第27回 キューバサンドと午前零時のクラッカー
紅茶でどうにか眠気を追い払うと、テーブルの上に並んだスパイスの瓶が、改めて妙に異国めいて見えた。
出町柳の小さな台所で、いよいよキューバサンド作りの開始だ。
「さ、私が書いてある英語読んで、ハルくん、訳していって。それで作っていくから」
「了解」
いよいよキューバンサンドの調理開始だ。
台所に開いた料理本を立てかけ、舞子が読み上げる。
"In a small bowl, combine the orange zest and juice, lime zest and juice, oregano, garlic powder, cumin, and coriander."
「えっと、小さいボウルにオレンジの皮と果汁、ライムの皮と果汁、オレガノ、ガーリックパウダー、クミン、コリアンダー……やって」
「要するに、柑橘とスパイス全部まとめて混ぜとけってことやな。」
僕は笑いながら、すりおろしたオレンジの皮をボウルに落とした。台所中にさっぱりした香りが広がる。
"Add the pork and let it rest for fifteen minutes."
「豚肉入れて、十五分休ませる──やって」
「休ませるって、肉の昼寝タイムだね」
舞子が笑いながら、バットに切り分けた豚バラを冷蔵庫へ滑り込ませた。
"Add mayonnaise and mustard to the remaining marinade and stir until smooth."
「残ったマリネにマヨネーズとマスタード混ぜて、なめらかになるまでかき混ぜる──ソースづくりやな」
「へぇ、ハルくんっぽい」
「どういう意味やねん」
「ちょっとスパイシーで、ちょっと脂っこいとこ」
「おいこら」
舞子の笑い声が台所のタイルに反射した。
こういう軽口が、いつの間にか当たり前になっている。
"Preheat the oven to 430 °F, place the marinated pork on the center rack and bake for 15 to 20 minutes."
「オーブンを華氏四百三十度やから、えーっとだいたい二百二十度やな、予熱し、中央段に豚肉を入れて十五?二十分焼く」
「オーブンなんかないよ?」
「あ。ホンマや。どうしよう?」
「ダッチオーブンは?」
「あー。上火なしでもいけるかな?蓋で熱を回すし、温度も安定するとは思うんやけど」
「やってみよー!」
──「どう?」
取り出してスライスしてみると、中までちゃんと火が入っている上に肉汁の洪水だ。
「うん。バッチリや」
"Spread the mustard mixture on inside of bread. On 2 bread pieces, layer each with 2 oz. cheese, 4 oz. ham, pork, 4 pickle slices, and remaining 2 oz. cheese."
「内側にソースを塗り、チーズ→ハム→焼いたポーク→ピクルス→チーズの順に重ねる」
「なんかすごいボリュームになってきたよ」
確かに、ギッチギチだ。
"Spread butter on outside of bread, being sure to coat on the top and bottom."
「パンの外側、両面にむらなくしっかりバターを塗るんやって」
「え、内側じゃなくて?」
「外側。焼いたときにカリカリになるように、らしい」
"Place foil-wrapped sandwiches in the skillet, then press them down with another pan."
「ホイルで包んだサンドイッチをフライパンにのせて、もう一個のフライパンで押しつける──」
「フライパン一個しかないよ?」
「うーん…フライ返しで押したらええか」
舞子がアルミホイルを丁寧に巻いて、予熱したフライパンに乗せる。
じゅうっと音がして、バターとハムの香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がった。
"Grill until toasted and the cheese is melted."
