第12回 海に浮かぶ列車と、サザエの反乱
土曜日の夜。
舞子はバイトに出かけている。
僕は滋賀県の実家まで車を走らせて、預けているキャンプ道具を積みに行った。
皿やコップ、まな板や調味料などのこまごました調理と食事関係のものは昼間に舞子がケースにまとめてくれていたので、僕は主に大物担当だ。
叔父さんが色々とくれるものだから、僕のアパートではとても収納が追いつかないのだ。
「あんた、また道具取りに来ただけで帰るんかいな?」
親にそんな文句を言われながら、荷物を積み込む。
ハッチを開け、後部シートを倒してラゲッジスペースとつなげてフラットにした。
叔父さんにもらったテント、床に敷くブランケット、コールマンの折り畳みチェアとテーブル、ダッチオーブンとトライポッド、木炭、炭用と料理用のトング、スチベルクーラーなどなど。食材は明日出発前にクーラーに入れて、氷は途中のコンビニで買えばいい。
フラットにしたカリブの後部座席はかなり広いのだけれど、それでも崩れないように無駄のないように積んでいくのは結構頭がいる。
ちょっと前に発売されたテトリスみたいだ。
それに今回は、今週密かに河原町の好日山荘で買ってきた、ちょっとしたお宝も積んでいる。
積み終わる頃にはもう汗だくで、Tシャツが肌に張り付いた。
「ほな、帰るわ!」
「びしょびしょやんか!風呂くらい入っていき!」
「いやー、どうせ京都戻ったらまた風呂入るし」
なんやかんやと僕を引き止めようとする親をなんだかよくわからない理由で言いくるめて車を出す。
うっかり長居すると、晩ごはんから風呂、そして「泊まっていき」になることは見えている。
明日は早く出発するために夜のうちに準備してるのに。
荷崩れしないようにいつもよりゆっくりと途中越えの峠道を走り、白川に降りたらもちろんテンイチに寄ってから家に帰る。
アパートの駐車場に車を停めると、ちょうど舞子が帰ってきたところだった。
「おかえりー。風呂行こう風呂。汗でベタベタやねん」
「いいよー。そしたら着替えとお風呂セット取ってすぐ行こう」
舞子は銭湯までの自転車で、ずっと「キャンプだホイ」を歌っていた。
「エラいご機嫌やな?」
「うん。小さい頃からお父さんに連れてってもらっててキャンプ大好きだし、今回は気を使う知らない人も、意地悪してくる人もいないんだもん。」
そうだった。
去年の夏は、仲良いふりをしたユリカが実は舞子にチクチクと意地悪をしていたんだ。
気付かなかった僕は、舞子に本当に悪いことをした。
そういえば、タツヤ達は結局どこに行ったんだろう?
土日って言ってたから、今日はもう泊まってるよな。
今週はたまたま交代でも会わなかったからその後の話を何も知らない。
まあ、適当にどうにかしたのだろうが。
「明日、食料関係忘れないようにしないとね!お肉とか」
ソファをベッド形態に延ばしながら舞子が言う。
「あ。コーヒーの用意入れてない!」
「入れてあるよー」
さすが舞子、抜かりがない。
明日は早い。
さっさと寝よう。
「ふにゃ!」
明日は置いていかれることを気配で察したゴローちゃんが、ちょっと怒って寝る前のカリカリを要求していた。
◇ ◇ ◇ ◇
「「キャンプだホイ♪キャンプだホイ♪キャンプだホイホイホイ♪」」
翌朝六時、車は9号線を西に向かって走っていた。
桂川を越え、保津川下りで行った亀岡を越え、園部から山道をくねくね走って途中で173号線に右折し、綾部からさらに北へ。
途中のコンビニでクーラーボックスに入れる氷と缶コーヒーとサンドイッチを買ってのんびり二時間半、やがて海の匂いがしてくると舞鶴だ。
青看板の指示に従って天橋立を目指した。
175号線から178号線になって由良川沿いを海に向かって北上していく。
