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第2回 ごっつぉの地図

「中田さん、現金書留です」


ノックの音と一緒に、ドアの向こうからそんな声が聞こえた。


「ハルくん、郵便屋さん来たみたいだよ?」


僕が読み終えた『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいた舞子が顔を上げた。

テレビでは、いしだあゆみと清水美砂の親子が言い争っている。


キッチンでコーヒーを淹れようと豆をガリガリと挽いていた僕は、その手とコンロの火を止めてドアに向かった


「はーい。ありがとうございます」


ドアを開けると、赤い『〒』マークの入った白いヘルメットを被った郵便局員さんがタスキにかけたカバンから茶色い封筒を取り出しながら、受取票を示して


「ここにハンコお願いします」


と笑顔を向けてきた。


「すみません、印鑑ないのでサインでもいいですか?」


「はい、ではこちらにフルネームでお願いします」


僕は局員さんから胸のボールペンを借りてサインをし、封筒を受け取った。


「ご苦労さまです」


ドアを閉め、部屋に戻る。

とりあえず封筒はテーブルに置いて、コーヒーの続き、ケトルの火を点け、豆を挽き、ペーパーの端を折り返してドリッパーにセットして挽いた豆を均等に入れ、沸騰してから1分置いたお湯を落とす。


まず軽く湿らせて二十秒。

次に真ん中に細く注ぐと、豆がぶわっと膨らんで香ばしい薫りが立ち上った。


サーバーに出来上がったコーヒーをマグカップに入れてソファに座ると、舞子が


「ねーねーハルくん、片手でサンドイッチ切れるってすごくない?」


とこっちを見上げた。

ベトナム戦争で片腕を失ったディック・ノース。

実は僕も一度やってみようと人差し指と中指で包丁を持ち、親指と小指で支えたサンドイッチを切ろうとしたことがあったが、もちろんそんな事はできなかった。

ハムとマヨネーズがみっともなくはみ出しただけだった。


「いやホンマ、すごいな」


そう言いながらさっき届いた封筒を開ける。


「わ!十万円!」


「え!?すごい!なんで!?」


十人の福沢諭吉と一緒に入っていた白い便箋を開くと、


─────────────

就職内定おめでとう。

これで美味しいもんでも食べ

─────────────


というメッセージと、中主のお祖母ちゃんの名前があった。

子供の頃からとにかく僕を可愛がってくれた、大好きな母方のお祖母ちゃん。


僕はすぐにお祖母ちゃんに電話をかけた。


「あんた頑張ったなぁ。京都やったらなんなとええもんあるやろ。それで贅沢しぃ、美味しいもん食べり」


お祖母ちゃんは笑いながらそう言ってくれて、僕は丁寧にお礼を言って電話を切った。



──さて、何とも嬉しい臨時収入、どうしたものか。


けれど、せっかくなら、ただ高いものを食べるんじゃなくて、舞子に「京都の美味しいもん」を食べさせたかった。

店の値段だけじゃなく、誰に教わって、どこで買って、どう食べるかまで含めて「ごっつぉ」みたいなものを。


「ねえ舞子、まだ食べたことないけど食べてみたいもんて何かある?」


「えー?そんなの急に言われても分からないよー」


「そうやんな…」


京都らしくて、日常の延長にある贅沢。

そんなもの、何かないだろうか。


しばし考えていい案も思いつかず、鴨川デルタに散歩でも行こうかと二人でアパートの前に出たところで大家さんに出会った。


「こんにちはー」


「ああ、中田くん、こんにちは」


そうだ。大家さんならいい考えを教えてくれるかも知れない。

代々京都の人だったはずだ。


「すんません、今ちょっとええですか?」


「ん?どないしはったん?」


「実はですね…」


僕は経緯を話して、何かいいプランはないかと大家さんに尋ねた。


「そうですな。お店で食べるんもええけどな、中田くんが言わはるように、ワシら京都のモンは美味しもん買うてきて家で食べるのがごっつぉやな」


「僕もそう思うんですけど、どこで何買うてきて何食べたらええんかなあと」


「ほな、ちょっと待っときなはれ。あ、それか、どっか行かはるんやったら、帰りにワシの家寄りなはれ」


