その85「深月姉がやる気を失った・上」
心地の良い昼下がり。窓の向こう、ベランダではゆらゆらと気持ちよさそうに洗濯物が揺れている。
それなのに、室内はというと、皮肉なまでに荒れきっていた。
「なんなんだここは。嵐でも吹いたのか?」
床には深月姉が脱ぎ散らかしたパジャマがそのままで、それにお菓子の袋なんかも捨てられていて、足の踏み場もない状態だ。
「あはは、おばかさんだね夕一はー。部屋の中で嵐が起こるわけないでしょ?」
「皮肉を言ってるんだよ深月姉。深月姉は、いつからうちを大きめのゴミ箱だと勘違いするようになったんだ?」
「ゴミ箱だなんて思ってないよー。単に私は、ゴミを捨てていい居住スペースだと思ってるだけだよー」
「もっとタチが悪いから」
深月姉は気怠そうな目といつも通りの猫背でテレビ画面に向かい、RPGのレベル上げをしている。だが、もはやゲームすらすることがだるくなったようで、深月姉はコントローラーを置いて布団に寝そべってしまった。
「あー、だるだるだよー。だるだるー」
「一体どうしたんだよ深月姉」
「だるだるダルシムだよー」
「よくわかんないギャグをぶっこまなくていいから。一体どういうことなのか、説明してくれよ」
深月姉は気怠そうに布団の上で寝返りを打ったが、やがて「どっこいしょ」という声と共に起き上がった。
「人間ってさぁー、生きていたら、どうしてもやる気が出ないときってあるよねぇー。無気力っていうかさー」
「いつも家でゴロゴロしかしてない深月姉がなにを言ってるんだよ」
「それよりもさらにやる気が出ないんだよぅー。なんていうか、精神が堕落しきってるというかー」
単なる冗談ではないだろう。事実、深月姉は虚ろな目で呆然と天井を眺めている。
「あの堕落しきった生活を送っていながらさらに堕落できるとは、かなり器用な話だけど……。でも、そんな状態だったら社会復帰はおろかまともな人間の生活を送ることすら困難だよ。なんとかしないと」
「んー、そうなんだけどー。その前に夕一ー」
「ん、なんだ?」
「汐里ちゃん迎えに行ってきてー」
「……………」
普段なら一喝して無理やりにでも行かせるところだが、今日はどうもそんな感じではない。
仕方なく俺は黙って靴を履いて、部屋を出たのだった。
そして歩くこと十数分、幼稚園で待っていた汐里は顔を合わせるなりわずかに驚いた表情を見せたが、特に理由を聞くこともなく、俺たちはアパートに帰った。
だが部屋の深月姉の姿を目の当たりにすると、普段から表情の変化の少ない汐里も、さすが動揺の表情を見せた。
「おねーちゃんが、すっごくだるそうだ……!!」
「そうなんだよ。まるでやる気を感じられないんだよ」
「まるでニートみたいだ……」
「まぁ、前からニートはニートなんだけどな。残念な話だけど」
普段ならニートいじりをされれば飛び上がって抗議する深月姉だが、今日はそんな素振りも見せない。だるんとした表情のまま、布団に寝そべっている。
「あーだるだるだよー」
「ゆーいち、おねーちゃんがなんか言い出した……!」
「ほっといてやってくれ」
「だるだるダルビッシュだよー」
「ゆーいち!おねーちゃんがよくわかんないギャグを言いだした……!!」
「またか……」
汐里はなにか珍しいものを見るような目で深月姉を見た。
それからは、頬をつつかれたり、腕を持ち上げてからストンと落とされたり、一通り人形のように汐里に遊ばれる深月姉だったが、それでも反応はなく、ついには汐里も飽きて、夕方の子ども番組に興味を映していった。
「ゆーいち、きょうのばんごはんはなに?」
「今日はチキン南蛮だよ。鶏肉が安かったんだ」
そのとき、深月姉がのそりと起き上がった。
「晩ごはんかー。お腹空いたよー」
「あ、さすがに食欲はあるみたいだな」
「でも、咀嚼するのがもう面倒だよー」
「……………」
もはや、噛むという行為すらダルさを感じるのであれば、こちらになすすべはなかった。
どうしたものか、俺たちは頭を抱えるばかりだった。




