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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚 〜  作者: 条文小説


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3-4 母の祈りと、死装束の少年たち

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia


 かつて頼朝の幼子を殺した伊東祐親の孫――11歳の一万いちまんと9歳の箱王はこわう


 頼朝の側近・工藤祐経の讒言により、ついに彼らへの「死の使者」が曾我の館へと送り込まれた。


 「梶原殿が、一万と箱王を連れに来られました……。頼朝様の命令です」


 継父・曾我 祐信すけのぶが部屋に入り、震える声で告げた瞬間、母の正気は吹き飛んだ。三年前、夫・河津三郎を亡くした時も、彼女は同じような絶望の淵にいた。だが、今回は違う。自分の命よりも大切な「未来」そのものが奪われようとしているのだ。


「……嘘。嘘でしょう? 何が起きているというの。夢なら、今すぐ覚めて……!」


 母の悲鳴が館に響き渡る。彼女にとって、この二人の成長こそが生きる唯一の糧だった。いつか立派な大人になってほしい、それだけを願って月日を重ねてきたというのに。


「どうして……どうしてあの子たちが。ただ一緒に連れて行ってください! 私も、私も一緒に……!」


 門前まで漏れ聞こえるその慟哭は、まるで燃え盛る紅蓮の炎が外にまで溢れ出しているかのようだった。


 どれほど泣き叫んでも、武士の「使者」は待ってくれない。母はふらつく足取りで子供たちの元へ行き、左右の膝に一万と箱王を座らせた。そして、震える手で彼らの柔らかな髪を何度も、何度も撫でた。


「……よく聞きなさい。お前たちが召し出されるのは、祖父である伊東殿が上様(頼朝)に対して不義理を働いた報いなのです。人として、これほど不条理な因果はないけれど……」


 母は涙を拭い、二人を真っ直ぐに見据えた。


「けれど、お前たちの先祖は東国で誰にも引けを取らない名門です。上様の御前だろうと、最期の場所だろうと、決して臆してはいけません。父上も、お祖父様も、勇敢な武士でした。幼くとも、覚悟を決めなさい。……気高く、凛としていなさい」


 そう言いながらも、母の喉は涙でせき上げた。


「代われるものなら、私が代わりたい。私が死んで、お前たちが助かるなら、どんなに心が安らぐことか……!」


 九歳の箱王はまだ事の重大さを完全には理解できていなかったが、母の尋常でない様子に、ただ声を上げて泣くことしかできなかった。


 時間は無慈悲に過ぎていく。梶原景季かげすえからの「早く出立せよ」という催促が、鋭く刺さる。


 母は、せめて最期に最高に美しい姿をさせてやりたいと、自ら二人の身支度を始めた。これが、母親としてしてやれる最後の仕事だった。


 兄・一万(11歳): 顕紋紗けんもんしゃ直垂ひたたれに、精好せいごうの大口袴。その背中は、十一歳とは思えぬほど凛々しく、出来上がった小袖の紋が、母の目にはひどく鮮やかに、そして残酷に映った。


 弟・箱王(9歳): 紅梅色の小袖。そこには、秋の「紅葉に鹿」が描かれていた。


「鹿が……一人で鳴いているわ」


 母は、小袖に描かれたその絵を見て、孤独な運命を辿る我が子の姿と重なり、また袖を濡らした。朝露あさがおのように儚い命。二人の少年の姿は、あまりにも美しく、それゆえに哀れだった。


 館を出る瞬間。十一歳の一万は、驚くほど冷静に、そして大人びた口調で母に言った。


「母上、あまり泣かないでください。もし私が斬られることになっても、それは前世からの宿命だと思って……。どうか、お心を安らかに」


 九歳の箱王も、兄の言葉に必死に続いた。


「そうだよ、母上。僕はまだ子供だから、上様もお許しくださるかもしれない。仏様にお願いして待っていて!」


 その健気な言葉が、逆に周囲の涙を誘った。見送る下男や女房たちは、馬の口に取り付き、あるいは直垂の袖を掴んで、「行かせないでくれ!」と泣き叫んだ。そして、その光景を冷徹に見るべき立場であった梶原景季。