「わ。ハルくん見てあれ!海の上を列車が走ってる!」
舞子の声にハンドルを握る手を緩めて、僕もそちらに目をやった。
由良川の河口にかかる鉄橋。
朝の靄の中を、ゆっくりと一両編成の列車が渡っていく。
銀色の車体が、まるで水面と空のあいだを滑っているように見えた。
鉄橋の下には満ちてくる潮が鏡のようにひろがり、列車の影と雲の影が重なって揺れている。
風がひとすじ、川面を撫でた。
波紋が陽の光を細かく砕きながら広がっていく。
その瞬間、列車の姿が一瞬だけ消えて、そしてまた現れる。
まるで時間の狭間をすり抜けて、どこか遠くの世界へ行ってしまうようだった。
「……きれいだね」
舞子が小さくつぶやく。
僕はうなずきながら、少し減速してその光景を目に焼きつけた。
旅の始まりにふさわしい、透明な朝の奇跡。
この一瞬を、たぶん僕らはずっと忘れないだろう。
と、そんな幻想的な気分は、道路脇の粗末な小屋の登場で一気に現実に引き戻された。
『サザエ ホタテ エビ』
手描きのマジックで書かれた大きな文字が目に入る。
僕は迷わずウインカーを出して左に寄り、ハザードを点けて車を停めた。
「舞子、昼は海鮮バーベキューや!」
「え?えー!?」
「ほらこれ!」
ザルに三尾、あるいは三個ずつ並べられた魚介は、どれもこれも見るからに新鮮で、しかも京都のスーパーや錦市場に比べると、驚きの安さだった。
「舞子、エビとか貝とか好き?」
「うん。エビ大好き!貝は、帆立の貝柱焼いたのは大好きだけど、サザエは食べたことない」
「そうか。サザエ、美味いで。小学校の修学旅行で皆が気持ち悪がって食べへんかって、好きや言うたら僕のとこに一杯集まってきてめっちゃ幸せやった」
「ハルくんぽいね、それ」
「ほな、エビとホタテとサザエ、ひとザルずつ下さい」
「はーい、おおきに」
麦わら帽子にサングラスのちょっと怪しげなおっさんにお金を払い、まとめてもらったビニール袋をスチベルに入れる。
一回生の頃に偶然見つけた天橋立のキャンプ場までは、記憶が間違っていなければ海沿いを走ってあと三十分くらいのはずだ。
宮津市街に入る前に一回海から離れ、もう一度海が見えると「天橋立」「知恵の餅」という看板が次から次に押し寄せる。
やがて、もうそこが天橋立というあたりまで来て不安になり始めた頃、
「あった!」
「ようこそ」という粗末なアーチ、ところどころ網が破れかけたフェンスの向こうに、大勢の人とたくさんの黄色いテントが見える。
入口で、さっきの海鮮屋台のおっさんと双子かと思うくらい良く似たおっさんに千円を払い、
「空いてますかね?」
と訊くと、おっさんは
「かなり一杯やけどねえ、まあ、探してもろたらあるんちゃいますか?」
と無責任な答えで、案内もしてくれなかった。
前に来た時は、十月の平日だったから寂しいくらいだったんだけど。
「前はテントの横に車停められたんやけど、今日は無理そうやなあ」
僕はそう言って臨時駐車場っぽいところに車を停め、テントがひしめき合うエリアに舞子と歩いていった。
と。
「いやいや!おかしいやろ!オバハン!」
なんだか覚えのある声で怒鳴り声が聞こえた。
「あんたら若いんやからまた掘ったらええやん!?」
「はぁ?よう子どもの前でそんな事言えんなオバハン!?」
もう一人の声も何だか聞き覚えがある。
「ねえ、今の声、タツヤさんとヒロさんじゃない?」
舞子が小さく言った。
「え?あいつらも、もしかしてここ来たんか?ていうか、何揉めてるねん?」
声の方に近づくと、果たして声の主はやはりタツヤとヒロくんだった。
「はいはい、実に『お母さん』らしい言葉やねえ。『あんたら、若いねんからまた掘ったらええねん!』てか?」
と裏声でマネをして煽っているのはマサキだ。
