3-3 命を狙われた兄弟と、義父の涙の請願
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
流人の身から「鎌倉殿」へと上り詰めた源頼朝。彼は今、天下をその掌中に収め、かつての先祖さえ成し遂げられなかった絶頂の時を謳歌していた。
だが、光が強ければ影もまた濃い。頼朝の寵愛を一身に受け、側近として栄華を極める男――工藤祐経。
彼の心には、決して消えることのない「恐怖」があった。それは、自分がかつて殺した男の息子たちが、密かに牙を研いでいるという事実。
鎌倉の御所は、静かな活気に満ちていた。頼朝は、集まった御家人たちを前に、満足げに言い放った。
「保元の乱で先祖が打たれ、平治の乱で父・義朝が散ってからというもの、源氏は苦難の道を歩んできた。だが今、おごれる平家を滅ぼし、天下を心のままに動かしている。……この頼朝ほど、果報に恵まれた者は源氏の歴史にもおるまい」
並み居る侍たちが「ははっ!」と平伏する中、一人の男が静かに、しかし粘りつくような声で口を開いた。
工藤左衛門尉祐経である。
「仰せの通り、四海は鎮まりました。ですが……」
祐経は、頼朝の表情を伺いながら、毒を含んだ言葉を紡ぐ。
「……灯台下暗しと申しましょうか。貴方様のお膝元のすぐ近くに、将来、必ずや牙を剥くであろう『末の敵』が潜んでおります」
頼朝の眉がぴくりと動いた。
「……頼朝が知らぬ敵だと? それは何者だ、祐経」
「先年、反逆の罪で処刑された伊東入道の孫たちにございます。父・河津三郎を失った後、継父の曾我太郎の元で、着々と力を蓄えておる様子。あ奴ら、ただの子供ではございませぬ。その胸には貴方様への野心を秘めているやもしれませぬぞ」
祐経の言葉は、頼朝の中にあった「猜疑心」という名の怪物を目覚めさせた。
かつて自分が流人として耐え忍び、逆転劇を演じたからこそ、頼朝は「再起を狙う若芽」の恐ろしさを誰よりも知っていたのである。
「……曾我の祐信が、そのような者を養っておったか。梶原を呼べ!」
頼朝の命で参上したのは、梶原源太 景季。若く、そして冷静沈着な鎌倉の精鋭である。
「源太よ、今すぐ曾我の地へ下れ。伊東入道の孫共を隠し持っているという疑いがある。直ちに連行して参れ。……もし抵抗するようならば、その場で首を撥ねよ」
「――御意」
景季は表情を変えず、そのまま御所を後にした。
景季は内心、複雑な思いを抱いていた。梶原家と曾我祐信は、決して遠い仲ではない。しかし、主君の命は絶対だ。彼は精鋭の武者たちを率い、土煙を上げながら曾我へと馬を走らせた。
曾我祐信の屋敷。そこには、一万(十一歳)と箱王(九歳)という、まだ幼さの残る兄弟がいた。突然、門前に現れた重武装の一団と、名高い梶原源太の来訪に、祐信は仰天した。
「これは源太殿……。思いもよらぬお越し、一体何事でございますか?」
景季は、館の主である祐信を真っ直ぐに見据えた。武士としての情はあるが、公務に私情は挟まない。
「……祐信殿。単刀直入に申し上げます。貴殿が亡き伊東入道の孫、すなわち河津三郎の息子たちを養育しているという件、頼朝様の耳に入りました」
祐信の顔から血の気が引く。
「『頼朝の末の敵である』との仰せにございます。……直ちにお二人を具して参るべし。上様からの命令でございます」
祐信は、しばらく言葉を失った。喉が詰まり、ようやく出た声は震えていた。
「……なんということだ。この世で私ほど、子という縁に恵まれぬ者がいるでしょうか」
祐信は、景季の前に膝を突き、その場に泣き崩れた。
「源太殿、聞いてください。私にはかつて、五歳と三歳の愛しい我が子がおりました。ですが、その二人を相次いで亡くし……。その悲しみが癒えぬ間に、彼らの母をも失いました。そんな絶望のどん底で、夫を失い、同じように五歳と三歳の幼子を抱えていた今の妻に出会ったのです」
祐信は、奥の部屋で怯えているであろう兄弟の方を振り返った。
「失った我が子と同じ年のあの子たちを見て、私は天の恵みだと思いました。人の子の嘆きを救い、自分の悲しみをも癒やそうと、本当の息子のように手塩にかけて育ててきたのです。……今年で、一万は十一、箱王は九。ようやく健やかに育ったというのに、まさか、このような仰せを蒙るとは」
