その86「深月姉がやる気を失った・下」
一晩寝ても、深月姉のやる気は回復しなかった。
それどころか、ぐーたらぶりは輪をかけてひどくなっており、たまに立ち歩いたと思えばお菓子を取って食い散らかし、部屋は何度掃除をしても、物が散乱している状態だった。
娯楽も、無類のゲーム好きだった深月姉が、コントローラーを操作するのが面倒だからと、今はテレビを垂れ流している状態だった。
「深月姉、コーラはもうやめなよ。身体に悪いから」
「うるさいよー。身体が欲しがってるものが身体に悪いわけないでしょー」
片付けようとする俺の手からボトルを奪い取り、またコーラをコップに注いだ。まるでアルコール中毒の親父のような状態だった。
「あー、だるだるだよー」
「また言い出したか……」
「だるだるダルエスサラームだよー」
「もはやそれがなんなのかも俺にはわかんないよ」
このよくわからないギャグも一晩持ち越して継続されており、単語もとうとう一般教養から逸脱した領域まで踏み込んでいた。
「まずいな……。このままじゃ、深月姉はダメになっちゃう」
「ゆーいち、それはちがう」
そのとき、隣にいた汐里が肩をつついた。
「どうしたんだ汐里?」
「おねーちゃんはもともとダメだから、このままだったらダメダメになる」
「こんな時でも深月姉のディスは欠かさないんだな、汐里は」
ここまで一貫してされると、こちらとしても一周回って清々しかった。
「ダメじゃなくなるほうほうを、しらべよう」
「おお、汐里、さすがだな!そうしよう」
俺たちはパソコンを開き、やる気の出し方について検索をかけた。ちなみにその間、深月姉は観ていた番組がCMに入ったので、チャンネルを掴みポチポチと別の番組に切り替えていた。その行動だけ見ると、完全に休日のおっさんである。
「……あったぞ!」
俺は検索で出てきた記事の一つを指さした。
「やる気が出ないときは、ストレッチをするといいらしい」
「おお……!!」
汐里はぱちぱちと手を叩いて称えてくれる。
俺はさっそく深月姉とテレビの間に入り込み、深月姉と向かい合った。
「深月姉、ストレッチをしよう!」
「えー、やだよう」
即座に却下されてしまった。
「でも、やる気を出すにはストレッチをするといいんだって!」
「血行が良くなって気分が変わるんでしょ?そんなの知ってるよう」
「ならなんでしないんだよ!」
「ストレッチをするだけのやる気がないからだようー」
そう言って、深月姉はまた寝そべった。これ以上話を続けることもできず、俺はそこから退散した。そして、またパソコンを開いた。
「こうなったら、ストレッチをするためのやる気を出す方法を調べよう」
「ゆーいち、それはさすがにないとおもう」
「………やっぱりか」
6歳児に諭され、俺はパソコンを閉じた。
「ゆーいち、こうなったらあれしかない」
「おお、なにかあるのか汐里!?」
「なつよおねーちゃんにたよろう」
「………やっぱりそれしかないのか」
確かに他になすすべもない。俺はバイト用のバッグから携帯を取り出した。
我が家が窮地に陥るたびに連絡を取り、その度に即座に解決に導いてきた救世主夏代姉は、電話をするなりワンコールで出た。
『どうしたの夕一。うちに遊びに来たいの?』
「んっと、そうじゃないんだけどね、実は……」
俺は事の子細を夏代姉に説明する。聞き終わった夏代姉は、簡単にこう言った。
『なんだ、そんなことね』
「そんなことって言うけど、話以上に事態は深刻なんだよ」
『要は刺激が足りないのよ。ショック療法と同じで、刺激を与えれば姉さんのぐーたらな心も変わらざるをえないわ』
「でも、わりと色々言ってきたりはしてるんだけどね」
『私がなんとかするわ。3時間待ってて』
そう言って、電話は切られた。そして二時間半後、夏代姉は荷物を持って現れた。
荒れ放題の部屋を見回すなり、夏代姉はわずかに顔をしかめる。
「これはたしかに……ひどいわね」
「もう手の施しようがないんだよ」
夏代姉はテレビの前で呆けている深月姉の身体をゆすった。