 彼は頼朝に忠誠を誓う「鉄の男」のはずだった。だが、この凄惨な別れを前に、彼もまた涙をこらえることができなかった。


「……なんという、無慈悲な命令を承ってしまったのだ」


 景季は直衣のうしの袖を顔に押し当て、声を殺して泣いた。母は人目も恥も忘れ、裸足のまま庭へ飛び出した。


「待って! 一万! 箱王! 私を置いていかないで!」


 遠ざかる駒の音。振り返る子供たち。やがてその姿が見えなくなると、母は糸が切れたようにその場に崩れ落ち、地面に伏して動かなくなった。


 気がついた母は、這うようにして持仏堂じぶつどうへと向かった。彼女は仏像の前に座り込み、恨むように、縋るように祈り続けた。


「……大慈大悲の仏様。枯れた木にも花を咲かせるという貴方の力で、どうしてあの子たちを救ってくださらないのですか。毎日、欠かさず普門品ふもんぼんを唱えてきたのは、すべてこの子たちのためだったのに!」


 彼女は自分の命など、あの日夫が死んだ時に捨てていたのだ。生きながらえてきたのは、ただ、この子たちを育てるため。


「あの子たちが斬られるなら、私の命も奪ってください。そして、あの子たちを……父上のいる場所へ連れて行ってください……!」


 彼女の慟哭は、神仏さえも恨み、慈悲を求める、極限の母性の叫びだった。




曾我物語 巻第三 (明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔ははなげきしこと


 ややりて、「つれてまゐるべし。さりながら」とてうちり、かれははまうしけるは、「伊東いとう殿どのきみ御敵おんてきとてたまひし、まごとて、二人のをさなものどもまゐらせよとのおん使つかひに、梶原かじはら殿どのたれり」とひければ、ははきもへず、「こころや、これなにの中ぞや、ゆめともうつつともおぼえず。ゆめならば、さむるうつつりなまし。うへかなしきも、かれ二人をちてこそ、よろづうさもなぐさみつれ。おとろふるをばらで、いつか成人せいじんして、おとなしくもなりなんと、月日つきひごとたのもしく、のちけておもひしに、られまゐらせて、のちなにとながらへん。ただもろとも具足ぐそくして、とにもかくにもなしたまへ」とかなしむ、こゑは、かどほとりまでこえける。にや園生そのふにうゑしくれなゐの、がるるいろあらはれて、余所よそえしぞ、あはれなる。たへぬおもひのあまりにや、ははは、二人の子供こども左右さうひざにすゑおき、かみかきなでてくどきけるは、「祖父おほぢ伊東いとう殿どのきみなさけくあたりたてまつりしゆゑに、まごとて、なんぢさるるぞや。如何いかなるつみのむくいにて、人こそおほけれ、御敵おんてきとなりぬらんこころさよ。さりながら、なんぢ先祖せんぞ東国とうごくにおいて、たれにかはおとるべき、らぬ人有るべからず。きみ御前おんまへなりとも、おそるることく。最期さいごところにて、甲斐かひくしてかなふまじ。さしもいさみし親祖父おやおほぢの、りしゆゑにこそ、御敵おんてきともなりたまひしか。いとけなくとも、おもりて、おくするいろるべからず、けなげに」とまうせども、なみだにこそむせびけれ。「にやかなはぬことなれども、なんぢとどめおき、はりに、わらはでて、如何いかにもなりなば、こころやすかりなん」ときければ、二人の子供こどもは、けたることけれども、ただくよりほかことき。いやしきしづいたるまで、かなしむこと叫喚けうくわん大叫喚けうくわんかなしみも、これにはぎじとぞおぼえし。ときうつりければ、景季かげすゑ使つかひをもつて、ははかたまうしけるは、「御名残おんなごりことわりぞんさうらども御思おもひはつくべきにあらず、とくとく」とめければ、祐信すけのぶ、「うけたまはさうらふ」とて、うれしからざる出立いでたちいそぎける。ははも、いまかぎりのことなれば、介錯かいしやくするぞ、あはれなる。一万いちまん装束しやうぞくには、精好せいがう大口おほくち顕紋紗けんもんしや直垂ひたたれをぞたりける。箱王はこわうには、紅葉もみぢ鹿しかきたる紅梅かうばい小袖こそでに、大口おほくちばかりせたりける。