祐信は、自分の顔を袖で覆い、肩を震わせた。
「子に縁のない者は、人の子を養うべきではなかったのだ……。あの子たちは、私のすべてなのです。それを『敵』と呼ばれ、奪われるなど、あまりにも残酷ではないか……!」
その必死な訴えに、冷静な景季の心も大きく揺れ動いた。目の前にいるのは、反逆者ではない。ただ、不器用なまでに息子たちを愛してしまった、一人の「父親」だった。
曾我の地に流れる、重苦しい沈黙。景季は、祐信の悲痛な叫びをどのように頼朝に伝えるべきか、自問自答していた。
一方で、この事態を密かに喜び、兄弟の首が届くのを今か今かと待ち構えている工藤祐経。そして、自分が「頼朝の敵」として指名されたことを悟った、幼き日の一万と箱王。
この一日が、彼らの「潜伏期間」を終わらせた。もはや、ただの「曾我の息子」として生きることは許されない。頼朝の疑い。祐経の策略。そして、義父の愛。
すべての感情が激しくぶつかり合い、物語はついに、兄弟が死の淵から「真の復讐者」へと覚醒する運命の夜へと突き進んでいく。
曾我物語 巻第三 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔源太、兄弟召しの御使ひに行きし事〕
かくて、三年の春秋の過ぐる程も無かりけり。早くも、一万十一、箱王九にぞなりにける。其の頃、彼等が身の上に、思はぬ不思議ぞ出で来たる。故を如何にと尋ぬるに、鎌倉殿、侍共に仰せられけるは、「保元の合戦に、為義、義朝に切られ、平治の乱れに、義朝、長田に打たれしより此の方、おごりし平家をことごとく滅ぼし、天下を心の儘にする事、我等が先祖におきては、頼朝に勝る果報者あらじ」と仰せ下されければ、御前祗候の侍共、一同に、「さん候」と申し上げければ、伊豆の国の住人工藤左衛門祐経、畏まつて申しけるは、「仰せの如く、四海鎮まり、きうたう狼煙立たざる所に、間近き御膝の下に置きて、幼く候へ共、末の御敵と成るべき者こそ、一二人候へ」と申しければ、御前に有りける侍共、知るも知らざるも、誰が身の上やらんと、目を合はせ、拳を握らざるは無かりけり。君聞こし召されて、御気色変はり、「頼朝こそ知らね、何物ぞ」と、御尋ね有りければ、祐経承りて、「先年切られ参らせ候ひし伊東の入道が孫、五つや三つにて、父河津におくれ、継父曾我の太郎がもとに養じ置きぬ。成人の後、御敵とやなり候ふべき。身にも又、野心有る者にて候ふ」と申し上げたりければ、君聞こし召し、「不思議なり。祐信は、随分心安き物に思ひつるに、末の敵を養ひ置くらん不思議さよ。急ぎ梶原召せ」とて召さるる。源太景季、御前に畏まりければ、「急ぎ曾我に下り、伊東の入道が孫共を隠し置く由聞こゆ。急ぎ具足して参るべし。もし異議に及ばば、其れにて首をはねよ」とぞ仰せ下されける。景季承り、御前を罷り立ち、急ぎ曾我へぞ下りける。祐信が屋形近くなりしかば、使者をたてて、「曾我殿や坐します。君の御使ひに、景季参りたり」と言はせければ、祐信、何事なるらんと、「思ひ寄らざる御入り珍し」と言ひければ、景季も、暫く辞退して、「さん候、上よりの御使ひ」とばかり言ひて、面目無き事なれば、左右無く言ひも出ださず。やや有りて「御為ゆゆしき事ならぬ仰せを蒙りて候ふ。其の故は、故伊東殿の孫養育の由、君聞こし召して、「頼朝が末の敵なり。急ぎ具して参るべし」との御使ひを蒙り、参りて候ふ」と申しければ、祐信、とかくの返事にも及ばず、やや有りて、「世間に歎き深き者を尋ぬるに、祐信にすぐべからず。幼き者二人候ひし、五つ・三つにて失ひ候ふ。其の思ひ未だはれざるに、彼等が母におくれ候ひぬ。一方ならぬ思ひの浅からざりしに、彼等が母も、夫におくれ、子を持ちたる由聞き候らひ、しかも、親しく候ふ上、失ひし子供、同じ年にて候ふ。然れば、人の歎きをも、我等が思ひをも、語り慰まんと思ひ、抑へ取り、今年は、此の者共、十一・九に罷り成り候ふ。殊の外けなげに候ふ間、実子の如く養じたてて、此の頃、斯様の仰せを蒙り候ふべしとこそ存じ候はね。子に縁無き者は、人の子をも養ずまじき事にて候ひける」とて、袖を顔に押し当てけり。景季も、誠に理とぞ思ひける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




