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教えない勇者に育てられた俺たち、命令がない世界で最強になる  作者: 慈架太子


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4話 合わない

そこは、森の入り口だった。


まだ太陽は高い位置にあり、周囲が暗いわけではない。しかし、密集した樹々の隙間からは奥を見通すことができず、ただ湿った緑の闇が口を開けて待っているようだった。一歩、その領域に足を踏み入れると、世界の音が変質した。


踏みしめる土の柔らかさ。何層にも重なった腐葉土の沈み込み。乾燥した枝が折れる、甲高い乾いた音。それらが、静まり返った空気の中で不気味に強調されて響く。


誰も喋らない。

並んでいる二十人の間には、昨日からの距離がそのまま残っていた。左側に貴族、右側に平民。その境界線には、見えない壁が厳然とそそり立っている。混ざり合う兆しすら、そこにはなかった。


「入るぞ」


ユリウスが、感情を削ぎ落とした声で告げる。

誰も返事をしない。肯定も否定もせず、ただ重い足取りで彼に従う。


森の中は、外より数度気温が低かった。

鬱蒼と茂る葉が日光を遮り、視界は急激に狭まる。数メートル先でさえ、太い幹の陰に何かが潜んでいれば判別がつかない。


「……気配、多いな」


最後尾近くを歩いていたミオが、誰にともなく小さく呟いた。

その呟きを、ロイドが過敏に拾い上げる。


「どこだ。どこにいる」


ロイドの声は無駄に大きかった。静寂に包まれた森の中で、その音は獲物を探す捕食者に自分たちの位置を教える合図にしかならない。


「静かにしろ。音を立てるな」

トーマスが低い声で制する。


「指図するなよ、平民が」

ロイドが苛立たしげに舌打ちをする。その傲慢な態度は、この極限状況においても揺るぐことはなかった。


その時だった。

音がした。

低い、地面を擦るような、何かが這い寄る音。


「来る」

ミオが警告を発した。


だが、遅すぎた。

横の藪が爆発したように弾け、鋭い牙を剥いた黒い影が飛び出した。


「うおっ!?」

ロイドが慌てて振り向く。しかし、鎧に頼り切った彼の動きは、野性的な獣の速度には追いつかない。

鈍い音がして、ロイドの右腕に牙が食い込んだ。


「どけ!!」

隣にいたガイルが反射的に突っ込む。無骨な拳が黒い影の横面に叩きつけられ、獣を強引に吹き飛ばした。


「囲め! 散るな!」

カイルが叫び、指示を飛ばす。


だが、誰も動かない。動けない。

貴族たちはカイルの指示を聞きながらも、隣にいる平民とどう連携すべきか分からず、平民たちは貴族の命令に従うことに本能的な拒絶反応を示していた。


「前出ろ!」

「下がれ、邪魔だ!」

「右から来てるぞ!」

「左を固めろ!」


重なり合う声。指揮系統は存在せず、ただバラバラな叫びが森に虚しく響く。

その混乱を嘲笑うかのように、別の影が背後の闇から音もなく現れた。


「後ろ!!」

エマが叫ぶ。


しかし、間に合わない。

最後尾にいたミレイナが足をもつれさせ、無様に転倒する。その白い喉元を狙って、漆黒の牙が迫る。


硬質な衝撃音が響いた。

割り込んだのはリリアだった。一歩で間合いを詰め、抜刀の予備動作すら見せずに獣の眉間を断ち切る。


「下がれ」

短い一言。


だが、若者たちは下がらない。いや、下がれなかった。

恐怖と焦りが彼らの理性を焼き切り、ただの喧嘩の延長線上に彼らを突き落としていた。


「この野郎……!」

ロイドが痛みを堪えながら、一人で獣の群れに突っ込んでいく。手柄を立てて屈辱を晴らそうという、浅ましいプライドが彼を突き動かしていた。