周りで、平和主義のタカトモや、ミナコ、ショウコちゃん、サキチなんかが困った顔で様子をうかがっていた。
やはりこいつら、僕の情報聞いてここに来てたんだ。
「どないしたん?」
間に割って入ってそう言うと
「わ!ハルヒト急に出てきた!」
「いや、ここ来るて先に言うたん僕やん。お前らもここ来てるとは思わんかったわ。ほんで何揉めてるん?」
「いやな、俺ら昨日からここにテント張ってて、バーベキュー用のスペースも確保してここにカマド作ってたのに、朝から海行って今戻ってきたら周りの石どかされて穴も埋められて、上にこの家族がテント張っててん!」
僕は家族の方に向いて
「それはアカンのんちゃいますか?気付かへんかったんならまだしも、明らかにカマドやて分かった上で埋め戻してますやんこれ?並べた石までどけて?」
と言ってみた。
お父さんらしきひ弱そうなおっさんは、目を合わせないように聞こえないふりをしていた。
「そんな事言うても、いっぱいやねんからしゃあないやん!?」
お母さんらしきオバさんがまだ抵抗する。
「しゃあないも何も、そんな『鍵付いてない自転車見つけたから乗って帰った』みたいな話正当化されても」
「ほな、どうせい言うんよ!せっかく建てたテント、もう一回分解してここで場所探せていうんか?それやったら、お兄ちゃんらが私らに場所探してこいや!」
あかん。これはあかん。
日本語が通じないパターンだ。
この手の人には、どんなにこちらが正しくても何も通じない。
論理を組み立てる、という回路がそもそも欠落しているのだ。
「ねえハルくん、後ろのグループ、もう帰るみたいよ?」
ふと舞子が言った。
見渡すと、早くも撤収を始めているグループがちらほら見え始めた。
「あのさ、タツヤ、ヒロくん、マサキ、こういう頭のおかしいオバハンといつまでも揉めてても時間もったいないだけやし、いまからスペース空きそうやし、そっちでやった方がええんとちゃうかな?僕らのテントも、空きそうなその辺に張るし、お前らのテントと僕のテントの間にカマド作って、一緒に昼飯食おうや。その方が健康的やで」
「せやせや、ハルヒトの言う通りや」
それまで一歩引いて黙っていた平和主義のタカトモが同意して、サキチ達もうんうんと頷いて、それをみたタツヤ達ヒートアップ組も冷静さを取り戻してきたのか、その案に同意してくれた。
「くたばれ!オバハン!」
と捨て台詞を吐くことだけは忘れてなかったが。
◇ ◇ ◇ ◇
「えーっと、皆ほとんど知ってると思うけど、サキチと、その、お友だち? それとマサトは初めてやんな。この子、舞子」
僕がそう紹介すると、舞子が
「舞子です。ハルくんの親戚でいつもお世話かけてる、もうすぐ十八歳です」
とハキハキと挨拶した。
間違いなく舞子の上がり症は改善されてコミュニケーション能力が上っている。
「紗季子です。バイト先ではみんなにサキチって呼ばれてます。舞子ちゃん、一つ違いやし、仲良くしよ!よろしく!」
「あ、サキさん、ハルくんからお話は聞いてました。祇園祭の時はごめんなさい。よろしくね」
舞子が頭を下げる。
「紗季子の大学の友達のメグミです。私もよろしくね」
「俺は、ハルヒトさんのバイト先のチェーンのびわ湖店のスタッフでマサトって言います。京都学園大学の二回生です。よろしく!」
初顔合わせのメンバーの挨拶を回す間に、改めて土を掘って石を周りに並べたカマドの中で、薪から炭に火が移っていい感じになっていた。
タツヤはクーラーボックスの中からバットに入った肉を取り出した。
昨日食べた分とは別で、ギリギリまでカチカチに凍らせてきたという肉がちょうどいい具合に解凍されていた。
みんなに紙皿と割り箸が配られ、ヒロくんが
「エ・バ・ラ焼肉のタレ!」
とまた歌いながらタレを出す。
本当に好きなようだ。
「あ、僕らは途中で買ってきてるから」