斯様かやう介錯かいしやくせんことも、いまかぎりにてもやと、うしろにめぐり、まへち、つくづくとこれるに、一万いちまんたる小袖こそでもんこころものかな。さても、あだなる朝顔あさがほの花の上露うはつゆときも、のこためしものを。さて、箱王はこわう小袖こそでいろ、ぬれてや、鹿しかのひとりくらんも、うへ心地ここちして、いよいよそでこそぬれまされ。いにしへなにともざりし衣裳いしやうもんいまちて、おものこせることし。やがてかへるべきみちだにも、しあたりたるわかれはかなしきに、かへらんこと不定ふぢやうなり。みえんことも、いまばかりぞとおぼえば、きもたましひはず。一万いちまんおとなしやかに、「あまおんなげさうらひそ。おんおもひをたてまつれば、みちやすかるべしともおぼえず。もしられまゐらせば、前世ぜんぜことおぼせ」とひければ、箱王はこわう、「あにおほせらるるごとく、おんなげきをおんとどさうらへ。おなおんなげきながら、てきいたしたることさうらはず。うへいまをさなさうらへば、おんゆるしもさうらふべし。ほとけにも御申まうさうらへ」。まことにげにげにしくまうすにけても、いよいよ名残なごりしかりける。さりともとはおもへども、まさしき御敵おんてきなり。かへらんことは、不定ふぢやうなりとどまりて、物思おもはんことも、かなしければ、一所ひとところにて、如何いかにもならんと、ちけるぞ、あはれなる。祐信すけのぶこれおほきにせいしける。「さりとも、らるるまではるまじ。誰々(たれたれ)も、よきやうまうたまはば、いかさま、とほくにながかれぬとおぼえたり。然様さやうなりとも、いのちだにあらば」となぐさきて、二人のどもをいざなひでける、こころうちこそあはれなれ。ははは、梶原かじはらるをもはばからず。ことのなのめのときこそ、はぢ人目ひとめつつまるれ、まことわかれになりぬれば、かちはだしにて、乳母めのともろともに、庭上ていしやうまよでて、「しばらく、や、殿との一万いちまんとどまれや、箱王はこわうなにるべき」と、こゑしまずかなしみければ、上下男女なんによもろともに、「いましばらく」とかなしむ有様ありさま、たとふべきかたし。あるいは、むまくちき、あるいは、直垂ひたたれそでをひかへければ、景季かげすゑも、たけ武士もののふとはまうどもなみだにせきへず、「よしおん使つかうけたまはりて、かるあはれをかなしさよ」とて、直衣なほしそでかほててきけり。ははは、なほとどまりねて、かどほかまでまどでて、かれ後姿うしろすがたおくり、くよりほかことき。子供こどもも、うしろのみかへりしかば、こまをもいそがず、あとこころとどまりけり。たがひのおもひ、さこそとはかられて、あはれなり。ははは、どもうしろもえず、とほざかりきければ、すなはたふしにけり。女房にようばうたちいそきたて、やうやう介錯かいしやくして、うちにぞりにける。持仏堂ぢぶつだうまゐり、くどきけるは、「大慈だいじ大悲だいひ誓願せいぐわんれたる草木くさきにも、花さきるとこそけ。などや、かれいのちをもたすたまはざらん。これ幼少えうせういにしへより、ふかたのみをたてまつる。毎日まいにち三巻さんぐわん普門品ふもんぼんおこたらざるしるしに、かれいのちたすたまへ」と、もだがれけるぞ、無慙むざんなる。せめてのことにや、ほとけかひてくどきけるは、「にや、かれちちたれしとき如何いかなる淵瀬ふちせにもりなんと、おもがれしに、かれにたてんとおもひて、つれなくいのちながらへ、あかぬまひのこころかりつるも、ひとへ子供こどもためぞかし。られまゐらせてののち一日いちにち片時へんしほども、は、ためしかるべき。ねがはくは、われいのちたまひて、かれ一所いつしよかへたまへ」と、こゑしまずたり。まことや、おもひのときは、とがしまさぬ神仏かみほとけうらたてまつり、きてはくどき、うらみてはき、しづみけるこそ、せめてのこととはおぼえける。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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