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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


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33/52

3-7 鎌倉武士団、決死の直訴リレー

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia


曾我物語 巻第二 (明治四十四年刊 國民文庫本)

 かつて流人の身から「鎌倉殿」へと上り詰めた源頼朝の治世は、法と秩序、そして「裏切りは決して許さない」という冷徹な因果によって守られていた。


―― 由比ヶ浜。


 11歳の一万と9歳の箱王が処刑台に座らされ、義父・曾我祐信が太刀を投げ捨てて泣き崩れるという、絶望的な光景。


 しかし、鎌倉の武士たちはただの「殺戮者」ではなかった。彼らは、この不条理な宿命に抗うべく、命がけの「言葉の合戦」を頼朝へと仕掛けたのである。


 由比ヶ浜で泣き崩れる曾我祐信を見て、一人の男が歩み寄った。頼朝の側近中の側近、梶原平三かじわらへいぞう景時かげときである。


「……祐信殿、お主の嘆き、察するに余りある。少し待て。私が頼朝様に一筆、いや、一言申し上げてみよう」


 その言葉に、処刑人の堀弥太郎も「梶原様が仰るなら……」と、一旦刀を収めた。景時はすぐに御所へ戻り、頼朝の前に畏まった。


「梶原か。今日は一段と訴訟顔だな」


 頼朝が皮肉げに笑う。景時は真っ直ぐに答えた。


「上様。今、浜で曾我の養子たちの処刑が行われております。……あれを、この景時に免じてお預けいただけませんか? 私のこれまでの功績に免じて、何卒」


 しかし、頼朝の返答は氷のように冷たかった。


「今朝も源太が同じことを申したが、却下した。景時、お前も恨むなよ。……あの子たちは死なねばならぬ」


 景時は、力及ばず引き下がるしかなかった。


 次に向かったのは、和田左衛門わださえもん義盛よしもり。かつて衣笠城で頼朝のために九十歳の父を失い、自らも死線を越えてきた、源氏再興の第一功労者である。


「上様! 梶原親子が叶わなかったのなら、この義盛が申し上げます。人を助けるのが武士の習わし。……私は衣笠城で貴方様の命の代わりとなるべく戦いました。その忠節、今ここで『曾我の子供たちの命』と交換してください! 私が引き受け、育てます。それが、私への一生の恩賞だと存じます!」


 頼朝は静かに首を振った。


「……義盛。お前の功績は忘れていない。だが、あの者たちは『切り捨てねばならぬ』のだ。伊東の血を引く者はな」


 義盛は食い下がった。


「罪の軽い者を助けるのは当たり前のこと。重罪の者を、上様の掟を曲げてまで救ってこそ、真の『御恩』ではありませんか! 私の生涯最大のお願いです。これ以上の大事などございません!」


 頼朝はしばし考え込んだ。義盛の功績を思えば、無視はできない。だが――。


「……義盛、お前の所望、何事も背きたくはない。だが、この件だけは頼朝に任せてくれ。伊東祐親の、あの『情け知らずな裏切り』の報いを、今、果たさねばならぬのだ」


 義盛もまた、力なく退室するしかなかった。


 宇都宮朝綱も訴えようとしたが、頼朝のあまりの不機嫌さに言葉を飲み込んで退出した。そんな重苦しい絶望の中、最後に立ち上がったのは、坂東の最長老・千葉介ちばのすけ常胤つねたねだった。


「人々が叶わなかったことを申し上げるのは、まさに龍の鬚を撫で、虎の尾を踏むようなこと。……ですが上様、今日の人々の訴え、どうか聞き入れてはいただけませぬか」


 頼朝は常胤に対しては、ひときわ深い敬意を払っていた。


「千葉介よ。お前の功績は身に余るものだ。石橋山で私が自害しようとした時、数千騎で助けてくれたのはお前だ。今の世があるのは、偏にお前の恩。それは決して忘れぬ。……だが、伊豆の伊東が私にした仕打ちは、お前も知っているだろう?」


 頼朝の脳裏には、冷たい淵に沈められた我が子の記憶があった。常胤はさらに、言葉の刃を重ねた。


「上様、この場にいる誰もが不忠を思っているわけではございません。その忠心に免じて、彼らを助けてほしいのです」


 頼朝と常胤の間で、世にも稀な「宗教・政治論争」が始まった。


常胤: 「奈落に沈むような悪人であっても、慈悲の心で救うのが神仏の道ではありませんか」

頼朝: 「極重の罪人は、慈悲の仏さえたすけぬと聞くぞ」

常胤: 「地蔵菩薩の第一の誓願は、仏のいない世界の衆生を救うこと。その誓いは深いのです」

頼朝: 「ふん。だが地蔵は、まだ『正覚(仏)』には至っていない。修行中の身だ」

常胤: 「いいえ。そのような悪人をすべて救い尽くしてこそ、仏になれると仰ったのです。それこそが真の慈悲ではありませんか」


 頼朝は不快そうに顔を歪めた。


「……常胤よ。それは仏法の話だ。如来に会った時にでも聞くがいい。これは現世の『政道』なのだ。 伊東の血を引く者を斬らねば、秩序は保てぬ。これ以上の議論は無用だ」


 頼朝の決定的な「拒絶」。


 鎌倉の重鎮たちが総出で立ち向かっても、一人の少年の命さえ救えない。由比ヶ浜の波音は、もはや死の調べとしてしか聞こえなかった。


 御所を退出した家臣たちは、一様に肩を落とした。


「……あの方の心は、岩よりも硬い」


「我らの命を賭した訴えも、届かなかったか」


 由比ヶ浜では、再び堀弥太郎が太刀を握り直している。一万と箱王は、静かに死を待っている。




曾我物語 巻第三(明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔人々、きみまゐりて、こひまうさるること