と、スチベルから海鮮を取り出すと、皆が
「う~わ~!出たわ!ハルヒトの一人ええかっこしい!」
「美味そうやんけ!」
と囃し立てる。
いやまて、そもそも僕はお前らと合流する予定なんかなかったんだし、一人だけって言われてもそんなの知らない。
「まあええやん」
そう言って、網の上にエビ、ホタテ、サザエを二個ずつ乗せていった。
炭の上でパチパチと火花が跳ねる。
真っ赤な炭の熱に、まず殻付きのエビを乗せると、すぐに殻の隙間から甘い香りが立ちのぼった。
焼けていくうちに、透明だった身がふわりと白く反り返り、殻の内側から滲み出た汁が炭に落ちて「ジュッ」と音を立てる。
その音と香りに、みんなの視線が吸い寄せられた。
「うわ、もう匂いからして美味しそう!」
舞子が目を輝かせる。
ホタテの貝殻の上では、白く膨らんだ貝柱がじゅうじゅうと泡を弾き、醤油を垂らすと一気に香ばしい匂いがあたりに広がった。
海風がそれを撫で、潮と炭の混じった匂いが鼻の奥をくすぐる。
「この音、たまらんなあ」
ヒロくんがビールを掲げながら言い、マサキが
「おっしゃ、これはもう『海鮮課』の出番やな!」
と訳のわからないことを叫ぶ。
サザエの殻の口から、ゆっくりと泡立つ汁が顔を出す。
蓋の部分がふつふつと揺れ始めたところでトングでつまみ上げると、ぐらりと螺旋の身が浮き上がった。
醤油をほんの少し垂らすと、焦げる匂いが強くなり、誰もが無言になった。
「……これ、どうやって食べるの?」
舞子がサザエを前に小首をかしげる。
「この楊枝でくるっと回して。ほら、こうや」
僕がやってみせると、くるくると黒褐色の身が抜けてきた。
舞子が恐る恐る口に運び、噛んだ瞬間、驚いたように目を丸くした。
「えっ、すごい!香ばしくて美味しい!」
「でしょ。ちゃんと焼くとこうなるんよ」
僕も自分のサザエを口に運んだ。
潮の塩気と焦げた醤油の香り、苦味と甘みが一体になって、夏の味がした。
ホタテの貝柱は口の中でほろほろと崩れ、エビは身がぷりぷりと弾ける。
波の音と子どもたちの笑い声が遠くから聞こえ、煙が海風に溶けていく。
炭火の上の魚介が静かに焼けるたび、舞子が「ねえ、見て見て!」と笑い、僕はその横顔を何度も目で追った。
昼下がりの太陽が、海と砂とみんなの笑顔を白く照らしていた。
あの幻想的な鉄橋の光景が、少し遠い夢みたいに思えた。
けれど、炭火の音と潮の香りの中で、確かに「いま」がきらきらと燃えていた。
「なんかお前ら、前から思てたけど、やっぱり親戚いうよりラブラブカップルにしか見えへんなあ」
ビールの酔いの回ったマサキがそう言って、何か言い返そうとした瞬間のことだった。
パン!!!!!
網の上で大きな音がして、次の瞬間、おでこに激しい痛みが走った。
「あっつぅ!!!!」
なんと、三個目のサザエの蓋が開く前に中身の圧力が限界を越え、弾けた身が僕のおでこに飛んできたのだ。
少しズレて目なんかに当たってたら大惨事だったろう。
がしかし。
そんな心配をしてくれる奴らじゃない。
「わははははは!バチが当たった~!」
「ハルヒトのデコ、デコ、ほら、渦巻形に赤くなって!ひぃひぃ!」
「おもろすぎるやろー!美味しいわ~!」
みんな大喜びだ。
ミナコもサキチもショウコちゃんも、更には初対面のはずのメグミちゃんまで場の空気に乗せられて腹を抱えて笑っている。
「ハルくん、大丈夫?目とか入ってない?」
本気でオロオロして心配してくれたのは、舞子だけだった。
笑い声と波の音が、夏の海に混ざっていく。
おでこはまだじんじんしていたけれど、舞子が濡らしたタオルを当ててくれる手だけは、妙に冷たくて気持ちよかった。
海に浮かぶ列車から始まった一日は、サザエの反乱で、妙に忘れがたいものになってしまった。




