1-9 幼き兄弟の誓い
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
本題に入る前に、少しだけ古い異国の話をさせてほしい。
かつて中国に、費長房という男がいた。彼は仙術を志していたが、空を飛ぶ術だけがどうしても習得できず、凡夫として市を歩いていた。
ある日、彼は腰に壺をぶら下げた不思議な老人に出会う。老人は誰も見ていない隙に、ひらりとその小さな壺の中へ飛び込んでしまったのだ。
「……見つけた。本物の仙人だ」
長房は老人に弟子入りし、三年の間、忠実に仕えた。その誠意が認められ、彼は老人の袖に掴まって壺の中へと導かれた。
壺の中には、この世のものとは思えぬ美しい世界が広がっていた。四季が同時に彩り、百二十丈の宮殿がそびえ、聖者たちが舞い踊る楽園だ。長房はそこで修行を終え、一本の竹の杖を授かって外の世界へ戻った。その杖を投げ捨てると、杖は龍へと姿を変えて天へ昇り、長房自身も鶴に乗って仙界へと旅立ったという。
「功を積めば、いつか龍となって天へ昇る時が来る」
伊豆の山中に潜む二人の刺客、大見小藤太と八幡三郎もまた、その「時」を待ち続けていた。彼らが積んでいたのは、主君・工藤 祐経のための、どす黒い怨念の功だった。
「……来たぞ。一門の連中だ」
刺客たちは奥野の出口、赤沢山の麓にある切り立った崖に潜んでいた。道の側には三本の椎の木。それを盾にして、二人は弓を構えた。
一番手: 波多野右馬允
二番手: 大庭三郎
三番手: 海老名源八
四番手: 土肥二郎
名だたる武将たちが通り過ぎる。さらに少し遅れて、流人の身である源頼朝も通り過ぎていった。
刺客たちは動かない。彼らの標的は、ただ一人。そして、ついにその男が現れた。伊東祐親の嫡子、河津三郎祐重である。
その日の三郎の姿は、あまりにも美しく、凛々しかった。柿色の直垂に斑の行縢、白き鶴の羽で飾られた矢。愛馬「宿月毛」を軽やかに操る姿は、まさに坂東武者の鑑だった。
だが、二の射翳にいた八幡三郎は、慈悲を捨てた。
(⋯天からのチャンスを逃せば、逆に罰を受ける)
古の言葉を胸に、彼は十三束の特大の尖り矢を番えた。
ヒュッ――、ドォォォォンッ!!
静寂を切り裂く轟音。
放たれた矢は、三郎が乗る鞍の端を削り、そのまま彼の身体を深々と貫いた。
「……う、ぐあぁっ!」
あまりの激痛に、勇猛な三郎も意識が遠のく。彼は必死に弓を握り直し、周囲を見渡そうとしたが、傷は致命的だった。
三郎は馬から真っ逆さまに転げ落ち、赤沢の地に崩れ伏した。背後にいた父・伊東祐親も襲撃を受けた。大見小藤太の放った矢が祐親の左指を射抜いたが、歴戦の古兵である祐親は冷静だった。彼は馬の横に身を隠し、盾にして叫んだ。
「山賊か! 先陣は引き返せ、後陣は進め!」
軍勢が騒然とする中、案内者として山を知り尽くしていた刺客二人は、深い繁みへと消えていった。
祐親が駆け寄った時、三郎は血の海の中に横たわっていた。
「三郎! 三郎! しっかりしろ!」
息子の首を自分の膝に乗せ、祐親はなりふり構わず泣き叫んだ。
「……どうしてだ。なぜ、死にゆくわしではなく、若く頼もしいお前が矢に当たったのだ。これからわしは、誰を頼りにして生きればいいのだ!」
そばにいた土肥二郎実平も、三郎の手を取り、涙を流した。
「殿……しっかりなされ。父上の膝の上ですよ。わしも、土肥の実平もここにおります。敵の姿が見えますか?」
三郎は、かろうじて目を開いた。
「……祐親様……、皆様……。名残惜しく……ございます……」
彼は父の手を弱々しく握りしめた。
「……敵は……工藤祐経の郎等、大見と八幡でした。……祐経は今、都で権力を振るっていると聞きます。……父上の行く末が……、残される幼子たちのことが、心残りで……」
それが、最後の言葉だった。
伊豆の山々を、むら時雨が濡らしていた。坂東一の剛力無双、河津三郎祐重。その命は、奥野の露と消えたのである。
