3-5 執行人さえ泣かせた少年の気高さ
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
物語の舞台は、鎌倉。かつて流人であった源頼朝が、ついに天下の主権を握った時代。しかし、その輝かしい御世の裏側には、過去の怨念が精算されるのを待つ「血のリスト」があった。
11歳の一万と、9歳の箱王。伊東祐親の孫であり、河津三郎の息子である二人の幼子は、ついに死刑執行人・梶原 景季の手によって鎌倉へと引き立てられた。
曾我 祐信は、梶原景季の軍勢と共に、静かに鎌倉の街へと入った。急ぐ旅ではなかったが、無慈悲にも夜は更け、一行は景季の屋敷で一夜を明かすことになった。
一万と箱王。祐信は、この愛しい二人の息子(継子)を自らの側に座らせた。
「……今夜が、最後かもしれぬな」
その言葉を口に出すことはできなかったが、祐信の心は千々に乱れた。空には一点の曇りもない名月が輝いている。だが、その月明かりさえ、祐信の目には涙で霞んで見えた。
夜明けを告げる鶏の声が聞こえるまで、彼は一睡もできず、ただただ子供たちの寝顔を見つめて泣き明かした。これほどまでに残酷な夜明けが、かつてあっただろうか。
早朝、景季は一人で御所へと参上した。頼朝は、鋭い眼光で側近を迎えた。
「源太(景季)よ、昨日は戻らぬゆえ案じておったぞ。曾我の祐信は、まさか異議を唱えたか?」
「……いえ、滅相もございません」
景季は平伏し、声を振り絞った。
「ゆうべ、私の屋敷まで二人を連れて参りました。……上様、申し上げます。あの子たちの母親や、祐信殿の嘆きは筆舌に尽くしがたいものでした。私も戦場での命のやり取りなら、何度でも致しましょう。ですが……あのような幼く、愛くるしい子供たちを死罪に処すというのは、あまりにも、あまりにも心が痛む仕事にございます」
頼朝の表情はぴくりとも動かない。景季はさらに続けた。
「上様、どうか……せめて成人するまで、この景季にお預けいただけませぬか。あの子たちは、まだ何も知らぬ子供なのです」
景季の決死の請願に対し、頼朝は静かに、しかし地響きのような声で答えた。
「源太よ。お前の情けは理解できる。だが、忘れたか。伊東祐親が私に何をしたかを」
頼朝の瞳に、暗い怒りの炎が宿る。
「あの男は、私の3歳の千鶴を冷たい淵に沈めて殺した。私の妻を奪い、辱めを与えた。さらにはこの頼朝の命を奪おうと、執拗に追い回したのだ。……伊東の血を引く者が、どのような思いで育つか、私は誰よりも知っている」
頼朝は、かつて自分が流人として耐え忍び、逆転劇を演じた張本人だからこそ、「再起を狙う若芽」の恐ろしさを骨の髄まで理解していた。
「あ奴らは伊東の嫡孫だ。生かしておけば、必ずや源氏の仇となる。……今すぐ由比ヶ浜へ連れて行き、処刑せよ。亡き千鶴の供養とする。二度と、頼朝を恨むな」
景季は絶句した。
独裁者の決意は岩よりも固く、もはや覆す術はなかった。
景季から死刑判決を聞かされた祐信は、もはや涙も枯れ果てた。
「……やはり、叶わぬ夢であったか」
彼は震える手で、一万と箱王の装束を整えた。11歳と9歳。死装束を纏うには、あまりに若すぎる。祐信は二人の鬢についた塵を払い、泣きながら言った。
「一万、箱王。お前たちは何の報いで、これほど早く父を失い、母と離れ、命まで奪われねばならぬのか。……せめて私が、お前たちの後を追って出家し、来世での再会を祈ろう。今生では縁が薄かったが、来世では必ず、同じ蓮の上に生まれ変わろうな」
その時だ。泣き崩れる義父に向かって、兄の一万が静かに口を開いた。
「父上……。どうか、そんなに嘆かないでください。私たちのせいで、父上が出家するなんて、あってはならないことです」
そして、九歳の箱王が続けた。その言葉は、屋敷の廊下で聞き耳を立てていた景季の妻や女房たちをも驚愕させた。
「兄上の言う通りだよ。私たちは、お祖父様の因縁で死ぬんだ。逃れられないことなんだよ。……それよりも、一人残される母上のことが心配なんだ。どうか父上、母上の側を離れないで、あの方を慰めてあげて。僕たちのために、どうか、生きて……」
女房たちは、格子越しに漏れ聞こえるその言葉に、一斉に袖を濡らした。
「……なんという、聞き分けの良い言葉でしょう」
「伊東の血か、河津の血か。九歳にしてこれほどの覚悟……。まさに弓取りの家の子ですわ」
その場にいた誰もが、あまりの無惨さと、少年たちの気高さに、魂を揺さぶられた。梶原景季自身も、武士の矜持を忘れ、ただただ直衣の袖を顔に押し当てて泣き続けたという。
由比ヶ浜。波の音が響く処刑場へと、馬は歩みを進める。頼朝の命令は絶対だ。子供たちの首を撥ねるための太刀は、すでに鋭く研がれていた。
