第1話 変わらないはずの日常
大型大会優勝の翌日。
神谷蓮はいつも通りの時間に起き、制服へ着替えながらスマホを手に取った。
画面を開いた瞬間、通知件数が目に飛び込んでくる。
SNSのフォロワーは一晩で数万人増えていた。
決勝戦の切り抜き動画は何本も投稿され、再生数は既に数十万を超えている。
「LETHALの正体は高校生」
「桐生蒼真を倒した新王者」
「格ゲー界最大の新星」
そんな文字が並んでいた。
蓮は数秒だけ眺めるとスマホを閉じる。
特に何も感じなかった。
昨日もゲームをした。
今日も学校へ行く。
それだけだった。
「蓮ー、ご飯できてるわよー」
母親の声が聞こえる。
「今行く」
朝食を済ませ、家を出る。
駅へ向かう途中も何人かがこちらを見ていた気がしたが、気にしなかった。
そして学校へ到着する。
だが、校門をくぐった瞬間だった。
「いたぞ!」
「神谷だ!」
「マジで来た!」
「いや休むと思ってた!」
周囲が一気に騒がしくなる。
蓮は思わず立ち止まった。
「……なんだこれ」
そこへ後ろから肩を叩かれる。
「おはよう、全国区」
振り返ると幼馴染であり数少ない友人の宮城悠人が立っていた。
短髪で明るい性格の男子生徒。
昔から蓮がゲーセンへ通っていることも知っている。
「おはよう」
「いやいや、おはようじゃないだろ」
悠人は呆れた顔をした。
「お前さ、昨日何やったか分かってる?」
「大会で優勝した」
「軽すぎるだろ」
「事実だし」
「桐生蒼真倒したんだぞ?」
「倒したな」
「だから軽いんだって!」
朝から大声で突っ込まれ、周囲の生徒たちが笑う。
蓮は少しだけ面倒そうな顔をした。
「学校来たの失敗だったかもしれない」
「休んだら余計騒がれるぞ」
「それもそうか」
そんな会話をしながら教室へ向かう。
しかし扉を開けた瞬間。
教室中の視線が一斉に集まった。
静寂。
そして次の瞬間。
「神谷ぁぁぁ!!」
「優勝おめでとう!!」
「写真撮っていい!?」
「サインくれ!!」
「賞金いくら!?」
「プロになるの!?」
質問が一斉に飛んでくる。
まるで記者会見だった。
蓮は自分の席へ向かいながら言う。
「順番に聞いてくれ」
「じゃあ俺から!」
「俺から!」
「いや私が先!」
さらに混乱した。
悠人は腹を抱えて笑っている。
「お前完全に有名人じゃん」
「笑い事じゃない」
「いや面白いだろ」
女子生徒の一人が身を乗り出してくる。
「神谷君ってあんなに強かったんだね」
「まあ」
「なんで今まで黙ってたの?」
「聞かれなかったから」
「確かに」
教室が再び笑いに包まれる。
別の男子生徒が興奮気味に言う。
「決勝見たぞ!」
「そうか」
「最後の逆転やばかった!」
「ありがとう」
「いやもっと喜べよ!」
「そう言われても」
「感情どこいった!?」
蓮は首を傾げる。
本気で分からなかった。
大会中もそうだったが、自分は勝った瞬間より試合内容の方が気になる。
今も頭の中では桐生との最終セットを振り返っていた。
「神谷」
悠人がニヤニヤしながら言う。
「今ならモテるぞ」
「興味ない」
「即答かよ」
「ゲームの方が大事だし」
「お前らしいな」
ホームルームが始まる直前まで騒ぎは続いた。
そして担任教師が入ってくる。
「席につけー」
生徒たちが慌てて戻る。
教師は教壇へ立つと真っ先に蓮を見た。
「神谷」
「はい」
「優勝おめでとう」
教室から拍手が起きた。
蓮は軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ただし学校では普通の生徒だ」
「分かってます」
「だから授業中にサイン会はするな」
教室中が爆笑した。
「する予定ないです」
「ならいい」
その後も休み時間のたびに人が集まった。
他クラスの生徒。
上級生。
下級生。
中には話したこともない女子生徒までいた。
「写真いいですか?」
「別に」
「握手してください!」
「いいけど」
「本物だー!」
まるで芸能人扱いだった。
昼休み。
ようやく人混みから解放された蓮は屋上近くの階段へ避難していた。
隣には悠人が座っている。
「疲れた」
蓮がそう言うと悠人は笑う。
「お前が疲れるとか珍しいな」
「試合より疲れる」
「人間相手だからな」
「ゲームの方が分かりやすい」
「それはお前だけだ」
しばらく沈黙が流れる。
すると悠人が少し真面目な顔になった。
「なあ」
「ん?」
「これからどうするんだ?」
「何が」
「プロとかチームとか」
蓮は少しだけ考える。
だが答えは決まっていた。
「別に」
「別に?」
「今まで通りだろ」
悠人は苦笑した。
「その今まで通りが無理そうなんだけどな」
放課後。
騒がしい一日がようやく終わった。
蓮は校門を出る。
悠人も一緒だった。
「ゲーセン行くのか?」
「行く」
「やっぱりな」
「悠人は?」
「今日は帰る。母親に買い物頼まれてる」
「頑張れ」
「お前も頑張れ」
何をだよ、と言いかけて蓮はやめた。
二人は駅前で別れる。
そして蓮はいつものゲームセンターへ向かった。
自動ドアが開く。
聞き慣れたゲーム音。
落ち着く空気。
ようやく日常に戻ってきた気がした。
格闘ゲームコーナーへ向かおうとしたその時。
「おう、来たか」
店のオーナーが声をかけてきた。
蓮が振り返る。
するとオーナーの隣に一人の男が立っていた。
三十代前半ほど。
スーツ姿。
穏やかな笑みを浮かべている。
だが、その目だけは異様なほど鋭かった。
「神谷」
オーナーが言う。
「ちょっと紹介したい人がいてな」
蓮は男を見る。
男もまた蓮を見ていた。
試合を観察する時の自分と同じ目だった。
相手を見極める視線。
そして男は静かに右手を差し出した。
「初めまして」
落ち着いた声だった。
「君の試合は全部見させてもらった」
蓮は黙ってその手を見る。
男は笑みを深めた。
「俺は鷹宮蓮司」
その名前を聞いた瞬間。
蓮の動きがわずかに止まった。
格闘ゲーム界にいる人間なら誰でも知っている名前。
国内最高峰のプロゲーミングチーム。
RAVEN’S NEST。
その創設者でありオーナー。
鷹宮は興味深そうに蓮を見る。
「少し話をしないか?」
ゲーセンの喧騒が遠く聞こえる。
神谷蓮はまだ知らない。
この出会いが、自分の人生を大きく変える最初の一歩になることを。