 此処ここ梶原かじはら平三へいざう景時かげときちかくよりて、祐信すけのぶまうしけるは、「おんなげきをたてまつるに、はかられておぼゆるなり。しばらたまへ。ひとはしまうしてん」とひければ、弥太郎いやたらうおほきによろこびて、しばらときうつしける。まこと景時かげときりてまうされんには、かなひつべしと、人々 たのもしくぞおもひける。景時かげとき御前おんまへかしこまりければ、きみ御覧ごらんぜられて、「梶原かじはらこそ、れいならず訴訟顔そしようがほなれ」「さんざうらふ曾我そがの太郎が養子やうしども只今ただいまはまにてちゆうせられさうらふ。あはれ、それがしに、おんあづけもやさうらへかし。景時かげとき申状まうしじやうこしれらるべきと、あまねくおもさうらものをや」と、まうしければ、きみこして、「今朝けさより、源太げんだまうしつれどもあづけず。なんぢうらむべからず」とおほくだされければ、ちからおよばず、御前ごぜんまかちけり。つぎに、和田わだ左衛門さゑもん義盛よしもり御前おんまへかしこまり、「景時かげとき親子おやこまうしてかなはざるところを、義盛よしもりかさねてまうぐるでう、かつうは、のおほそれすくなからずさうらへども、人をたすくるならひ、さのみこそさうらへ。義盛よしもり御大事だいじまかちて、度々なりといへども、わきては、衣笠城きぬかさのじやうにて、御命おんいのちはりたてまつり、御世でさせたまさうらひぬ。忠節ちゆうせつまうしかへて、曾我そが子供こどもあづかりおきさうらはば、生前しやうぜん御恩ごおんぞんさうらふべし」とまうされければ、きみこしされて、「ものどもことは、らでかなふべからず」とおほくだされければ、義盛よしもりかさねてまうされける、「もとより、つみかるくして、追罰ついばつせらるべきを、まうあづかりては、御恩ごおんまうがたし。重罪ぢゆうざいものたまはりてこそ、おきてそむ御恩ごおんにてはさうらへ。義盛よしもり一期いちご大事だいじ何事なにごとこれにしかん」と、りてまうされたりしかば、きみも、まこと難儀なんぎおぼしけるが、しばし、御思案しあんおよび、「御分ごぶん所望しよまうなにをかそむたてまつるべき。しかれども、ことにおいては、頼朝よりともしおきたまへ。伊東いとうなさけかりし振舞ふるまひ、只今ただいまほうぜん」とおほせられければ、義盛よしもりちからおよばずして、御前ごぜんまかたれけり。つぎに、宇都宮うつのみや弥三郎いやさぶらう朝綱ともつなおもひけるは、面々 まうかなへられずして、まかたれぬ、さりながら、数多あまたちから、もしもやとぞんじ、御前おんまへ祗候しこうす。きみ御覧ごらんぜられて、「今日けふ訴訟人そしようにんは、かなふべからず、べちに、おも子細しさいり」とて、御気色ごきしよくしかりければ、まうだすにおよばず、退出たいしゆつせられにけり。また千葉介ちばのすけ常胤つねたね座敷ざしきはりて、かしこまつて、「人々(ひとびと)のまうされてかなはざるところまうぐるでうまことてうたうのあとをたづね、れいきのををひにてさうらどもりゆうひげをなで、とらむも、ことによることにてさうらへば、今日けふの人々(ひとびと)の訴訟そしようおんさうらはば、かしこまりぞんずべきよし、方々(かたがた)まうすげにさうらふ」とまうげければ、きみこしし、「御分ごぶんことにかへてもあまり。れを如何いかにとふに、頼朝よりとも石橋山いしばしやま合戦かつせんけて、ただ七騎りて、杉山すぎやまでて、ゆきのうらき、すで自害じがいおよびしとき数千騎すせんぎにて、合力かうりよくせられたてまつり、いまことひとへ御分ごぶんおんぞかし。ゆゑわするべきにあらず。れども、伊豆いづ伊東いとううらめしさは、たまひぬらん」とおほりて、のちは、御返事ごへんじし。常胤つねたねかさねてまうされけるは、「おそぞんさうらことなれども、それがしかぎらず、今日こんにち訴訟人そしようにんときりての御大事だいじたれ身命しんみやうしみ、不忠ふちゆうおもたてまつものさうらふべき。御心おんこころざしに、御免ごめんわたらせ御座おはしまして、かれおんたすさうらふべし」「さても、かれ祖父おほぢは、不忠ふちゆうものにはあらざるをや」「さてこそ、御慈悲じひにて、おんたすさうらへとはまうせ」「奈落ならくしづ極重ごくぢゆう罪人ざいにんをば、慈悲じひほとけだにも、すくひたまはずとこそけ」。常胤つねたねうけたまはりて、「地蔵ぢざう薩埵さつた第一だいいち誓願せいぐわんには、無仏むぶつ世界せかい衆生しゆじやうをすくはんとこそ、ちかひのふかしますなれ」。きみこしし、「れば、地蔵ぢざうは、いま正覚しやうがくなりたまはずとこそけ」「斯様かやう悪人あくにんをすくひつくして、正覚しやうがくるべしとうけたまはる。れは、慈悲じひにてしまさずや」。きみこしし、「まことれは、ほとけ御法のり言葉ことば如来によらいにあひて、たまへ。かれは、世上せじやう政道せいたうなりらではかなふべからず」とて、御気色ごきしよくしくえければ、のちは、ものをもまうさず。御前おんまへ祗候しこうの人々も、ちからとし、如何いかがせんとぞおもはれける。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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