらはらしていたが、迷惑どころかお燕はたいそう喜んで子供たちを迎え入れるので、その心配も徐々に薄れていった。

 しかしどうして子供たちは突然お燕になつくようになったのだろう。その答えは簡単なものだった、最初お燕と出会った女の子が、

「この人は優しい人や」

 となつき、遊び仲間たちもお燕からにじみでる菩薩様のような優しさと慈悲深さを感じて、我知らずなつくようになったのだった。

 千松丸がまた生きているときに、溢れんばかりの愛情をそそいで育ててきた。千松丸もその愛情を受け、母親思いの優しい子供になっていた。だからこそ、堂々と豊臣秀吉の前ではつらつと舞えたのであった。

 千松丸に向けられていたお燕の愛情の深い心を、子供たちは敏感に感じ取ったのだ。またそのようなお燕だからこそ、郷の人々も千松丸の死と、十河の滅びをともに泣いた。

 お燕は鈍いところもあったろうが、決して愚婦ではなかった。それは子供たちに慕われていることで、おのずと実証されていた。

 ある日、ひとりの老人が庵を訪ねてきた。聞けば、かつて存保とともに九州に行ったことがあるというではないか。

「あの合戦で、わしはなんとか助かったものの、息子は討ち死にしてしまいましてのう」

 九州へは存保とともに希望を合言葉に赴いたものの、そこにあったのは悲惨な玉砕戦であった。後世においてどのように脚色され美化されようとも、当事者にとってそれはやはり悲惨なものであった。

 九州でのことを切々と語る老人に、お燕は胸を痛め、言葉のかけようもなかった。

「わしも、もう悲しゅうて苦しゅうて、息子の後を追って自害しようと思ったものですじゃ。じゃが、残された嫁と孫のことを思うと死んでも死に切れんで」

「その労苦、お察しいたします」

 詫びるように言うお燕。だが老人はいらぬことを言ってしまったと、はっとして、かぶりを振った。

「何を言われる。お家を背負っておられたお方様に比べれば、まだまだ楽な方でございます」

 お燕はそんな強気を見せる老人に、讃岐男の姿を見た。存保は生まれこそ阿波であったが、いつしか自分のことを讃岐武士であり、讃岐男であると思うようになっていた。無論阿波を嫌っていたわけではない。十河家に養子にゆき、十河の郷を我が郷として生きているうちに、そう思うようになったのだ。

 で、なにをしにこの老人は庵を訪ねたのだろうかというと。

「最近お方様はお元気を取り戻されたご様子。十河家に仕えた者として、それはもう嬉しゅうて嬉しゅうて、あつかましいと思いつつも、ご機嫌うかがいにまいったわけでございます」

(ああ)

 老人の言葉に、お燕は強く心を打たれた。

(わたしの身も心も、わたしひとりだけのものではないのですね)

 思えば、千松丸の死後、長いこと塞ぎこんでいた。なるほど千松丸の死によって十河家は滅びた、しかし仕えていた者たちや領民までがともに滅んでなくなるわけではない。それからも生きてゆかねばならない。

 残された者たちにとって、十河家の当主夫人であったお燕の存在だけが、心の支えだったのかもしれない。しかし、我が子に先立たれ絶望の淵に追いやられた夫人の姿を支えに出来るわけもない。

 寒川七郎同様、この老人やもとの家来たちや領民たちは、お燕の身を案じつつ、いつの日か元気を取り戻すことを信じて祈り続けていたに違いない。その祈りが叶い、老人は喜びお燕を訪ねた。

 また塞ぎこんだままであっては、死んだ者も浮かばれないではないか。おそらく、

「こんな腑抜けた夫人のために、我らは命がけで戦ってきたのか」

 というようなことも、この老人をはじめ、もとの家来たちは考えたろう。

 もちろんその悲しみの深さがわからぬわけではないが、家来たちには家来たちの心情があった。それは理屈では割り切れないものであった。つまるところ、みんな、苦しんできた。

 その苦しみが、長い歳月を経て、ようやくひと区切りつきそうであった。

「皆様には、長いことご心配をおかけしまして。お詫びのしようもありません」

「もったいないお言葉でございます。これからもお方様がお元気であれば、我らも安心して生きてゆくことができまする」

「そのお言葉こそ、わたくしにとってもったいないお言葉でございます」

 老人はお燕の健在なることを知り、安心して庵を後にした。その背中を見送りながら、

(私の存在が皆様の支えになるなど、思いもしなかったけれど、こんな私で支えになるというなら、これからは皆様のために生きてゆこう)

 と決意をしていた。その気丈さを取り戻した姿からは、かつての暗い影はなかった。

 