ということで大家さんのご厚意に甘えることにして、一時間後くらいに伺う約束をして、僕達は鴨川デルタまで散歩に行くことにした。


まだ夏には早いが梅雨の合間の京都は既に蒸し始めていて、三角州の天辺あたりでは気の早い子どもたちがもう川に入って浅瀬に飛び出した石を渡って遊んでいた。

僕と舞子も、最初は座ってそんな子どもたちを眺めていたが、僕のタバコの二本目が燃え尽きたあたりで暑くなってきて、川辺まで行って靴と靴下を脱ぎ、元々短パンの舞子はそのまま、僕はジーンズの裾をまくり上げて川に入った。

水は冷たく、川底の石と足の裏の間をくすぐりながら流れていく。

足元から体中が冷やされていくのが心地良い。


「舞子、水かけるとかベタなこと…」


言い終わる前に、舞子が川の水を手ですくってこちらに跳ね上げてきた。

水滴がキラキラと光りながら頭から降り注ぐ。


「すんなって言おうとしたのに!」


そう言いながら僕も舞子に水をかけ返す。


「わー!そっちこそ!」


舞子がそう言ってもう一度屈んだところで、


「待って待って待って!これ続けたら絶対二人ともビショビショなるやろ!」


とストップをかける。


「ハルくんが先にかけた!」


「舞子が先や!」


結局、川の中で子どもみたいに笑い合ってしまって、気がつけば周りの子どもたちまでこっちを見ていた。


見上げた空は、六月とは思えないくらい、きれいに晴れていた。


◇    ◇    ◇    ◇


「この通り回って買うてきよし。そしたら間違いない。ワシが保証する」


大家さんはそう言って、手描きの地図を渡してくれた。

七本松中立売、西大路一条、堀川下長者町、●の付けられた場所にそれぞれ店名と何を買えばいいかが書いてある。

うなぎ蒲焼と八幡巻き、お揚げさん、粉山椒、お味噌、最後は出町柳で昆布と鰹節。


「あとな、商店街で九条ネギ買うてきはったらよろし」


リストを見るに、白ご飯炊いて、うなぎとお揚げさんの味噌汁作って食べなさい、ということらしい。

なるほど。これは贅沢だ。それでいて地に足がついている。


大家さんの教えてくれたプランは、僕の中でぼんやりしていた「京都の贅沢」に、ぴたりとはまった気がした。


店で食べるだけじゃなく、

買って帰って、家で炊いたご飯と一緒に食べる。


そういう時間ごと含めて、京都の「ごっつぉ」なんだろう。


「ありがとうございます!絶対に美味しいですよねこれ!」


「ああ、それと、梨木神社の井戸で水汲んで行きなはれ。空のペットボトル持って行かはったらええわ」


「水ですか?」


「それで飯炊いて、味噌汁作ったらよろし」


もうこの話だけでワクワクしてきて、口の中によだれが溢れてきた。

舞子がバイトが休みの次の日曜日にぜひ実行しよう。


「あ、教えてもらったお店って、日曜日開いてますか?」


「日曜な…確かお味噌屋さんだけ日曜休みやったと思うし、それだけ先に買うといたらええんとちゃいますか」


「分かりました。ありがとうございます!」


◇    ◇    ◇    ◇


日曜日。

天気予報では昼から少し降るかも、というどんよりした天気ではあったが、僕と舞子は大家さんに教えてもらったお店を回るべく、朝から自転車でアパートを出発した。

お味噌は僕がゼミのあった日に大学の帰りに堀川まで自転車で足を伸ばして買ってきてある。

一リットルの空のペットボトルとトートバッグを自転車の前カゴに入れて、今出川通を北野白梅町に向かって走る。

道順的に、まずは七味屋さんからだ。

西大路通りの一本手前で一条通の方に下ると、店の外まで鮮烈な山椒の香りが漂っていた。

店内に入るとその香りは一層強くなり、体がすうっとする。


「わ、ハルくん、カウンターの上すごいよ!」


舞子の声に店の奥のカウンターを見ると、緑、赤、白、色とりどりのスパイスとすり鉢が並んでいた。


「いらっしゃいませ。今日はどうしましょ?」


という店主の声に戸惑っていると、


「お好み言うてくれはったら、調合させてもろてるんです」


と店主が説明してくれた。

小辛、中辛、大辛から辛さを選んで、山椒、麻の実、唐辛子、芥子、青海苔、黒胡麻、白胡麻、紫蘇の8つを「山椒多め」「紫蘇多め」などリクエストしたら目の前のすり鉢で擦って調合してくれるという。


