その94「うなぎを買いに行った」
「しお、うなぎが食べたい」
「う、うなぎっ!?」
朝、汐里はおなじみのニュース番組を見ながらそう言った。
「どうしたんだ汐里、いきなり怖いことを言い出して」
「??ゆーいち、うなぎが怖いの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
物理的に怖いわけじゃないが、我が家の財布にとっては脅威であることには間違いない。
「今日のばんごはんは、うな重がいい」
「え、それは……」
「おかずは、ひつまぶしにする」
「いや、それもがっつり飯だけど」
急きょ訪れた経済危機に、俺と深月姉は頭を抱え込んだ。
「しお、うなぎ食べたことないから楽しみ」
「うわ、もう食べる方向で話が進んでるよ……」
汐里は遠い目で、まだ見ぬうなぎに思いを馳せていた。
その横で、俺と深月姉はひそかに作戦会議を開いていた。
「どうしよう深月姉。このままじゃ、あのバカ高いうなぎを買わなくちゃならないぞ」
「でも、汐里ちゃんすごく楽しみそうだよ?今月切り詰めたらなんとかならないの?」
「うなぎなんて買ってみろ。俺たちは月末まで毎食段ボールかけごはんだよ」
「ふりかけ感覚で工業製品食べなくちゃいけないの!?」
「それでもまだいい方だ。給料日前は段ボールかけ段ボールだよ」
「それもうただの段ボールだよっ!」
深月姉は絶望のあまり、その場にへなりと倒れこんだ。
段ボールは言い過ぎにしても、うなぎなんて買えば、ただでさえ切り詰めている食費にかなりの痛手をくらうことは間違いない。お茶漬けくらいは覚悟しなければならない。
「そうだ!穴子を蒲焼にして出すのはどうだ?」
「穴子も、普段私たちが食べてるアジや秋刀魚やブリと比べると高いけどねぇ」
「それだったら、いっそアジや秋刀魚を蒲焼にしたら……」
「さすがに見た目が全然違うよ。それに昔、どこかの芸能人が貧乏だったとき、瓜をメロンだって教えられて、大人になって本物を食べてショックを受けたって話があったし」
「むむ……汐里にそんなトラウマを持たせるわけにはいかないしなぁ……」
俺たちは考え込む。
「あっ、そうだ。別のことで気をそらせばいいんじゃない?」
「別のこと?」
深月姉は頷く。
そして、汐里の方に向き直った。
「汐里ちゃん、うなぎは買ってあげられないけど、今日の帰り、ゲームセンターで『プリンセスアイドル愛実ちゃん』のカードゲームやってもいいよ?どう?」
なるほど。そういうことか。俺は思わず感心した。
一回百円のゲームをやらせた方がずっと費用は安く抑えられる。
「??」
だが、言われた汐里の方は、不思議そうに首をかしげた。
「おねーちゃん、うなぎとゲームがどう関係あるの?」
「えっ、それは、まぁ、関係ないけど……」
「おねーちゃんは、もっと空気を読んだほうがいいとおもう」
「う、うぅ……」
幼稚園児とは思えないダメ出しをくらい、その場で落胆する深月姉。こうなると、もう使い物にならなかった。
俺は思案する。もちろん、ダメだと一喝して話を終わらせることもできたが、なんとなくそれもはばかられた。
「まぁ、経験はお金じゃ買えないしな……」
俺は汐里の前に座り、両手を汐里の肩に乗せた。
「……わかった。汐里、うなぎを食べよう」
「うん」
「うなぎなんて、実家に居たとき以来だから、何年ぶりになるんだろうな……」
「ゆーいち、どうしてそんなに苦しそうなかおしてるの?」
「えっ、ああ、なんでもないよ」
そんなのは家計が苦しいからに決まっていたが、間違ってもそれを口に出すことはしなかった。
そして夕方。俺はバイトから帰ってくると、汐里と深月姉を連れて駅前のスーパーに向かった。
鮮魚コーナーに並ぶ商品を一通り見た後、俺たちは普段では縁遠いあの一角の前に立った。
「おおっ、うなぎだ……!」
汐里はうなぎの入ったトレイを手に取る。
「うわ、深月姉見てよ。2160円もしやがるよこのうなぎ」
「これ一切れだけでしるこサンド二袋は買えるよね」
そんな貧乏症な計算を俺たちがしている傍で、汐里は一つ一つ、値札に印刷されたゼロを指さし数えていく。
「ゆーいち、これ、間違ってる」
「なにがだ?」
「216円じゃないの?」
「いや、汐里、それで正しいんだ」
汐里はじっとうなぎのトレイを見つめる。そして、別のトレイを手に取った。
「さんまは一匹98円だけど?」
「そうだよ汐里。それがうなぎの怖さなんだ」
汐里は。ここまでうなぎを見つめて考え込む幼稚園児も珍しかった。
「しお、さんまにする」
「おおっ、そうしてくれるのかっ!」
「さんまを20匹買う」
「いや、なんでだよ」
俺はがくりとうなだれる。
「で、魚屋さんを開く」
「さんまだけしか置いてないのにか?」
「そう。で、さんまを一匹2160円で売る」
「そうきたか」
汐里はその詐欺まがいの秋刀魚の転売のために、自ら店員さんに話しかける。それを俺たちは全力で止めて、結局秋刀魚を3匹だけ買った。
「……………」
思うようにいかず、汐里はふてくされてしまう。話しかけても、しばらく口をきいてはくれなかった。
「……てやんでい」
「ふてくされ方が江戸っ子だな」
その他細々とした買い物をして、俺たちは店を後にした。
そして、その日の夕食は、うなぎを買えなかったせめてものお詫びとして、デザートに焼きプリンが添えられたのだった。




