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教えない勇者に育てられた俺たち、命令がない世界で最強になる  作者: 慈架太子


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15話「下げる」

真昼の太陽が、容赦なく訓練場を照らし出していた。

昨日、あんなにも重苦しく世界を塗りつぶしていた絶望の気配は、風が吹き抜けるたびに少しずつ、だが確実に形を変えている。

静寂の中に、音が戻り始めていた。

土を噛む硬い足音。荒く、それでいて一定のリズムを刻もうとする呼吸の音。衣服が擦れ、防具が鳴る微かな振動。それらは、死に体だった彼らが再び「生」へと手を伸ばしている証だった。


列は並んでいる。

完全ではない。けれど、昨日までのバラバラな残骸のような有様とは明らかに違っていた。

先に動いていたのは、平民側だった。

彼らは教官の指示を待たず、自らの意志で泥の中から這い上がり、土を蹴り続けている。

その後ろで、貴族側の生徒たちは立ち尽くし、その光景をただ見つめていた。


「……やるのか」

ロイドが、掠れた声で呟いた。

いつもなら軽口を叩いて茶化す場面だ。だが、今の彼の瞳に光るものは、冗談とは対極にある鈍い光だった。

隣に立つガイルが、視線だけを向ける。

「やってるだろ」

短く、突き放すような響き。だが、そこには確かな事実だけが宿っていた。

ロイドは笑わなかった。ただ、深く息を吸い込み、一歩前へ踏み出す。

止まる。

だが、もう後ろへは戻らない。

そのまま前へ出た。列の横、誰の邪魔にもならない絶妙な距離を保ち、そこに楔を打ち込むように。


エマが立った。

彼女の視線は、まだ動けずにいるカイルに向けられていた。

カイルは動かない。その誇り高い肩は、守れなかったという屈辱に重く沈んでいる。

エマは何も言わず、カイルから視線を外すと、一人で前へ出た。

平民たちが作る列の隙間に、自分の体を割り込ませる。

少しだけ列がズレる。

けれど、誰もそれを咎めなかった。誰も直そうとはしなかった。


トーマスは、その光景を黙って見つめていた。

指示を出すべきリーダーとしての言葉を、彼はまだ見つけられずにいた。

そこへ、エリシアがゆっくりと歩み寄った。

彼女は言葉を発することなく、トーマスの横に立った。

昨日のような、効率や理論を盾にした傲慢さは消えていた。

距離は近い。だが、触れることはない。

ただそこにいるという事実だけを、互いに許容していた。


セレスティアが、震える足で立ち上がった。

彼女はサラの方を見る。

一瞬だけ、躊躇いがあった。拒絶されることへの恐怖か、あるいは合わせる顔がないという恥辱か。

それでも彼女は歩いた。

サラの横。隣接する。

サラは、彼女を見ようとはしなかった。ただ前を見据え、気配だけを受け入れていた。


ダリルが立ち、ナナの横に並んだ。

不敵な笑みも、人を食ったような態度も捨て去っていた。

ミレイナは、昨日までの虚脱から少しだけ抜け出し、リナの横へと進んだ。

フェリクスはユウと視線を交わし、言葉にならない何かを共有してその場に立つ。

ノエルは影のように、シオンの横へと滑り込んだ。


全員が、並んだ。

それは美しく整った隊列とは程遠い、傷だらけで歪な列だった。

けれど、それは確かに同じ地平に立つ「一つの列」となっていた。


沈黙。

誰も、指示を出さない。

誰も、動くことを促さない。


その静寂を破ったのは、カイルの微かな動きだった。

彼は、列の先頭へと、震える一歩を踏み出した。

止まる。

その視線が、ゆっくりと平民側の者たちへと向けられた。

エマを、トーマスを、そしてガイルを、一人ずつ確認するように見る。


言葉は出なかった。

何を言っても、あの子を救えなかった事実は消えず、自分たちの無能を弁解することはできない。

カイルの唇が震える。

代わりに、彼の頭がゆっくりと下がった。


少しだけ。

それは、矜持を捨てきれない貴族としての、精一杯の角度だった。

深くはない。

けれど、カイル・フォン・ルンドシュテットという男が、泥にまみれた平民たちに対して、初めてその頭を下げたのだ。


音が、世界から消えた。

誰も動かない。誰も呼吸さえ忘れたように、その光景を注視していた。


エリシアも、それに倣うように頭を下げた。

セレスティアも、ダリルも、ミレイナも。

全員が、少しだけ。

言葉はない。

謝罪も、理由も、これからの方針も、何一つ語られはしない。

ただ、自分の非を認め、隣に立つ者の重みを認めるという、その意思だけが首筋の角度に現れていた。


ガイルが、長く、重い息を吐き出した。

何も言わなかった。許すとも、認めるとも言わない。

トーマスは視線を逸らし、エマは前だけを見つめていた。

誰も、その頭を下げた行為に対して、言葉で返すことはしなかった。

けれど、拒む者もいなかった。


ユリウスは、少し離れた影の中から、その光景を見つめていた。

何も言わない。

リリアも、静かに傍らに立っている。

彼女は頷かなかったが、その場を止めることもしなかった。

教官たちは、彼らが自ら「自分たちを下げる」ことで得た、その脆くも新しい関係を、ただ静観していた。


「……やる」

カイルの声が、小さく響いた。

誰かの心臓を叩くような、微かな、けれど確かな響き。


動く。

今度は、同時だった。

足並みにはまだズレがある。呼吸も完全には一致していない。

それでも、列が崩れることはなかった。


土を蹴る音が揃い始める。

一人の意志ではなく、二十人の意志が、重なり合い、反発し合いながらも一つの方向を目指して動き出す。

対等ではない。

まだ、昨日までのわだかまりが消えたわけではない。

埋められない溝は、依然としてそこにある。


でも、始まっていた。

誇りを下げ、視線を下げ、同じ土の上に立つことから。

彼らの新しい戦いは、言葉にならない沈黙の中で、静かに、そして激しく動き出した。


第十五話「下げる」

下げた頭のその先に、彼らは初めて、自分たち以外の誰かの背中を、守るべき対象として捉え始めていた。

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