だが、死角から別の個体が飛びかかる。ロイドにはそれが見えていない。


「見ろ!! 左右を確認しろ!!」

ミオの叫びも、激昂したロイドの耳には届かない。


貴族側のシオンが、援護のために横から入り込む。隙を突く鋭い動き。

しかし、誰も彼に合わせようとしない。それどころか、味方の位置を把握していないダリルが、焦燥に駆られて魔法を放った。


炎の礫が空気を焼く。だが、その弾道は獣ではなく、味方の足元を直撃した。


「おい!! どこ狙ってんだ!!」

爆風に煽られ、平民たちの隊列が崩れる。


前も後ろも、右も左もない。

守るべき背中が誰のものかも分からないまま、彼らは勝手に動き、勝手に叫び、勝手に疲弊していく。


数が増える。

森の深淵から、次々と黒い影が這い出してきた。

バラバラに動く二十人は、容易に分断され、各個撃破の網にかけられていく。


「固まれ! 背中を合わせろ!」

トーマスが必死に声を張り上げる。


だが、もう遅かった。

フェリクスが恐怖に圧されて下がり、連鎖するようにユウも後退する。

そこにぽっかりと、致命的な空白が生まれた。


その隙間に、巨大な牙が吸い込まれるように突っ込む。


「やめろ!!」

声が幾重にも重なった。悲鳴に近い絶叫。


それでも、惨劇は止まらない。

響くのは、短い呼吸音と、荒い足音。肉と肉がぶつかる鈍い音。

誰も隣を見ていない。誰も呼吸を合わせていない。


一体、また一体と獣を倒しはするが、それは協力の結果ではない。ただ、各自が死に物狂いで暴れた末の、偶然の積み重ねに過ぎなかった。


「クソが……! なんで当たらない!」

カイルが必死に剣を振る。切っ先は確かに獣の肉を捉えている。だが、連携のない一撃は決定打に欠け、逆に横から別の獣に食い込まれる隙を作ってしまう。


均衡が、崩れる。


「……撤退」

ルークが、消え入るような小さな声で呟いた。


しかし、その声を聞く者は誰もいなかった。


次の瞬間。

唐突に、すべての音が消えた。


あまりにも急激な静寂。

目の前で牙を剥いていたはずの黒い影が、糸を切られた人形のようにその場に固定されている。


二十人が顔を上げ、周りを見渡す。


自分たちは、立っていなかった。

いつの間にか全員が地面に這いつくばり、泥と汗にまみれて息を切らしている。

その中心で、ただ一人、リリアだけが静かに立っていた。


彼女の剣には血の一滴もついていない。息一つ乱れていない。

ただ、彼女の周囲には、事切れた獣たちが山をなしていた。


「……終わり」


その一言が、彼らの敗北を決定づけた。

誰も動けない。反論する気力すら湧かない。


土の上に転がり、樹々の隙間から見える断片的な空を仰ぐ。

何もできなかった。

二十人もいて、たった数頭の獣に翻弄され、自滅しかけていた。

その惨めな事実を、誰も口に出すことができなかった。


ユリウスがゆっくりと近づいてくる。

乾いた足音だけが、敗者たちの耳に容赦なく響く。


「どうだった」


答えはない。

ただ、重い沈黙だけが、肺にたまった泥のように彼らを苦しめる。


「見えたか」


再びの沈黙。


「お前らは」

ユリウスは一拍置き、残酷なまでに明快な事実を告げた。


「敵より弱い。そして、味方より醜い」


それだけだった。

過酷な叱責よりも、その淡々とした指摘の方が深く彼らの胸を抉った。

誰一人として、それを否定することはできない。


森を冷たい風が通り抜けていく。

汗が冷え、体温を奪っていく。


そのまま、四回目の訓練は終わった。

誰も隣の手を借りることなく、各自が這うようにして立ち上がる。

森の出口へ向かうその足取りは、来た時よりもさらに遠く、バラバラだった。

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