「姉さん、私よ」
「……夏夜ちゃんー?どうしたの、いったいー」
「姉さんがこんな状態だから、連絡をもらったのよ。まったく人騒がせなんだから」
深月姉はそこで集中力を失ったようで、布団に寝そべり、ゴロゴロとした。これには夏代姉も頭を抱えた。
「あー、だるだるだよー」
「また言い出したか……」
「だるだるダルエスサラームだよー」
「あ、また例のよくわかんない単語を……」
「ほら姉さん、タンザニアの都市名を言ってないでしっかりして」
「ええっ!知ってるの!?ダルエスサラームを!?」
呆けたままタンザニアの都市を口走れる深月姉と、それを指摘できる夏夜姉の知識の幅には心底驚くばかりだった。
夏代姉は眼鏡をくいと上げた後、バッグからなにかを取り出した。それは一冊の本だった。
「夏代姉、なんなのそれ?」
「すぐにわかるわ」
夏代姉はその本を深月姉の前で開いた。
「姉さん、これを見て」
「……………っ!!」
その瞬間、深月姉の表情が一変した。目は見開き、口は衝撃のあまり開いている。明らかに先ほどから変化している。
俺は近寄って、夏代姉の開いた本を見た。そこには人物の映った数枚の写真が並んでいた。
「夏代姉、その本ってまさか……」
「そうよ。姉さんの中学の卒業アルバムよ」
夏代姉はさらにアルバムを数枚めくっていく。
「ほら見て、姉さんの修学旅行のときの写真よ。新幹線の車内の隅で小さく一人漫画を読んでる女の子は誰かしらね」
「……っ!!そ、その過去は……!!」
頭を強くおさえる深月姉。苦しむ姿を見ていると可哀想に思えてくるが、やる気を取り戻すためには仕方がなかった。
「姉さん、この写真はどう?三年のときのクラスの集合写真よ?みんなが友達グループごとに固まっているなか、姉さんはどこにいるかしら?」
「そ、それは………」
さらに夏代姉は追い打ちをかけてくる。諭すようなその口ぶりとわずかに浮かぶ笑みは、ほんのりとサディズムを感じさせる。明らかに、夏代姉は楽しんでいる。
「覚えてる?この写真の年の運動会、姉さんはダンスが遅すぎて、父母たちから一人別パートを担当してると勘違いされてたのよね?」
「う、うぅ……!!」
「これはどう?他愛のない休憩時間のクラス風景だけど、姉さんだけはうつむいて寝たふりをして休み時間を過ごしてたわよね」
「あぁあぁ~~~」
「これなんか最高よね。この職業体験のときに、人数があぶれて姉さんが……」
「うがーーーー!!」
そのとき、深月姉がガバッと立ち上がる。そして卒業アルバムをひっつかみ、窓の向こうへと思い切り投げた。
「あっ、卒業アルバムが……」
「どうでもいいよあんなのは!!人の黒歴史をいつまで踏み荒らしてくれてるのよ夏夜ちゃんっ!!夏夜ちゃんはそれでも人間なの!?」
「私だってわざわざそんなくだらないことするために実家に戻ってこのアルバムを持ってきたわけじゃないわよ。すべては姉さんのやる気を取り戻すため」
「やる気!?そんなことしたってやる気なんか…………」
深月姉の言葉が止まる。夏代姉はにやりと笑った。
「効果はあったみたいね、姉さん」
「おおっ!さすが夏夜姉!!」
俺と汐里は、思わず拍手を送る。夏代姉は少し照れて、眼鏡に触れた。そんな中、深月姉一人が腑に落ちない表情をしていた。
「確かに戻してくれたのはうれしいけど……。わざわざ友達のいなかった中学時代のことを使わなくても……」
「いいじゃない、戻ったんだから」
今日は泊まっていくわ、と夏夜姉はのんびりくつろぎだす。最初からそのつもりだったようで、卒業アルバムの入っていたバッグには、一緒に着替え一式が入っていた。
「なつよちゃん、いっしょにおままごとしよ?」
「いいわよ」
夏夜姉は笑みを浮かべて汐里とおままごとを始める。俺は夏夜姉のぶんの夕食の材料があるか確認するために、冷蔵庫を開いた。
深月姉だけは、やる気を取り戻した一方で、黒歴史の後遺症を抱えて、しばらくの間一人もがいているのであった。




