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その96「灯華がチケットを持って来た」

 午後4時半。今日は珍しく、うちに灯華が来ていた。学校終わりに来たのだろう、彼女は高校の制服と革製のスクールバッグという恰好だった。そして、このバイトの真っただ中という時間帯、どういうわけか俺も家に居たりした。


 朝のコンビニのバイトが終わり、家で昼飯を食べてからスーパーのバイトに向かうと、店長がかなり媚びへつらった顔で有給休暇を提案したのだ。無論、バイトで有給を取るという選択肢が出てきたのは今回が初めてである。


 そうしてこの忙しくなってくる時間帯、十分人が足りているわけでもないのに店長並びにスタッフ一同から笑顔で送り出されて、今ここにいるわけである。


 むろん、どうしてこうなったのか理由は話されていない。たまたま今目の前にいる灯華が実は想像もつかないくらいの大企業の社長のお嬢様で、たまたまそのスーパーがそこの傘下で、そこの店長にも灯華は顔が利いていたりするのだが、それとはきっとなんの関係もないのだろう。


 「相変わらず狭い家ね。ここに3人も住めるなんて、人類の神秘だわ」


 灯華はさらりと失礼なことを言ってのけて、俺がさっき出してやった紅茶をすする。 


 「灯華、あんまり私利私欲でうちのスーパーを振り回さないでくれよ。今日、店長が俺に全力の媚びた目を向けてきたぞ」


 「あら、私は単に店に電話しただけよ?『柏木くんは今日出勤日ですか?』って。それと『今日とても大事な用事があるんですけど』ってね」


 「遠回しな脅しじゃないかよ」


 「そんなつもりはないわ。解釈の違いよ」


 俺はため息をついた。


 「俺さぁ、なぜか今軽い派遣社員くらいの時給もらってるんだけど。店長と正社員に次ぐ稼ぎ頭なんだけど」


 「いいことじゃない。生活、苦しいんでしょ?」


 確かに、ただのフリーターである俺がニートの姉と幼稚園児をなんとか養えているのは、夏代姉の多大なる援助と、このスーパーの破格の時給によるところが大きい。


 「それよりも、よ」


 「なんだ?」


 「私、今日来るとき、『なんか買ってくから食べたいものある?』って電話したわよね」


 「ああ、言ってたな」


 「買ってきたわよ。でもねぇ……」


 スクールバッグから取り出されたのは、いつも行く駅前のスーパーの袋だった。


 「豚バラ肉ってなんなのよ」


 俺はスーパーの袋を開ける。そこには俺の要望通り、トレイに入れられた巨大な豚バラブロックがあった。


 「本当に買ってきたのか」


 「買ってきたわよ。どういう反応を見せるか興味深かったからね」


 「汐里、今日は豚の角煮だぞ」


 「おおっ、かくにっ……!」


 汐里は立ち上がり興奮している。人見知りのためテレビの後ろで隠れている深月姉も、うれしそうにちらちらとこちらを覗いていた。


 「なんだかめちゃくちゃ喜ばれてるみたいね……。でも、なんで私があんたんの食費をまかなってんのよ」


 「いや、食べたいものって言われたから正直に答えただけだろう」


 「あの流れで言ったら、普通シュークリームとかアイスとかポテチとか、そんな類でしょ!?」


 「それなら最初に説明してくれよ。言われなきゃわからないだろう」


 「言わなくてもわかるでしょ!?人の家に遊びに行くとき、でっかい生肉持ってく例を過去に見たことある!?」


 今度は灯華がため息をつく番だった。


 「汐里、角煮の煮汁で一緒に煮卵も作ろうと思う」


 「おおっ、にたまご……!」


 「むむっ、かなりいいわね……」


 俺はキッチンに向かい、鍋を用意してそこに調理酒と水、醤油とみりん、砂糖を入れる。それとは別にフライパンに火をかけ、そこに豚バラブロックを投入した。


 「で、なんなんだよ、大事な用って」


 「あんた、『プリンセスアイドル愛美ちゃん』を知ってる?」


 「ああ、日曜の朝にやってる女の子向けのアニメだろ?」


 「ええ。それで今度デパートのイベントスペースで、その設定資料やグッズなんかを展示するイベントがあるんだけど、もちろん知ってるわよね?」


 「知ってるわけがないだろう」


 「しお、しってる。テレビでやってた」


 汐里は知っているようだった。


 「それでね、その前売りチケットが、当たったわ」


 「えっ、ほんとに!?」


 灯華が取り出した4枚のチケットを、汐里は目を輝かせて見つめる。


 「とうかちゃん、すごい……」


 「ああ、そう言ってくれるのは汐里ちゃんだけよ」


 「でも、チケット4枚しかないぞ。さきちゃんは来ないのか?」


 汐里の親友であるさきちゃんは、灯華の姪にあたる。汐里を誘うなら、当然さきちゃんも一緒に来るはずだった。


 「そう、咲希はね、来ないわ」


 「えっ、なんで?」


 そのとき、くいくい、と汐里が俺の袖をひっぱった。


 「さきちゃん、こどもっぽいアニメあんまり好きじゃない」


 「そうなのよ。日曜の朝はいつも二人並んで観てるもんだから、昨日誘ってみたら、嘲笑気味に『あんな幼稚なアニメはもうそつぎょうしましたわ』って言われたわ」


 「幼稚園で既にか……」


 なら、さきちゃんが『プリンセスアイドル愛美ちゃん』を観る適齢期はいつだったのだろう。


 「でも、卒業したならなんで観てるんだ?」


 「幼稚園での話題についていくためらしいわ」


 「なんて社会慣れした幼稚園児だ……」


 相変わらずさきちゃんは底が知れなかった。


 「つまり、今日はそのチケットが余ったから持ってきてくれたわけだな」


 「ええ。本当は私と咲希とお姉ちゃんで行く予定だったんだけど」


 灯華が3枚のチケットを汐里に渡すと、汐里は跳ねあがって喜んだ。


 キッチンでは、焼き色のついた豚バラが一口大にカットされ、沸騰した煮汁の中に投入される。六畳一間には甘辛い醤油の匂いが広がった。


 「美味しそうな匂いね。普段そういう庶民的な料理ってあんまり食べないから、楽しみ」


 「あ、灯華」


 「なに?」


 「用事は済んだだろうし、もう帰ってくれていいぞ」


 「いや、食わせなさいよ!角煮!」


 キッチンまで乗り込んできて思い切り俺の身体をゆすってくる灯華。


 結局、灯華は料理が出来上がるまでは『プリンセスアイドル愛美ちゃん』のDVDを汐里と鑑賞して、出来上がると豚の角煮と煮卵をたらふく食べて帰ったのだった。

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