 その夜、夢を見た。

 あたりは真っ暗、どこにいるか見当もつかない。

 怖い思いをしながら、暗闇の中を彷徨っていると、不意に人影が目の前に現れ、お燕はその人影を見て驚いた。

「せ、千松丸」

 死んだ我が子が生き返ったのか。お燕は息を弾ませながら駆けた。だがよく見れば、我が子の周りを鬼が取り囲んでいるではないか。

「おのれ鬼ども、千松丸をいじめるか」

 我を忘れ、鬼どもに立ち向かおうとするそのとき、千松丸はおもむろにお燕に微笑んで見せた。

「あれを見よ、あれが我が母じゃ。夫と我が子に先立たれながらも、沈むことなく毅然と振る舞っておられる。さすがは我が母よ!」

 突然のその言葉にお燕は驚き立ち止まり、続きを待った。千松丸は変わらず微笑んでいる。

「短い命であった。しかし、母に生んでもらってよかった。母の子として生まれてよかった。わしも母の子じゃ、鬼どもに負けてなるものか!」

 千松丸も毅然として、鬼どもに吼えた。吼えながらも、微笑みはたやさなかった。

「千松丸」

 そう呼びかけようとすると、鬼とともに、すう、と。かつて見た存保の幻と同じように風に吹かれるようにして消えてゆき。

 やがて目を覚まして、それが夢であったことがわかった。

 お燕の目からとめどもなく涙が溢れ出た。

 その涙は、かつて流した悲しみの涙ではなかった。嬉し涙とも違う。何というか、その涙は生きていることの証しであるかのように、お燕の命から溢れ出てきているようであった。


 季節は春もなかばをすぎて、夏にさしかかろうとしていた。陽の光りも日に日に強くなってきて、陽気さが増してきていた。

 その陽気が誘うのか、お燕のもとを訪れる子供たちも日に日に多くなってゆく。さすがにお燕ひとりではみんなの相手をしかねるので、寒川七郎夫妻が協力して子供たちの世話をした。

 むろん子供たちとはただ遊ぶだけではなく、字の読み書きを教えたり、女の子には裁縫を教えたり、まるで庵は寺子屋のようだった。

 郷の人々は、そんな庵を、微笑ましく見守り。また十河家に仕えていた者はお燕の姿を支えに、一日一日を懸命に生きていた。またお燕も、それらに支えられていた。

 ある日、天気がよいということで、腕白小僧がひとりお燕の袖を引っ張って、

「今日は天気がええから外に遊びにいこうや」

 と言った。

 それを見ていたお姉さん肌の女の子は、

「こりゃ、わがままいうたらあかんやないか。お燕さまも困っとるやろ」

 と叱ったが、腕白小僧は聞き入れない。

 えー、でもー、とか言いながら、お燕の袖をつかんだまま、外をじっと見ている。

「はっはっは、坊や、元気がえいのう」

 この日も夫人とともに、お燕と一緒に子供たちの世話を焼いている寒川七郎が、腕白小僧を見て同情するように、おかしそうに言う。

(こんなえい日よりじゃ、庵にこもるより外で遊びたくなるのも無理もないわい)

 お燕は微笑みながら少し思案するように、外を見ていた。子供たちはお燕の判断を、じっと見守っている。

 その時、ふと、一羽のつばめがさっとつばめ返しに宙を舞うのが見えた。それにつられるように、

「そうですね。たまにはいいでしょう」

 と、腕白小僧の手をとって、みんなに外に遊びにいこうという。子供たちはわっと歓声を上げて、お燕とともに外に出ようとする。寒川七郎夫妻もお燕の言葉を聞き、後を着いて外に出てゆく。

 空は快晴。淡く青い空が一面に広がっている。

 お燕は子供たちに囲まれて、晴れ渡った空のもと、のどかな田園風景を見せる郷を歩いていた。少しうしろに寒川七郎夫妻。

 子供たちに手を引かれて楽しそうにしているお燕の姿に、夫妻は胸に迫るものがあった。

 お燕が心からの笑顔を見せるまで、今までどのような労苦があったことであろう。それを思うと、今まで生きてきたことは無駄ではなかったし。死んだ者たちも浮かばれるというものだ。

 空を見上げれば、つばめ。

 つばめが数羽、踊るように空に羽ばたいている。

 中には羽をばたつかせてぎこちなく羽ばたいているつばめもある。おそらく巣から出たての若いつばめであろう。

(もうそんな季節なのですね)

 お燕は、ぎこちなく飛ぶ若いつばめを見て、久しぶりに季節というものを感じていた。それとともに、そのつばめと自分を重ね合わせていた。

(わたしも、あの若いつばめと同じ。巣立ちしたての若いつばめ)

 そう思うと、自分も空に向かって飛んでいけそうな開放感を覚え。

 これからも生き続けるのだという、自分の命も感じていた。もちろんその命は永遠ではない。だけど、永遠ではないから、人はその時その時を懸命に生きるのであろう。

 子供たちはお燕を囲み、楽しそうにはしゃでいる。

 その子供たちひとりひとりに、千松丸と同じように、愛情に溢れた眼差しで見つめていた。目を遠くにやれば、郷の人たちの暖かな眼差し。

 郷の人々はお燕を見ると笑顔でおじぎをしてくれる。お燕も笑顔でおじぎを返す。

(存保さま、千松丸、わたくしは郷の人々とともに生き。それから、郷の土にかえりまするゆえ。いましばし、お待ちくださいね)

 空に向かい、そう心でささやけば。

 若いつばめがぎこちなくも羽ばたきながら、まるでお燕の心の言葉を乗せているかのように、空へ空へと舞い上がっていった。


十河抄 完

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