三郎の遺体が館に運ばれた時、悲鳴と慟哭が響き渡った。彼には、二人の幼い息子がいた。五歳の兄、一万。三歳の弟、箱王。未亡人となった母(三郎の妻)は、二人を左右の膝に座らせ、その小さな頭を撫でながら、震える声で言った。
「いいですか、お前たち。お前たちが十五、十三になったら、必ず親の敵を討つのですよ」
三歳の箱王は、まだ死の意味がわからず、無邪気に手遊びをしていた。だが、五歳の一万は違った。彼は横たわる父の冷たくなった顔をじっと見つめ、突然、わっと泣き伏した。
「……僕が大きくなったら……。お父さんの敵の首を切り取って、みんなに見せてやるんだ!」
その幼い叫びに、座にいた誰もが袖を絞り、涙を堪えきれなかった。
三郎の死から数週間後。伊東祐親は、愛息の菩提を弔うために出家した。三十六本の率塔婆が立ち並ぶ供養の日。人々が集まる中、五歳の一万が父の遺品である「蟇目の矢」を引っ提げて現れた。
「これは、お父さんのものだ!」
母が慌てて呼び止める。
「一万、亡くなった方のものを持ってはいけません。捨てなさい。お父さんはもう、極楽浄土で仏様になられたのです。お前も、いつか会えるでしょう」
一万は目を輝かせて尋ねた。
「仏様ってなに? 極楽はどこにあるの? 僕、今すぐ行きたい!」
母が言葉に詰まり、立ち並ぶ率塔婆の方を指差して「あそこにいらっしゃいますよ」と答えると、一万は三歳の箱王の手を引いて駆け出した。
「さあ、箱王、お父さんのところへ行こう!」
一万は率塔婆の間を必死に走り回り、何度も「お父さん!」と叫んだ。しかし、そこにあるのはただの木の板だけ。やがて疲れ果て、一万は母の膝に泣きながら倒れ込んだ。
「……仏様の中にも、僕のお父さんはいなかったよ……」
そのあまりにも純粋で切ない振る舞いに、集まった人々は皆、人目を憚らず涙を流した。
曾我物語 巻第一 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔費長房が事〕
古きを思ふに、昔、大国に、費長房と言ふ者有り。仙術を習ひ得て、暗き所も無かりしが、天に上がる術を習はずして、未だ空しく凡夫に交はり歩きけり。或る時、所用の事有つて、長安の市に出でて、商人に伴ひしに、或る老人、腰に壺を付けて、此の者、市に交はりける。知音は、知る理にて、此の者、只人ならずと、目をはなさで見るに、此の老人、傍に行き、腰なる壺を下ろし、其の壺に出で入りにけり。然ればこそ、仙人なれとて、其の人の家につきて行きぬ。費長房、彼の仙人に仕へんとて、三年までぞ仕へける。或る時、老人言ひて曰く、「汝、如何なる志有りて、三年まで、一言葉も違へず、我等に仕へけるぞや」。費長房聞きて、「我、仙術を習ふと雖も、天に上がる事を知らず。老人の壺に出で入り給ふ事を教へ給へ」と言ひければ、「安き事なり。我が袖に取り付け」と言ふ。即ち、取り付きければ、二人 共に、彼の壺の内へ飛び入りぬ。此の壺の内に、めでたき世界有り、月日の光は、空にやはらぎ、四方に四季の色を現し、百二十 丈の宮殿楼閣有り、天にて聖衆舞ひ遊ぶ。鳧・雁・鴛鴦の声やはらかにして、池には弘誓の船を浮かべり。よくよく見めぐりて、「今は出でん」と言ふ。老人、竹の杖を与へて、「是を付きて出でよ」と言ふ。即ち、つくと思へば、時の間に、をしみつと言ふ所に至りぬ。此の杖を捨てければ、即ち竜と成りて、天に上がりぬ。費長房は、鶴に乗りて、天に上りけり。是も、功を積もる故なり。三年までこそ無くとも、待ちて見よ」とぞ申しける。
〔河津が打たれし事〕