曾我物語 巻第三(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔祐信、兄弟つれて、鎌倉へ行きし事〕
さて、祐信は、梶原諸共に打ちつれて、駒を早むるとは無けれども、夜に入りて、鎌倉へこそつきにけれ。今夜は、遙かにふけぬらんとて、景季が屋形に止め置きたり。祐信は、二人の子供近く居て、こよひばかりと思ふにも、残り多くぞ思はれける。名残の夜はも明け安き、隈無き軒をもる月も、思ひの涙にかきくもり、鶏と同じく泣きあかす、心の内こそ無慙なれ。早天に、源太左衛門、御所へ参りければ、祐信、遙かに門送りして、「彼等が事は、一向に頼み奉る。如何にもよき様に申しなされ、郎等二人有りと思し召し候へ」と、誠に思ひ入りたる有様、哀れにて、源太も、不便に覚えて、「実にや、子ならずは、何事にか、是程宣ふべき。人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道に迷ふとは、実に理と覚えて、景季も、子供数多持ちたる身、さらさら人の上共存じ候はず」とて、忍びの涙を流しけり。「心の及ぶ所は、等閑有るべからず候ふ。心安く思ひ給へ」とて出でければ、頼もしくぞ思ひける。 其の後、景季、御前に畏まりければ、君御覧じて、「咋日は、参らざりけるぞ。祐信は、異議にや及びける」「如何でか、惜しみ申すべき。ゆふべ、景季がもとまで具足して、候ひつるを、夜ふけ候ふ間、明くるを待ち申して候ふ。従ひ候ひては、母や曾我の太郎が歎き、申すに及ばず。かはゆき有様を見てこそ候へ。同じ仰せにて、戦場にして、一命を捨て候はん事は、物の数とも存じ候ふまじ。斯様に難儀の事こそ候はざりしか」と申しければ、君聞こし召されて、「さぞ母も惜しみつらん。同じ科とは言ひながら、未だ幼き者共なり。歎きつるか」と仰せられければ、此の御言葉に取り付き、畏まつて申しけるは、「斯様に申す事、恐れ多く候へども、母が思ひ、余りに不便なる次第に候ふ。未だ幼き者共に候へば、成人の程、景季に預けさせ給ひ候へかし」と申しければ、君聞こし召されて、「汝が申す所、理と思へ共、伊東の入道に、情無くあたられし事を、聞きも及びぬらん。三歳の若を失はれ、剰へ女房さへ取り返されて、歎きの上に、恥を見、其の上、由比の小坪にて、頼朝を打たんとせし恨み、条々(でうでう)、例へて遣る方無し。せめて、伊豆の国一国の主にもならばやと、明け暮れ思ひ祈りしは、只伊東にあたり返さんと願ひしぞかし。然れば、彼の者の末と言はんをば、乞食非人なりとも、掛けて見んとは思はざりき。況や、彼等は現在の孫なり。しかも、嫡孫なり。急ぎ誅して、若が孝養に報ずべし。頼朝恨むべからず」と仰せ下されければ、重ねて申すに及ばで、御前を罷り立ちにけり。「時を移さず、由比の浜にて害せよ」と承りて、宿所に帰り、祐信、遅しと待ち受けて、「彼等が命如何に」と問ふ。「然ればこそとよ、再三申しつれども、故伊東殿の不忠、始めよりをはりに至るまで、御物語有りて、若君の草の陰にて思し召す所も有り、此の人々を切りて、御追善に報ぜんと、御意の上、力及ばず」と言ひければ、祐信、頼みし力つきはてて、「今は、適ふまじきにや」とて、二人の子供を近付けて、装束引きつくろひ、鬢の麈打ち払ひ、「汝、如何なるむくいにて、乳の内にして、父におくれ、重代の所領に離れ、命だにも、十五・十三にもならず、切らるるのみにあらず、母にも又、思ひを授くる事の不思議さよ。祐信も、汝等におくれて後、千年をふるべきか。髻切り、後世懇ろに問ひて取らすべし。今生こそ、宿縁うすくとも、来世には、必ず一蓮に生まれあふべし」と、涙にむせびけり。子供聞き、「祖父子の御事に依り、我等幼けれ共、許されず、切られん事、力に及ばず。さりながら、殿の御恩こそ、有り難く思ひ奉り候へ。御遁世、努々 有るまじき事なり。母御の御思ひ、いよいよ重かるべし。其れを慰めて賜はり候へ。其れならでは」とばかりにて、泣くより外の事ぞ無き。景季が妻女も、女房達引きつれ、中門に出で、ものごしに彼等が言葉を立ち聞きて、「実にや、然る者の子供とは聞こえたり。優におとなしやかに言ひつる言葉かな。余所にて聞くだにも、哀れに無慙なるに、如何に今まで取り育てぬる母や乳母の思ふらん。かたはなる子をさへ、親は悲しむ習ひぞかし。弓取りの子の七つにて、親の敵を打ちけると申し伝へたる事も、彼等がおとなしやかなるにて思ひ知られたり。弓取りの子なり」とて、涙にむせびければ、及ぶも及ばざるも、皆袂をぞ絞りける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




