2-13 雨を願う僧正と、謎の美少年
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
かつて源氏と平氏が覇を競い、人々が「因果応報」という名の見えない糸に操られていた時代。あまりにも無惨で執念深い最期を遂げた伊東入道祐親は死の間際まで土地への執着を捨てず、来世の安らぎすら願わなかった。
今回は、そんな祐親の「愚かさ」を浮き彫りにするために語り継がれた、「命を懸けて雨を降らせた小竜」と、「囲碁の一手で首を飛ばされた聖者」の、少し不思議で、そして恐ろしい因果の物語を語ってみよう。
時は延暦年間。奈良の都に、勤操僧正という徳の高いお坊様がいた。その年、日本は未曾有の大旱魃に襲われていた。大地はひび割れ、民は飢え、国中が乾ききっていた。
僧正は雨を降らせるため、大和の国の布留社に籠もり、七日間の祈祷を始めた。すると、どこからともなく一人の「童」が現れた。その少年は毎日、僧正が説く経典を熱心に聴いていた。ついに満願の七日目。僧正は不思議に思って少年に問いかけた。
「お前は一体、何者だ?」
少年は、目に涙を浮かべて答えた。
「……私は、この山に住む小竜にございます。僧正様が七日間聞かせてくださった尊いお経のおかげで、私は畜生の身を脱し、安楽世界に生まれ変わることができそうです。その喜び、言葉では言い尽くせません」
僧正は言った。
「そうか。ならば竜の力で、この枯れ果てた大地に雨を降らせてはくれぬか?」
少年は困り果てた顔をした。
「……本来、雨を降らせるには『大龍王』の許可が必要なのです。私の独断でやれば、ただでは済みません。……しかし」
少年は、決意を秘めた瞳で僧正を見上げた。
「……僧正様が、私の死後の菩提(供養)を約束してくださるのなら。この身がどうなろうとも、雨を降らせてご覧に入れましょう!」
次の瞬間、少年は凄まじい雷鳴とともに空へと舞い上がった。空は一転して黒雲に覆われ、二時(約四時間)もの間、恵みの雨が降り注いだ。
だが。雨が止んだ後、空から落ちてきたのは、五つに引き裂かれた小竜の死骸だった。大龍王の掟を破った報いか、それとも雨を降らせるための代償か。僧正は涙を流してその身を憐れみ、竜の体が落ちた五つの場所に、それぞれ寺を建てて手厚く供養した。
「竜門寺、竜泉寺、竜食寺、竜法寺、竜尊寺」。
これらの寺では、今もなお、自分の命を投げ出した小竜のために、絶えることなく勤行が続けられているという。
この小竜の物語を聞いて、どう思うだろうか?この小竜は自らの「命」という最大のリソースを消費して、国を救うという「最大級の徳」を積んだ。それに比べて、伊東祐親はどうだ。彼は人間に生まれ、高い地位も持ちながら、親の遺言を背き、兄を呪い殺し、土地を奪った。そして死の間際になっても「後生なんてどうでもいい、俺の土地を返せ」と喚いて死んだ。
「動物(竜)でさえ来世のために徳を積むというのに、祐親のなんと愚かなことか」
歴史の語り部は、そう痛烈に皮肉っている。祐親が頼朝に処刑されたのは、単なる政治的敗北ではない。天が彼の「不義理」にブチ切れて、因果の鉄槌を下した……というのが、この物語の解釈だ。
「因果応報」は、時に残酷なブラックジョークのような形をとる。舞台はさらに遡り、遠い昔の天竺。ある大王がいた。この王、かなりの囲碁中毒だった。
ある時、王は「この国で一番尊い聖者を呼んでこい。私が帰依しよう」と命じた。家臣たちが苦労して探し出し、ついに伝説の「上人」を連れてきた。しかしその時、王はちょうど囲碁の対局の真っ最中。盤面は最高に盛り上がっていた。
「王よ! 上人様が到着されました!」
家臣の声が響く。だが、王の意識は目の前の盤面、死活の要所に釘付けだった。
「……よし、そこだ。切れ!」
王が叫んだのは、囲碁の「石を切れ」という指示だった。しかし。王のあまりの気迫に、家臣たちは勘違いした。
「……えっ? 『上人の首を切れ』!? は、はいっ!」
家臣は即座に庭に出て、到着したばかりの聖者の首を跳ね飛ばしてしまった。対局が終わって、「さて、上人はどこかな?」と王が尋ねたときには、すべてが手遅れだった。
「なぜだ! 私は帰依しようとしただけなのに、なぜこんな悲劇が!」
