3-1 月夜に誓った復讐の味
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
伊豆の国、赤沢山。そこで父・河津三郎が、工藤左衛門尉 祐経の放った刺客に倒れた時、兄の一万はわずか5歳、弟の箱王は3歳だった。
父を失った二人は、母と共に継父である曾我太郎の元へ身を寄せた。曾我の家は決して悪くはなかった。継父も彼らを育てることに異論はなく、一見すれば平穏な日々が流れていた。
だが、二人の心の中にある「渇き」は、成長と共に深まるばかりだった。
(……あの男だ。工藤祐経。父上を奪い、母上を泣かせたあの男を、俺はこの手で殺す)
9歳になった一万と、7歳になった箱王。
周囲がどれほど「今の生活を大切にしろ」と言い聞かせても、二人は父の面影を追い、積もる涙を隠しながら、復讐のシミュレーションを繰り返していた。
9月13日夜。空には、隈一つない澄み渡った名月が輝いていた。兄弟は庭に出て、静かに月を眺めていた。その時、夜空を五羽の雁が、一列になって西へと飛んでいくのが見えた。
「――あれを見ろよ、箱王。」
一万が、空を指差して呟いた。
「あの雁の群れを。一羽も離れずに寄り添って飛んでいく。……羨ましい」
七歳の箱王は、不思議そうに首を傾げた。
「兄上、何をそんなに羨んでるの。私たちだって、遊ぶ時は一緒、帰る時も一緒です」
一万は悲しげに首を振った。
「そうではない。あの五羽の雁は、おそらく父と、母と、そして三羽の子供たち。……私たちを見ろ。箱王、お前は私の弟。私はお前の兄。母上も本当の母上だ。だが、曾我殿は……。曾我殿は、私たちの本当の父上ではない。恋しいと思うあの人は、敵の手によって、もうこの空の下にはいないのだ」
一万の言葉に、箱王の小さな顔が怒りに染まった。
「……ねえ、兄上。父上の敵とやらの首の骨は、石よりも硬いものなの?」
「――しっ! 声が高い、箱王!」
一万は慌てて、弟の口を袖で押さえた。
「誰が聞いているか分からないのだ。仇討ちの心は、決して表に出してはならぬ。心の中にだけ隠しておくものだ」
箱王は不満げに口を尖らせた。
「隠したままで、本当にあいつを殺せるの? 射殺すにしても、首を切るにしても、隠しているだけじゃダメだよ」
「だからこそ、表向きは武芸を習うのだ。……稽古こそがすべてだ。父上は弓の名手だったという。生きておられたら、私たちに馬や鞍を揃えてくださり、犬追物や笠懸を教えてくださっただろうに。周りの子供たちが馬に乗り、弓を射る姿を見るたびに、俺は悔しくてたまらないのだ」
箱王は悔しさのあまり、足元の小石を蹴り上げた。
「父上がいたら、僕だって弓の弦を食い切るような憎いネズミの首くらい、射抜いてみせるのに! 本当に腹が立つ!」
「ネズミよりも憎いものがいるだろう」
「……わかってる。父上を打ったあの男だ。あいつが憎すぎて、月日が流れるのが遅くて仕方がないよ」
一万は、弟の気合を確かめるように、ふっと口角を上げた。
「箱王。そんなに息巻いても、手が慣れていなければ敵は討てぬぞ。見ていろ」
一万は、遊び道具として隠し持っていた竹の小弓を取り出した。矢は、ススキの茎に笹の葉を矧いだ粗末なものだ。
だが、一万の構えは九歳とは思えぬほど鋭かった。
「――せいっ!」
放たれたススキの矢は、部屋の障子をあちこちと射通した。
「……いつか私たちが十五歳と十三歳になった時、父上の敵に巡り会い、このように心のままに射通してやるのだ」
それを見ていた箱王の瞳に、獣のような光が宿った。
「兄上。弓もいいけど、大事な敵なら、僕はもっと近くでやりたい。……こうやって、首を切り落としてやるんだ!」
箱王は、障子の紙を力任せに引きちぎると、それを高く掲げた。
そして、傍らにあった木太刀をひったくるように握り直すと、空中で二つ、三つと激しく斬り裂いた。切り刻まれた紙が、雪のように月夜に舞う。
木太刀を捨てて立ち尽くす七歳の少年の眼差し。そこには、もはや子供の無邪気さなどは微塵もなかった。そこにあるのは、獲物を追い詰める捕食者の、あるいは自らの命を燃やして修羅へと堕ちる覚悟を決めた、一人の「武士」の姿だった。