「然らば此の帰り足を狙ひて見ん」「然るべし」とて、道をかへて、先に立ち、奥野の口、赤沢山の麓、八幡山の境に有る切所を尋ねて、椎の木三 本、小楯に取り、一の射翳には大見の小藤太、二の射翳には八幡の三郎、手だれなれば、余さじ物をとて、立ちたりけり。各々 待ち掛けける所に、一番に通るは、波多野の右馬允、二番に通るは、大庭の三郎、三番に通るは、海老名の源八、四番は、土肥の二郎、後陣遙かに引き下がりて、流人兵衛佐殿ぞ通られける。敵ならねば、皆遣り過ごし、此の次に、伊東が嫡子河津の三郎ぞきたりける。面白くこそ出で立ちたれ。秋野のすりつくしたる間々(あひあひ)に、引き柿したる直垂に、斑の行縢裾たぶやかにはき成し、鶴の本白にてはぎたる白こしらへの鹿矢、筈高に追ひ成し、千段籐の弓まん中取り、萌黄裏付けたる竹笠、木枯にふきそらせ、宿月毛の馬の五臓大きなるが、尾髪あくまでちぢみたるに、梨子地にまきたる白覆輪の鞍に、連著鞦の山吹色なるを掛け、銜轡、紺の手綱を入れてぞ乗りたりける。馬も聞こゆる名馬なり、主も究竟の馬乗りにて、伏木・悪所を嫌はず、差しくれてこそ歩ませけれ。折節、乗りがへ一騎もつかざれば、一の射翳の前を遣り過ごす。二の射翳の八幡三郎、もとより騒がぬ男なれば、「天の与へを取らざるは、返りて咎をうる」と言ふ、古き言葉を思ひ出で、すはい損ずべき。射翳の前を三段ばかり、左手の方へ遣り過ごして、大のとがり矢差しつがひ、よつぴき、しばし固めて、ひやうどはなす。思ひもよらで通りける河津、乗りたる鞍の後ろの山形をいけづり、行縢の着際を前へつつとぞ射通しける。河津もよかりけり。弓取り直し、矢取つてつがひ、馬の鼻をひつ返し、四方を見まはす。「知者は惑はず、仁者は愁へず、勇者は恐れず」と申せども、大事のいた手なれば、心は猛く思へ共、性根次第に乱れ、馬より真逆様に落ちにけり。後陣に有りける父伊東の二郎は、是をば夢にも知らずぞ下りける。頃は神無月十日余りの事なれば、山めぐりけるむら時雨、降りみふらずみ定め無く、たつより雲のたえだえに、ぬれじと駒を早めて、手綱かいくる所に、一の射翳に有りける大見の小藤太、待ち受けて居たりけれども、験無し。左の手の内の指二つ、前のしほでの根に射立てたり。伊東は、然るふる兵にて、敵に二つの矢を射させじと、大事の手にもてなし、右手の鐙に下り下がり、馬を小楯に取り、「山賊有りや。先陣は返せ、後陣はすすめ」と呼ばはりければ、先陣・後陣、我劣らじとすすめども、所しも悪所なれば、馬のさくりをたどる程に、二人の敵は逃げのびぬ。隈も無く待ちけれども、案内者にて、思はぬしげみ、道をかへ、大見庄にぞ入りにける。危ふかりし命也。伊東は、河津の三郎が伏したる所に立ち寄りて、「手は大事なるか」と問ひけれども、音もせず。押し動かして、矢をあらく抜きければ、いよいよ前後も知らざりけり。河津が首を、父伊東が膝にかき乗せ、涙を抑へて申しけるは、「こは何と成り行く事ぞや。同じあたる矢ならば、など祐親には立たざりけるぞ。齢傾き、今日明日をも知らざる憂き身なれども、わ殿を持ちてこそ、公方私心安く、後の世掛けても、頼もしく思ひつるに、敢へ無く先立つ事の悲しさよ。今より後、誰を頼みて有るべきぞ。汝を止めおき、祐親先立つ物ならば、思ひ置く事よもあらじ。老少不定の別れこそ悲しけれ」とて、河津が手を取り、懐に引き入れ、くどきけるは、「如何に定業なり共、矢一つにて、物も言はで、死ぬる者や有る」と言ひて、押し動かしければ、其の時、祐重、苦しげなる声にて、「かくは度々 仰せらるれども、誰とも知り奉らず候ふ」と言ふ。土肥の二郎申しけるは、「御分の枕にし給ふは、父伊東の膝よ。かく宣ふも、伊東殿。今又斯様に申すは、土肥の二郎実平なり。敵や覚え給ふ」と問ひければ、やや有つて、目を見開き、「祐親を見参らせんとすれ共、今、其れも適はず。誰々も、近く御入り候ふか。御名残こそ惜しく候へ」とて、父が手に取り付きにけり。伊藤、涙を抑へて申しけるは、「未練也。汝、敵は覚えずや」と言ふ。「工藤一郎こそ、意趣有る者にて候へ。其れに、只今、大見と八幡こそ見え候ひつれ。あやしく覚え候ふ。従ひ候ひては、祐経在京して、公方の御意さかりに候ふなる。然れば、殿の御行方如何と、黄泉の障り共なりぬべし。面々 頼み奉る。幼い者までも」と言ひも敢へず、奥野の露と消えにけり。