「ほやからウチは、七味と違ごて八味ですな」


店主が笑う。


「今日は山椒の粉が欲しいんです」


「ああ、そうでしたか。高野山の山椒を石臼で挽いた限定のんは今の時期はおへんけど、そっちの『石臼挽き』いうて書いたぁる山椒も美味しいですえ」


「ほな、それ下さい」


「へえ、おおきに。八味の方は今日はよろしいですか?うどんでも冷奴でも、何でもかけてもろて美味しいですよ」


「う~ん…悩むけど、それはまた『今日使う』いう時に買いにこさして貰います」


「ほな、お待ちしてます。おおきに」


お金を払い山椒を受け取って店を出た。


「すごい店だったねー」


「そやな。最初っからこれやったら、この後の店も絶対すごい店ばっかりやで」


僕まで少しテンションが上がっていた。

舞子に、自分の知らない京都を見せてもらっている気分だった。


「だよねー」


「ほな次行こか」


一条通を東に行くと、すぐに中立売通と重なって七本松の手前の商店街のアーケードに今日のメーンエベントのうなぎ屋さんが見えてきた。


『関西風鰻蒲焼』


大きく書かれた看板のむこうから、それだけでお腹の空いてくる堪らないうなぎの匂いが漂ってくる。

腹開きにされた大きなうなぎが5尾、串を打たれて炭火の上でジュウジュウと焼かれている。

サッと串を持ち上げてタレに漬け、また炭火の上に。

またタレに浸し、ひっくり返して反対側。

赤茶色にテラテラと光るうなぎは、見るからにぷりぷりだ。



「ハルくんハルくん、匂いだけでクラクラするんだけど!」


僕も舞子と同じだ。


「いらっしゃい。どうしましょ?」


「えーっと、蒲焼と、あと、八幡巻き?ていうのも欲しいんですけど」


「はい、うなぎはどれにしましょう?」


「えーっと、どれがお幾らなんですか?」


「量り売りやから、一匹ずつ目方によって違うんです。この小さいやつが二千円位で、こっちの一番大きいやつやと三千五百円位ですねえ」


なるほど。さすがにいい値段だ。


「舞子、どうする?小さい目の二匹にする?それか大きいの一つ買って二人で分ける?」


「う~ん…そんな贅沢していいのかな?」


「ええねん、今日は贅沢しいや言われて買いに来てるんやから」


「そしたらね、大きいの買って二人で食べよ?」


「ほな、その一番大きいやつ一つと、あと、八幡巻きってどういうもんなんですか?」


「八幡巻きはね、ごんぼをアナゴの蒲焼で巻いたもんです」


指さされた方を見ると、これまたツヤツヤと光り輝いていて、もう見ているだけで口の中によだれが溢れてくる。


「ほな、それ二本下さい」


「はい。うなぎはいくつに切っときましょ?」


「えーっと、二人で食べるんで、どう切ってもろたらえんでしょ?」


「そしたら、四つに切っときますね。ほんで、これがタレ。食べる前にトースターとかで軽く炙ってから、このタレかけて食べて下さい」


ああ、もう堪らない。

早く家に帰ってご飯を炊いてこれを食べたい。

でも、この贅沢をより極めるためには、まだミッションが残っている。


「えっと、この近くにお豆腐屋さんがあるて聞いたんですけど」


「ああ、そこ上ってもろたらすぐですわ。」


「ありがとうございます。そしたらこれ」


「おおきに!お釣りです」


そうして僕達は、うなぎの匂いに理性を飛ばされそうになりながら、次の店を目指した。


手描きの地図を辿って店を回るだけなのに、

それは何だか、京都の暮らしを少しずつ集めていくみたいな時間だった。

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