泣き崩れる王の前に、仏が現れて驚愕の真実を告げた。
「王よ、落ち着きなさい。これは『前世の伏線回収』なのです」
前世の王は土の中にいた一匹の蛙。前世の聖者は その土を耕していた農夫。ある日、農夫が何気なく鍬を振るったとき、うっかり土の中にいた蛙の首を撥ねてしまった。
農夫に悪気はなかったが、蛙は「殺された」という事実だけを抱えて死んだ。その時の「首を撥ねられた」という因果のエネルギーが、数百年を経て、「囲碁の指示を勘違いされて首を撥ねられる」という形で、一寸の狂いもなく発動したのである。
王はこの恐ろしい連鎖を知り、未来の因果を書き換えるために、その後は必死に善行を積んで、苦しみを免れたという。
「人は、ただ報いを知るべきである」
伊豆の山々を駆けた曾我兄弟も、これから討たれる工藤祐経も、私たちが今、何気なく放った「言葉」や「刃」は、いつか必ず自分のもとへ帰ってくる。
小竜のように命を捧げて神となるか。インドの王のように、過去のうっかりを今世で刈り取られるか。あるいは、伊東祐親のように、執念の泥沼で永遠に溺れ続けるのか。
父・河津三郎の仇を討つべく、曾我兄弟が牙を研ぎ澄ます「修行の歳月」。彼らは、この「因果」という名の巨大なシステムを、その手で打ち破ることができるのだろうか。
曾我物語 巻第二 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔奈良の勤操僧正の事〕
是や、延暦年中に、奈良の勤操僧正、大旱魃に、雨の祈りの為、大和の国布留社にて、薬草喩品を一七日講ぜられける。何処共無く、童一人来たりて、毎日、御経を聴聞しける。七日に満ずる時、「何物にや」と、御尋ね有りければ、「我は、此の山の小竜なり。七日の聴聞に依つて、安楽世界に生まれ候ひなん嬉しさよ」とて、随喜の涙を流しけり。其の時、僧正曰く、「竜は、雨を心に任する物なれば、雨をふらし候へ」と宣へば、「大龍の許し無くして、我がはからひにて、成り難く候へども、さりながら、後生菩提を御助け給ひ候はば、身は失せ候ふとも、雨をふらし候はん」と申す。「左右にや及ぶ。追善有るべし」と、御領状有りしかば、即ち雷と成りて、天に上がり、雨のふる事、二時ばかりなり。され共、此の竜、其の身砕けて、五所へぞ落ちにけり。僧正哀れみ給ひて、彼の竜の落ちける所にして、一日経を書写せられけり。其の後、彼の僧正の夢に、御訪ひに依り、即ち蛇身を転じて、仏道を成ずと見えたり。さて、彼の五所に、五つの寺をたてて、今に絶えせず、勤行とこしなへ也。彼の五所の寺号をば、竜門寺、竜せん寺、竜しよく寺、竜ほう寺、竜そん寺、是なり。紀伊の国・大和両国に有り。斯様の畜類だにも、後生をば願ふぞかし。伊東の入道は、最後の時にも、後生菩提を願はぬぞ、愚かなる。是を以て、過ぎにし事を案ずるに、親の譲りを背くのみならず、現在の兄を調伏し、もつまじき所領を横領せし故、天是を戒めけるとぞ覚えたり。然れば、悪は一旦の事なり、小利有りと雖も、遂には正に帰して、道理道を行くとかや。総じて、頼朝に敵したる者こそ多き中に、まのあたりに誅せられける、因果逃れざる理を思へば、昔、天竺に大王有り、尊き上人を帰依せんとて、国々を尋ねけるに、或る時、いみじき上人有りとて、向かひを遣はし給ふに、此の王、朝夕、碁を好み給ひて、人を集めて打ち給ふ。「上人参り給ひぬ」と申しければ、碁にきりて然るべき所有りけるを、「きれ」と宣ひけるに、此の上人の首をきれとの宣旨と聞き成して、即ち聖の首を打ち切りぬ。大王、夢にも知り給はで、碁打ちはてて、「其の上人、此方へと宣ふ。「宣旨に任せて、切りたり」と申す。大王、大きに悲しみ仏に歎き給ふ時、仏宣はく、「昔、国王は、蛙にて、土中に有りし也。上人、もとは、田を作る農人なり。然る間、田を返すとて、心ならず、唐鋤にて、蛙の首をすき切りぬ。其の因果逃れずして、切られけり。因果は、斯様なる物をや」と宣へば、国王、未来の因果を悲しみて、多くの志をつくして、彼の苦をまぬかれ給ひけるとかや。人は、只むくいを知るべきなり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




