2-10 毒薬が美酒に変わる時 「三木」の起源
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
景信の話には続きがあった。彼は「酒(三木)」という言葉から、ある不思議な物語を語り始めた。
「ところで佐殿、『お酒』の別名をなぜ『三木』と呼ぶかご存知ですか?」
景信が語ったのは、遠い漢の国の、ある奇跡の物語だ。昔々、ひどい干魃に襲われた国があった。人々が餓死していく中、一人の貧しい民・せきその庭にある、三本の桑の木に異変が起きた。
いつも水鳥がその木のうろ(穴)に集まり、楽しそうに遊んでいる。不思議に思ったせきそが覗いてみると、そこには竹の葉に覆われた「澄んだ水」が溜まっていた。
舐めてみると、それはこの世のものとは思えぬ美酒だった。一杯飲めば七日の空腹を忘れ、死にかけた者に飲ませればたちまち息を吹き返す。この「魔法の水」のおかげで国は救われ、せきそは一国の主となった。
「しかし、なぜ木の穴から酒が湧いたのか? ――実は、せきその息子であるくわうりが、意地悪な継母に毒入りの飯を食わされそうになった際、継母を恨むことなく、その飯をそっと三本の木の穴に隠したのです」
その飯が、天から降る雨露と混ざり合い、発酵して美酒へと変わった。
「毒薬変じて、薬(美酒)と成る」
怨みを慈愛で飲み込んだことで起きた奇跡。これが「お酒(三木)」のルーツであるという。
「……毒が、薬に変わるか」
頼朝は、景信の言葉を噛み締めた。今の自分の境遇――子を殺され、流人として泥をすする日々は、まさに平家から与えられた「毒」そのものだ。だが、この毒を飲み込み、夢の啓示に従って昇華させることができれば、それは天下を統べる「美酒」へと変わる。
景信は最後に、頼朝を真っ直ぐに見据えて言った。
「佐殿。貴方様の頭に三本の松があったのも、この『三木』に通じます。八幡大菩薩の擁護を受け、貴方様は千秋万歳、この国の頂点に立たれるでしょう。南を向いて歩まれたのは、即ち天子の位を踏むということです」
「……景信。お前の夢合わせが正しければ、私が世に出た暁には、それ相応の恩賞を与えよう」
伊豆の山々に、静かな、しかし力強い笑みがこぼれた。
伝説は、いつも静かな夜の夢から始まる。
潜龍・源頼朝がただの敗残兵から、日本を統べる将軍へと変貌を遂げるまで、残された時間はあとわずか。
三本の桑の木から湧き出た酒のように。彼の執念と家臣たちの忠義は、伊豆の冷たい雨露を、天下を覆す猛りへと変えていく。
「さあ、夜明けだ。……平家が酔いしれる春の夢を、俺が醒ましてやろう」
北条の館を目指す頼朝の背中に、朝日が差し込み始めていた。
曾我物語 巻第二 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔酒の事〕
又、酒は、忘憂の徳有り。然るに依り、数の異名候ふ。中にも、「三木」と申す事は、昔、漢の明帝の時、三年旱魃しければ、水にうゑて、人民多く死す。御門、大きに歎き給ひて、天に祈り給へども、験無し。如何せんと悲しみ給ひける。其の国の傍に、せきそと言ふ賎しき民有り。彼が家の園に、桑の木三本有りけるに、水鳥、常に下り居て遊ぶ。主あやしみて、行きて見れば、彼の木のうろに、竹の葉おほへる物有り。取りのけて見るに、水なり。なめて見れば、美酒也。即ち、是を取りて、国王に捧ぐ。然れば、一度口につくれば、七日餓を忘るる徳有り。御門、感じ思し召して、水鳥の落とし置きたる羽を取りて、餓死の口にそそき給へば、死人ことごとくよみがへり、うゑたる物は、力をえ、めでたし共、言ふ計り無し。即ち、せきそを召して、一国の守に任ず。桑の木三本より出で来たればとて、「三木」と申すなり。さても、此の酒は、如何にして出で来るぞと尋ぬれば、せきそが子に、くわうりというもの有り。継母、殊にすぐれて、是をにくみ、毒を入れてくはせける。然れども、くわうり、継母の習ひと思ひなずらへて、更に恨むる心無くして、此の木のうろに入れおき、竹の葉おほひておきたりけるが、始め入れたる飯は、麹と成り、後に入れける飯は、天より下る雨露の恵みを受けて、くちて、美酒とぞなりける。「毒薬変じて、薬と成る」とは、此の時よりの言葉なり。又、酒をのみて、風の然る事三寸なれば、「三寸」とも書けり。是は、家隆卿の言ひけるなり。馬の寸を「き」と言へば、其の故有るにや。又、「風妨」とも言へり。風のさまたるく義なり。又、或る者の家に、杉三本有り。其の木のしただり、岩の上に落ちたまり、酒と成ると言ふ説有り。其の時は、「三木」とかくべきか。又、しん心ほうに曰く、「新酒百薬長たり」とも書けり。漢書には、「せきそ、みきをえて、天命を助く」と書けり。又、慈童と言ひし者は、七百歳をえて、彭祖と名を返し仙人、菊水とてもて遊びけるも、此の酒なり。是は、法華経普門品の二句の偈を聞きし故に、菊の下行く水、不死の薬と也けるを、此の仙人は用ひけるとかや。大やけにも、是を移して、重陽の宴とて、酒に菊を入れて用ひ給ふ。上より下る雨露の恵み、下に差し来る月日の光、あまねく、君の御恵みに漏れたる品は無きにこそ、高きも、賎しきも、酒はいはひにすぐれ、神も納受、仏も憐愍有るとかや。君も聞こし召されつる三きの如くに、過ぎにし憂きを忘れさせ給ふ。日本国を従へさせ給ひし。左右の御足にて、外浜と鬼界島を踏み給ひけるは、秋津洲残り無く、従へさせ給ふべきにや。左右の御袂に、月日を宿し給ひけるは、主上・上皇の御後見においては、疑ひ有るべからず候ふ。小松三本頭に頂き給へるは、八幡三所の擁護あらたにして、千秋万歳を保ち給ふべき御相なり。又、南向きに歩ませ給ひけるは、主上御在位の、大極殿の南面にして、天子の位を踏み給ふとこそ承り候へ。御運を開き給はむ事、是に同じ」と申しければ、佐殿喜び給ひて、「景信があはする如く、頼朝、世に出づる事あらば、夢合はせのへんとう有るべし」とぞ仰せられける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




