3-6 由比ヶ浜に散るはずの命と、兄の覚悟。
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
流人の身から「鎌倉殿」へと上り詰めた源頼朝の治世。しかし、その輝かしい栄華の裏側には、過去の怨念を精算するための残酷な「処刑場」があった。
11歳の一万と、9歳の箱王。伊東祐親の孫であり、亡き河津三郎の息子。ついにその幼き命が、由比ヶ浜の砂を赤く染めようとしていた。
「――時が参りました」
梶原景季の静かな声が、屋敷に響いた。義父・曾我 祐信は、震える手で一万と箱王を立たせた。向かう先は、鎌倉の処刑場――由比ヶ浜。
館を出ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。二人の少年の処刑を見ようと、鎌倉中の人々が門前に集まり、まるで市場のような騒ぎになっていたのだ。人の不幸を「見世物」にする大衆の残酷な好奇心。
景季の屋敷から浜までは、そう遠くない。だが、歩を進めるごとに、彼らの命の灯火は確実に小さくなっていく。
(羊の歩みのように、一歩ずつ死に近づいている……)
祐信はそう思い、胸を締め付けられた。やがて浜へ着くと、そこには砂の上に残酷な「敷皮」が広げられていた。二人の処刑台である。
敷皮の上に座らされた兄弟を見て、祐信は最後の望みを捨てた。景季が助けてくれるのではないかという期待も、今や露と消えた。
「……一万、箱王。母上に、何か言い残すことはあるか?」
一万は静かに答えた。
「……ただ、武士の教え通り、思い切って、未練なく最期を遂げたとだけ伝えてください」
九歳の箱王は、震える声で続けた。
「……僕も、兄上と同じです。でも、最後にもう一度……」
言いかけた箱王の声が、涙で詰まった。
母の顔、乳母の温もり。七歳の少年の心に、抑えきれない悲しみが溢れ出す。
「――何を言っているんだ、箱王!」
一万が鋭く弟を叱りつけた。
「お前は、あの伊東入道の孫なのだぞ。祖父上の名を汚すような色を見せてはならぬ。母上や乳母のことを思い出せば、未練が湧いてくるだけだ。『ただ一筋に思い切れ』という教えを忘れたのか! 人に見られているのだぞ、恥を知れ!」
11歳の兄の、鉄のような意志。その言葉に、箱王はハッとして顔を上げた。彼は急いで涙を拭い、強がってあざ笑うような表情を作ってみせた。
「……わかっているよ、兄上。僕は泣いてなんかいないさ」
見守る貴賤の群衆は、その健気な姿に、誰もが袖を濡らした。祐信は二人の覚悟を見届け、ようやく腹を決めた。彼は敷皮の側に寄り、子供たちの鬢の塵を払ってやり、心静かに介錯の準備を始めた。
「いいか、よく聞くのだ。弓矢の家に生まれた者は、命よりも『名』を惜しむもの。『竜門の原に骨は埋めても、名は雲居に残せ』という言葉を忘れるな。最期は見苦しく振る舞うな。目を閉じ、手を合わせ、阿弥陀如来に祈るのだ」
一万はふっと笑った。
「……祈ったところで、助かる命でもないでしょうに」
「そうではない。命の助けを乞うのではない。お前たちの父上がいる極楽浄土へ、共に向かえるようにと祈るのだ」
その言葉に、一万の瞳が輝いた。
「……父上に会える。そうでした。故郷を出る時から決めていたことです。……父上に会えるのが、何より嬉しい」
二人は西に向かって小さく気高い手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と高らかに唱えた。
執行人・堀の弥太郎が太刀を抜き、二人の背後に立った。だが、彼は迷っていた。
(兄を先に斬るのが順序だが、それを見せられる弟が不憫だ。かといって弟を先に斬るのは道理に反する……)
立ち尽くす弥太郎を見て、祐信が耐えきれず走り寄った。
「――その刀を、私に預けてくれ! この子たちは私の手で……せめて私の手で、来世へ送ってやりたいのだ!」
弥太郎から太刀を受け取った祐信は、まず一万の背後に回った。
刀を高く振り上げる。その時だった。昇ったばかりの朝日が、一万の白く清らかなうなじを照らし出した。そのあまりにも無垢で、神々しいまでの首の筋に太刀影が重なった瞬間、猛将・祐信の腕が止まった。