月は高く、伊豆の夜は更けていく。障子に開いた無数の穴と、床に散らばった紙屑。それは、後に日本中を揺るがすことになる「曾我兄弟の仇討ち」の、あまりにも小さく、しかし重すぎる第一歩だった。
頼朝が鎌倉で栄華を極め、工藤祐経がその寵愛を受けて得意の絶頂にあるその時。曾我の片隅では、誰にも知られぬまま、二人の「狼」が牙を研ぎ澄ませていた。
「行こう、箱王。明日も、稽古だ」
「うん、兄上。もっと強くなるよ」
父の仇を討つ日まで、あと十数年。彼らの止まった時計は、まだ一秒も動いてはいない。
曾我物語 巻第三(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔九月名月に出でて、一万・箱王、父の事歎く事〕
抑、伊豆の国赤沢山の麓にて、工藤左衛門の尉祐経に打たれし、河津の三郎が子二人有り。兄をば、一万と言ひて、五つに成り、弟は、箱王と言ひて、三つにぞ成りにける。父におくれて後、いづれも母に付き、継父曾我の太郎がもとに育ちける。やうやう成人する程に、父が事を忘れずして、歎きけるこそ、無慙なれ。人の語れば、兄も知り、弟も知り、恋しさのみに明け暮れて、積もるは涙ばかりなり。心のつくに従ひて、いよいよ忘るる暇も無し。我等二十に成り、父を打ちけん左衛門の尉とやらんを打ち取りて、母の御心をも慰め、父の孝養にも報ぜんと、忙はしきは月日なり。数ならぬ身にも、日数の積もれば、はや憂き事共にながらへて、九つ・七つにぞなりにける。折節、九月十三夜の、誠に名有る月ながら、隈無き影に、兄弟、庭に出でて遊びけるが、五つつれたる雁がねの、西に飛びけるを、一万が見て、「あれ御覧ぜよ、箱王殿。雲居の雁の、何処を差してか飛び行くらん。一つらも離れぬ中の羨ましさよ」。弟聞きて、「何かはさ程うらやむべき。我等が伴ふ物共も、遊べば、共に打ちつれ、帰れば、つれて帰るなり」。兄聞きて、「さにはあらず。いづれも同じ鳥ならば、鴨をも鷺をもつれよかし。空とべども、己がともばかりなる事ぞとよ。五つ有るは、一つは父、一つは母、三つは子供にてぞ有るらん。わ殿は弟、我は兄、母は誠の母なれども、曾我殿、誠の父ならで、恋しと思ふ其の人の、行方も敵のわざぞかし。哀れや」「親の敵とやらんが首の骨は、石よりもかたき物かや」と問へば、兄が聞きて、袖にて弟が口を抑へ、「かしかまし、人や聞くらん、声高し、隠す事ぞ」と言へば、箱王聞きて、「射殺すとも、首を切るとも、かくして適ふべきか」「さは無きぞとよ、其れまでも忍ぶ習ひ、心にのみ思ひて、上は物を習へとよ。能は稽古によるなるぞ。我等が父は、弓の上手にて、鹿をも鳥をも射給ひけるなるぞ。哀れ、父だに坐しまさば、馬をも鞍をも用意してたびなまし。さあらば、を犬・笠懸をも射習ひなん。我等より幼き者も、世にあれば、馬に乗り、もの射る、見るも羨まし」とくどきければ、箱王聞きてぞ、「父だに坐しまさば、自らが弓の弦くひ切りたる鼠の首は、射させ参らすべき物を、はらだちや」と言へば、兄、「其れよりもにくき物こそあれ」「誰なるらん、ままが子、自らが乗りつる竹馬打ち候ひつる事か」「其の事にては無きぞ、父を打ちける者のにくさに、月日の遅き」と言へば、「習はずとても、弓矢取る身が、弓射ぬ事や候ふべき」。兄が聞きて、打ち笑ひ、「わ殿、然様に言ふ共、てなれずしては、如何候ふべき。見よ」とて、竹の小弓に、篦は薄なる笹矧の矢差しつがひ、兄、障子を彼方此方に射通し、「いつかは、我等十五・十三に成り、父の敵に行き合ひ、斯様に心の儘に射通さん」。箱王聞きて、「然る事にては候へ共、大事の敵、弓にては、遠く覚えたるに、斯様に首を切らん」とて、障子の紙を引き切り、たかだかと差し上げ、側なる木太刀を取り直し、二つ三つに打ち切りて、捨てて立ちたる眼ざし、人に代はりてぞ見えたりける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




