12話「遅い」
真昼の太陽が、逃げ場のないほどに強い光を地面へ叩きつけていた。
高く昇った陽光のせいで、足元の影は短く、黒く、鋭く地面に張り付いている。
村は、依然としてざわめきの中にあった。
家々の隙間から漏れる人の気配、重苦しく低い話し声。それらは決して平穏の合図ではなく、いつ崩れるとも知れない危うい静寂を繋ぎ止めているだけだった。
「外周、維持」
トーマスの指示が飛ぶ。
その声に反応する速度は、昨日よりもさらに速くなっていた。
生徒たちは、自分たちの役割を理解し始めている。どこを固め、誰が誰の背中を守るべきか。昨日の「外」での戦いが、彼らに一時の成功体験という毒を与えていた。
「北、薄い」
索敵を担当するミオが、短く警告を発した。
「詰める」
カイルが即座に応じる。
エマが迷いなく前に出た。
ロイドとガイルも、その動きに連動して北側の防衛線を厚くするために移動を開始する。
しかし、その動きはあまりに前傾姿勢すぎた。
昨日の成功が、彼らから慎重さを奪い、攻撃こそが最大の防御であるという過信を植え付けていた。
移動した分、それまで守っていた場所に、針の穴のような隙間が生まれる。
「……待て」
トーマスの制止の声。
しかし、その一言はあまりに遅かった。
加速した動きはもはや止まらない。一度「行ける」と判断した彼らの意識は、すでに前方へと固定されていた。
「押せ!」
カイルが叫ぶ。
その声に従い、防衛線全体が前へ寄る。
化け物を村の外縁で叩こうとする焦燥。それが、結果として後ろを薄くした。
サラが、不吉な予感に弾かれたように振り向く。
背後。村の内部。
濃密な、殺意の気配。
「後ろ!!」
数人の声が重なった。
だが、その叫びさえ、すべては間に合わなかった。
乾いた木の柵が、内側から爆ぜるような音を立てて破られた。
音。
それは侵入の合図。
中に入り込んだのは、これまでの化け物とは違う、小さく、俊敏な影だった。
逃げ遅れた子供が、一人。
村の広場で、恐怖に射抜かれたように立ち尽くしている。
影が、その小さな命へと肉薄する。
「こっち!!」
ミレイナが、悲鳴のような声を上げて駆け出した。
彼女は、一番近くにいた。
一歩。
だが、その一歩が、決定的に遅かった。
牙が、空気を裂く。
鋭い裂過音が響き、それは柔らかい目標へと届いた。
鈍い音を立てて、小さな体が地面へと倒れ伏す。
音が、消えた。
耳が痛くなるほどの静寂。
一瞬。
あまりに一瞬の出来事に、誰も動くことができなかった。
世界から色彩が失われ、ただ目の前の惨劇だけが網膜に焼き付いている。
「動け!!」
ガイルの怒号が、凍りついた空気を強引に砕いた。
遅れる。
全員の反応が、コンマ数秒、生命を分かつ時間だけ遅れた。
二体目。
さらに別の影が、壊れた柵から村の中へと入り込む。
「させるか!!」
ロイドが、理性をかなぐり捨てたような勢いで突っ込んだ。
剣が化け物を捉える。
肉を断つ確かな手応え。
だが、もう一体。
サラが、遮二無二間に入った。
武器を構え、震える力で化け物の進路を止める。
「撃て!!」
その叫びに呼応し、ナナが魔法を放った。
光が爆ぜ、化け物の体を焼き切る。
当たった。
崩れ落ち、動かなくなる化け物。
全部、終わった。
戦闘と呼ぶにはあまりに短い、一瞬の交錯。
静かだった。
あまりに静かすぎて、自分の鼓動がうるさいほどだった。
風の音さえ聞こえない。
地面。
そこには、小さな体が横たわっていた。
動かない。
ピクリとも、指先さえも。
ミレイナが、ただ呆然と立ち尽くしていた。
差し伸べようとした、届かなかった手が、見苦しいほどに震えている。
リナが、その横にいた。
普段なら突き放すような言葉を吐く彼女も、今は何も言えなかった。
唇を強く噛み締め、ただ拳を握りしめている。
カイルが、動きを止めた。
自信に満ちていたその顔が、蒼白に染まっていく。
エマは、ただその光景を直視できずに見つめていた。
誰も、近づくことができなかった。
倒れた子供の元へ駆け寄り、声をかける勇気さえ、彼らには残っていなかった。
「……違う」
誰かが、枯れた声で言った。
「違うんだ」
それは言い訳か、あるいは現実を拒絶するための祈りか。
同じ言葉が、呪文のように繰り返される。
トーマスが、深く、痛みを堪えるように目を閉じた。
自分の指示が、自分の判断が、この結果を招いたのだという事実から逃げ場はない。
エリシアは、氷細工のように固まり、指先一つ動かさない。
ロイドは、荒い息を吐きながら、血に濡れた剣をただ握りしめていた。
ガイルは、拳を血が滲むほどに握り込み、地面を睨みつけている。
フェリクスは、糸が切れたようにその場に座り込んだ。
ユウは、動けなかった。
隣で倒れた者を助けることも、前を向くこともできず、ただ立ち尽くす。
ノエルは、感情の消えた瞳でその光景を見ていた。
シオンは、耐えきれずに目を逸らした。
誰も、正解を持っていない。
誰が間違っていたのか。何が悪かったのか。
そんなことは、もうどうでもよかった。
ただ「遅かった」という、取り返しのつかない事実だけが、重くそこに横たわっている。
誰も、何も言えない。
「……さっき、私……」
ミレイナが、途切れ途切に声を出した。
しかし、その言葉は途中で止まる。
続かない。
何を言っても、それが届かなかった事実を上書きすることはできない。
ユリウスは、いない。
どこを探しても、あの冷徹な教官の姿はなかった。
いない。
誰も、彼らを助けてはくれない。
この惨状を、誰も埋めてはくれない。
彼らが犯した過ちは、彼ら自身が背負い続けるしかないのだ。
時間だけが、残酷に進んでいく。
昼の光は依然として強く、彼らの影をくっきりと地面に刻み続けている。
風が、村の中を通り抜けた。
軽やかな、春の終わりの風。
世界は何も変わっていない。
太陽は昇り、風は吹き、時間は流れる。
でも。
全部、変わってしまった。
昨日までの、自分たちが何かになれると信じていた高揚感。
「合わせれば」勝てると錯覚した万能感。
それらはすべて、泥濘の中へと沈んで消えた。
誰も、立てなかった。
一人、また一人と、支えを失ったように崩れ落ちていく。
勝利など、どこにもなかった。
ただ、乾いた土の上に、取り返しのつかない「遅れ」だけが残されていた。
第十二話「遅い」
差し伸べた手の届かなかった距離。それが、彼らにとっての真実の境界線となった。