「……できない。私には、この子を斬ることはできない……っ!」
祐信は太刀を投げ捨て、その場に突っ伏して慟哭した。
「……こんなことなら、曾我の館で心中すべきだった。鎌倉まで連れてきて、こんな惨い目を見せるとは……! 上様、お願いです! まずはこの私を斬ってください! その後に、この子たちを……!」
浜を埋め尽くした数千の見物客は、一斉に涙に沈んだ。
「道理だ。あまりに不憫だ」
「9歳と11歳の子供を……これほどの覚悟を持つ子たちを殺してはならぬ」
由比ヶ浜に響く、波の音と男の泣き声。頼朝の命令は絶対だ。処刑が遅れれば、景季や祐信も責任を問われる。しかし、現場を支配していたのは、法や規律ではなく、あまりにも強烈な「情」だった。この「執行不能」の事態は、すぐさま頼朝の元へと報告された。
曾我物語 巻第三 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔由比のみぎはへ引き出だされし事〕
やや有りて、景季来たり、「時こそ移り候へ」と言ひければ、祐信、彼等を出で立たせ、由比の浜へぞ出でける。今に始めぬ鎌倉中のことことしさは、彼等が切らるる見んとて、門前市をなす。源太が屋形も、浜のおもて程遠からで、行く程に、羊の歩み猶近く、命も際になりにけり。既に敷皮打ちしきて、二人の者共なほりにけり。今朝までは、さり共、源太や申し助けんと、頼みし心もつきはて、彼等に向かひ申しけるは、「母が方に、思ひ置く事や有る」と問ふ。「只何事も、御心得候ひて、仰せられ候へ。但し、最期は、御教へ候ひし如く、思ひ切りて、未練にも候はざりしとばかり、御語り候へ」「箱王は如何に」と問へば、「同じ御心なり。今一度見奉て」と言ひも敢へず、涙にむせび、深く歎く色見えけり。一万是を見て、「仰せられしをや。祖父の孫ぞと思ひ出だして、思ひ切るべし。構へて、母や乳母が事、思ひ出だすべからず。然様なれば、未練の心出で来るぞ。「只一筋に思ひきれ」と教へ給ひし事、忘れ給ふかや。人もこそ見れ」といさめければ、箱王、此の言葉にや恥ぢけん、顔押しのごひ、あざ笑ひ、涙を人に見せざりけり。貴賎、惜しまぬ者は無かりけり。曾我の太郎も、此の色を見て、今は心安くて、敷皮に居かかり、鬢の麈打ち払ひ、心しずかに介錯し、「如何に汝等、よくよく聞け。始めたる事にあらね共、弓矢の家に生まるる者は、命よりも名をば惜しむ者ぞとよ。「竜門原上の骨をばうづめども、名をば雲井に残せ」と言ふ言葉、予て聞き置きぬらん。最期見苦しくは見えねども、心を乱さで、目をふさぎ、掌を合はせ、「弥陀如来、我等を助け給へ」と祈念せよ」。一万聞きて、「如何に祈り候ふとも、助かる命にても候はぬ物を」と言ひければ、「其の助けにては無し。別の助けぞとよ。御分の父、一所に向かへ取り給ふべき誓願の助けぞとよ。頼み候へ」と言ひければ、「申すにや及ぶ。故郷を出でしより、思ひ定むる事なれば、何に心を残すべき。父にあひ奉らん頼みこそ、嬉しく候へ」とて、西に向かひ、各々(おのおの)ちひさき手を捧げて、「南無」とたからかに聞こえければ、堀の弥太郎、太刀抜き、引きそばめ、二人が後ろに近付きて、兄を先づ切らんは、順次なり、然れども、弟見て、驚きなんも、無慙なり、弟を切るは、逆なりと、思ひわづらひ、立ちたりしを、祐信、思ひに絶え兼ねて、走り寄り、取り付き、「然るべくは、打物を某に預けられ候へ。我等が手に掛けて、後生を弔はむ」と申しければ、「御はからひ」とて、太刀をとらせけり。祐信取りて、先づ一万を切らむとて、太刀差し上げ見れば、折節、朝日かかやきて、白く清げなる首の骨に、太刀影の移りて見えければ、左右無く切るべき所も見えざりけり。祐信、猛き武士と申せども、打物を捨てて、くどきけるは、「中々 思ひ切りて、曾我に止まるべかりし物を、是まで来たりて、憂きめを見る事の口惜しさよ。然るべくは、先づ某を切りて後に、彼等を害し給へ」と歎きければ、見物の貴賎、「理かな。幼少より育てて、哀れみ給へば、さぞ不便なるらん」と、訪はぬ者は無かりけり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