「チーズがとろけたらできあがり、やって」
「じゃあ、あとちょっとでキューバだね」
「え?」
「いや、香りがもう外国だよこれ」
フライパンを開けると、パンの表面がきつね色に焼けていた。
溶けたチーズが端からとろりと流れ落ち、舞子が小さく歓声を上げる。
「うわあ、カフェの匂いする!」
「出町柳の台所が、いまキューバや」
舞子は笑いながらナイフを入れ、断面から湯気とチーズの糸が立ち上る。
僕達は顔を見合わせ、言葉もなく頷いた。
時間もいい頃合いで、お腹も空いた。
「あ、ちょっと待ってて!」
舞子がいそいそと玄関で靴を履き始める。
「えー?食べようやー」
「アパートの前の自販機でコーラ買ってくるからすぐだよ!」
なるほど。確かにこれは気分的にコーラは欲しいところだ。
舞子はすぐに両手にコーラの瓶を持って台所で王冠を栓抜きでプシュッとやって戻って来た
「じゃ、ハルくんの誕生日の前祝いで、おめでとう!!!」
「ありがとう!」
コーラの瓶で乾杯したら、いよいよ憧れのキューバンサンドだ。
舞子が半分に切ったサンドイッチを皿にのせた。
外側のパンはカリッと焼けていて、フォークの先がすっと刺さらないほど。
断面からはチーズが溶けて糸を引き、ハムとポーク、ピクルスの層がはっきり見える。
金色のバターが表面でまだじゅっと音を立てていた。
「じゃ、いくよ」
「はい、せーの」
同時にかぶりつく。
──バリッ。
音がした瞬間、香ばしいバターの匂いと一緒に、熱々のチーズと肉汁が口の中に広がった。
酸味の効いたマスタードとピクルスの爽やかさ、それを包み込むハムの塩気と、焼いたポークの旨味。
オレンジとライムのマリネの香りが、噛むたびにふわっと抜けていく。
探し回ったクミンとコリアンダーの香りが、異国感を演出する。
「……なにこれ、めっちゃ美味しい!」
舞子が目をまん丸にして叫ぶ。
「うわ、ホンマや。ヤバいなこれ」
「パンがカリカリで、中がとろとろ……ハムとチーズが溶けて混ざってる!」
「ピクルスがええ仕事してるわ。脂っこさが消える」
「うんうん!それに、なんかね、南国の味がする!」
「それ多分オレンジとライムや。柑橘の酸味が肉の中に入ってるねん」
僕は思わず笑った。
口の中が忙しくて、止められない。
かぶりつくたびに、バターが指先にじんわりと溶けて、紙ナプキンが油で透ける。
舞子は目を閉じて頬をゆるめながら、「幸せって、こういうことだね」とぽつりと言った。
その声に、僕の胸の奥も少し熱くなった。
「出町柳で食べてるのに、なんか…映画の中にいるみたいやな」
「うん。『彼女がキューバサンドに着替えたら』ってタイトルで映画撮れそう」
「それ、ヒットせえへんやろ」
「うそ、私なら観るもん」
笑いながら、コーラの瓶をもう一度カチンと合わせた。
炭酸が喉を駆け抜け、チーズの濃厚さがすっと引いていく。
皿の上には、焦げ目のついたパンくずと、溶けたチーズの名残。
舞子が指先でそれをつまんで口に運び、「ねえ、また作ろうね」と笑った。
僕はうなずきながら、残り半分を手に取った。
パンの温もりがまだしっかりと掌に残っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
感動のキューバンサンドから落ち着いたら、閑話休題、いったん銭湯へ。
帰ってきたら今度はケーキタイムだ。
冷凍のホイップクリームはいい感じに解凍されている。
僕がいつものようにコーヒーと紅茶を用意している間に、舞子がスポンジに生クリームでデコレーションし、缶詰フルーツとチェリーを並べていった。
「うわ。売りもんみたいやな」
「えへん」
舞子はこういうのが本当に器用だ。
しかも、ただ器用なだけじゃない。
僕が喜ぶ顔を、ちゃんと先に想像している。
「ロウソクも立てるね。二十二本は大変だから、大きいの二本と小さいの二本で」
いつのまにそんなものまで用意してくれていたんだろう。
「ライター貸して」
舞子が火を点け、部屋の電気を消した。
オレンジ色の光が大きな瞳に映り込んでキラキラと輝いている。
♪ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディアハルくん、ハッピバースデートゥーユー
舞子は手拍子と一緒に歌ってくれた。
僕が一息で四本のロウソクを吹き消すと、拍手。
「舞子、ありがとう」
「おめでとう。前日だけど」
そう言って笑いながら食べたケーキは、本当にお店のケーキみたいに美味しかった。
いいバースデーイブだ。
キューバンサンドとケーキの感想戦がひとしきり終わると、舞子が小さくあくびをした。
一日中ずっと買い物と料理で動き回っていたのだから無理もない。
僕も眠い。
二人で歯を磨いた。
「ほな、寝よか。ホンマきょうはありがとうな」
「うん。寝よう」
舞子はそう言ってソファベッドをベッド形態に広げ、マットとブランケットと枕を押入から出してきて「おやすみー」と言って横になるやいなや、すぐにすうすうと寝息を立て始めた。
僕もベッドに入るとすぐに睡魔が襲ってきた。
今日は本当にいい日だった。
キューバンサンドは初体験のすごい美味しさだったし、ケーキも美味しかったなあ…すう…
パン!!!!!
眠りの底まで落ちていた僕は、大きな破裂音でびっくりして飛び上がった。
何事だ!?
と、手にクラッカーを持った舞子がニコニコしながら僕の横に立っていた。
パン!!!パン!!!!
連続してクラッカーが鳴る。
火薬の匂いが立ち込める。
「え?なに?こんな夜中に?」
「改めて誕生日おめでとう!今日付が変わって、ハルくんは正式に二十二歳になりましたー!」
パン!!!!
ああ、これをやるために寝たふりをしていたのか。
嬉しい。
けど、本当に驚いた。
でも、ありがとう、舞子。
──翌日、隣の部屋の住人からのクレームを受けた大家さんに、しっかり怒られたのは言うまでもなかった。




