無色
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本当の暗闇を知っているか?万人に降り注ぐ太陽が沈んだ時に来る「夜」とは違う。夜が来ても月がある。昔の人たちの中には月明かりを頼りに勉強に励んでいた者がいるほど、月は明るいのだ。現代はどうだ。その何十倍の明るさの町の中で夜も動き続けている。瞼を閉じても何か光る物が動いているように感じたことはないか。それは、瞼で反射しきれなかった光が、瞼を通過していきそれを目が感知する。これは紙の裏側から懐中電灯を当てた時でも、懐中電灯が光っていることを確認できること似ている。つまり、瞼を閉じた時に何か光る物を感じた時、そこに弱い光でも確かにあるという事であり、本当の暗闇とは言えない。
しかし我々は暗闇の本質を知っている。深夜に舗装はされているが鬱蒼とした山道を明かりも持たずに歩くことができるかと尋ねると大部分の人たちは無理と答えるだろう。ではなぜかと尋ねると危ないからや怖いからと答えるだろう。何が怖いのか尋ねると、何かが出てきそうと答える。重要なのは「何かが」の部分。そうわからないことこそが暗闇の本質である。本当の暗闇では、瞼を開けていようがいまいが関係ない。今自分が立っている場所は、自分の足の大きさしかなく、一歩でも踏み出そうものなら深淵に落ちていきそうだ。恐怖しているから私がある。
月明かりもなく何も見えない。しかし、顔を涙のように伝う涙ではない物を感じた。そう、雨が降ってきたのだ。着ているものが濡れてしまうほど強く降ってはいないが、雨を遮るものを使うとしよう。歩き出してから数分としないうちに涙のような雨が号泣に変わった。雨を遮る物に打ち付ける雨の音の中に、細い繊維を幾重にも束ねた物が千切れるような音がする。次の瞬間、雷が落ちたかと思うほどの音とともに、山が木と岩を吐き出した。本物の雷が光った。一瞬の光ではあるが、僕らがその中に自然が作ったものではない物が混ざっていることを認識するには十分な時間だった。
「何故あれが此処に」
「あれがあるということは、」
「ああ、ダメだ。夜が明ける。移動しなくては。」