無慙なりける有様かな、申す量りぞ無かりける。伊東は、余りの悲しさに、しばしば、膝を下ろさずして、顔に顔を差し当て、くどきけるこそ哀れなれ。「や、殿、聞け、河津。頼む方無き祐親を捨てて、何処へ行き給ふぞ。祐親をもつれて行き候へ。母や子供をば、誰に預けて行き給ふ。情なの有様や」と歎きければ、土肥の二郎も、河津が手を取り、「実平も、子とては遠平ばかりなり。御身を持ちてこそ、月日の如く頼もしかりつるに、斯様に成り行き給ふ事よ」と、泣き悲しむ事限り無し。国々の人々も同じく一所に集まり居て、袖をぞ濡らしけり。さて有るべきにあらざれば、空しきかたちをかかせて、家に帰りければ、女房を始めとして、あやしのしづの男、しづの女に至るまで、歎きの声、せんかたも無し。さても、彼の河津の三郎祐重に、男子二人有り。兄は、一万とて、五つなり、弟は、箱王とて、三つにぞなりにける。母、思ひの余りに、二人の子供を左右の膝にすゑ置きて、髪かきなで、泣く泣く申しけるは、「胎の内の子だにも、母の言ふ事をば聞き知る者を、まして汝等、五つや三つに成るぞかし。十五、十三にならば、親の敵を打ち、童に見せよ」と泣きければ、弟は、聞き知らず、手ずさみして、遊び居たるばかりなり。兄は、死したる父が顔をつくづくと守りて、わつと泣きしが、涙を抑へて、「いつかおとなしく成りて、父の敵の首切りて、人々(ひとびと)に見せ参らせん」と、泣きしかば、知るも知らぬも押しなべて、袖を絞らぬ人は無し。猶も、名残をしたひ兼ね、三日までぞおきたりける。黄泉幽冥の道は、一度さりて、二度と帰らぬ習ひなれば、力及ばず、泣く泣く送り出だし、夕の煙と成しにけり。女房、一つ煙とならんと、悲しみけり。伊東の二郎申しけるは、「恩愛の別れ、夫妻の歎き、いづれか劣るべきにはあらねども、浮き世の習ひ、力及ばず候ふ。親におくれ、夫妻に別るる度ごとに、命を失ふ物ならば、生老病死も有るべからず。別れは人ごとの事なれども、思ひ過ぐれば、自づから、忘るる心の有るぞとよ。憂きに付けても、身をまたくして、後生菩提を弔ひ給へ」と、様々に慰めければ、「誠に理なれども、差しあたりたる悲しさなれば」とて、悶え焦がれけり。「夫の別れは、昔も今も、重き所なり。別れの涙、袂に止まりて、かはく間も無し。後先をも知らぬ、幼き者共に打ち添へて、身さへ只ならず。様をかへんと思へ共、尼の身にて、産所の体も、見苦し。又、淵川へ沈まんと思ふにも、此の身にて死しては、罪深かるべしと聞けば、とにもかくにも、女の身程、心憂き者は無し」とくどき立てて、おきふしに、泣くより外の事ぞ無き。一日片時も、只忍ぶべき身にて無かりしが、明けぬ暮れぬとする程に、五七日にもなりにけり。父伊東の二郎、逆様事なれども、彼の菩提を弔はんが為に、出家して、六道にあてて、三十六本の率塔婆を造立供養し奉る日、聴聞の貴賎男女、数をつくして、来会する所に、五つに成りける一万が、父の蟇目に鞭を取り添へて、「是は父の物」とて、ひつさげければ、母呼び寄せて、「なき人の物をば、持たぬ事ぞ。皆々 捨てよ。行く末遙かの者ぞかし。汝が父は、仏になり給ひて、極楽浄土に坐しますぞ。童も、遂には参るべし」と言ひければ、一万喜びて、「仏とは、何ぞ。極楽とは、何処に有るぞや。急ぎ坐しませ。我も行かん」と攻めければ、母は、言ひ遣る方無くして、率塔婆の方に指を差し、「彼こそ、其れよ」と言ひければ、一万、弟の箱王が手を引き、「いざや、父のもとに参らん」と、急ぎけれども、箱王は、三つになりければ、歩むにはかも行かず、急ぐ心に、弟を捨て、率塔婆の中を走りめぐり、空しく帰りて、母の膝の上に倒れ伏して、「仏の中にも、我が父は坐しまさず」とて泣きければ、乳母も、共に泣き居たり。其の日の説法のみぎりより、一万が振舞ひにこそ、貴賎袂を濡らしけれ。四十九日には、八塔を供養す。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




