2-8 北条政子の駆け落ち、運命の山越え
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
伊豆の地に流された源頼朝は、北条の館で牙を隠し、静かに時を待っていた。しかし、運命は彼に安息を許さない。頼朝を巡る「政治的な駆け引き」と、それをも凌駕する一人の女性の「純愛」が、歴史を大きく動かそうとしていた。
伊豆の北条四郎時政は、自室で頭を抱えていた。
「……いかん。これは非常によろしくない」
事態は深刻だった。都から「山木判官兼隆」という平家のエリート武官が下向してきたのだが、その道中、誰かが不用意なことを口走ってしまったのだ。
「時政殿の娘の政子を、兼隆殿の嫁にしたらどうだ?」
……冗談ではない。
北条の館には今、源氏の貴公子・源頼朝が身を寄せている。それどころか、娘の政子はすでに頼朝と深い仲になり、命がけの恋に身を投じているのだ。
もし「北条は源氏の流人を婿に取っている」と平家に露見すれば、一族郎党、首が飛ぶ。時政は冷や汗を拭い、保身のために決断した。
「よし。知らぬ存ぜぬを通す。政子を今すぐ連れ戻し、無理やりにでも山木兼隆に嫁がせるのだ!」
伊豆の国府に着いた兼隆に対し、時政は「娘は自由の身です。ぜひ貴方様に」と、まるで何もなかったかのような顔で政子を差し出した。
政子本人の意志など、この時代の政略結婚においては「誤差」に過ぎなかった。山木兼隆は満足げだった。
だが、当の政子の心は、燃えるような怒りと、頼朝への深い想いで満たされていた。
(……お父様、わかっていないわ。私の心は、あの方が流人だろうと、明日をも知れぬ身だろうと、ただ一人に捧げたもの。平家の威光を借りた男の妻として、檻の中で朽ち果てるなんて……死んでも御免よ!)
婚礼の夜。宴の喧騒が続く中、政子は静かに立ち上がった。彼女は近くで仕えていた信頼できる女房を一人だけ伴い、重い着物を脱ぎ捨て、闇の中へと滑り出した。
季節は八月の下旬。夜風には冷たい露が混じり、草むらからは秋の虫たちの声が響く。だが、政子の耳に届くのは、自分の激しい鼓動と、草を分ける音だけだった。
「姫様、どこへ向かわれるのですか?」
「決まっているわ。あの方のいる……伊豆の御山へ!」
道などあってないようなものだ。深い叢を分け、足に任せて険しい山路を登る。真っ暗な闇の中で、政子はかつて頼朝から聞かされた「出雲路の神」の物語を思い出していた。
それは、遠い昔、異国の「けいしょう」という国にいた伯陽と遊子という夫婦の物語だ。彼らは無類の「月」好きで、月の遅い出を恨み、雲のない夜を喜び、雨の夜を悲しみながら、常に二人で夜空を仰いで暮らしていた。
伯陽が九十九歳で死の淵に立った時、最愛の妻である遊子にこう言った。
「……私は月を愛してきた。私がいなくなっても、お前は一人で月を見続けておくれ。それが私を想うことだ」
遊子は涙を流して答えた。
「いいえ、あなたがいなければ、私一人で月を見るなんて意味がありません。私も共に逝きます」
伯陽は微笑んで、最後の契りを交わした。
「……ならば、月を形見にしよう。偕老同穴、天長地久の契りは変わらない」
やがて二人は亡くなり、天に昇って二つの星になったという。それが、牽牛と織女。
今の世では「出雲路の神」あるいは「道祖神(さいの神)」として、夫婦の縁を守り続ける神様になったのだと。
(……そうよ。あの方と私の契りも、神様が結んでくださったもの。たとえ父が、平家が、世界が許さなくても。私は、あの月に誓った運命を裏切らない!)
さらに彼女は、漢の高祖・劉邦が、吉兆である紫の雲を頼りに深い山へ逃げ込み、後に天下を獲ったという伝説を思い出し、己を奮い立たせた。
夜もすがら、険しい伊豆の山を分け入り、泥にまみれ、傷だらけになりながら、政子はついに、潜伏していた頼朝の元へと辿り着いた。
「――佐様!」
頼朝が、驚きに目を見開いた。闇の中から現れた、ボロボロになりながらも瞳だけは黄金のように輝いている政子の姿。
「……政子、お前なのか。なぜ、こんなところまで」
「……お父様が何と言おうと、私は貴方様の妻です。二度と離れません。共に、未来を掴み取りましょう」
頼朝は鞭を上げ、政子を力強く抱き寄せた。その瞳には、かつてない野望の炎が灯っていた。
翌朝、目代・山木兼隆は、逃げ出した政子を探し回らせたが、深い山の奥までは追いきれなかった。
「……あきらめよ。山が深すぎて、どこへ消えたか分からぬ」
一方、実家である北条時政はといえば、これまた「知らず顔」を貫いていた。
「やあ、これは面目ない。娘が勝手な真似をいたしまして……。どこへ行ったのか、さっぱり見当もつきませんなあ」
内心では、伊東祐親のような「過激な排除」を選ばず、状況を静観する時政のしたたかさが光っていた。この「果報を待つ度量」こそが、後に北条家を天下の執権へと押し上げる要因となる。
伊東家は頼朝を殺そうとして滅びの道を歩み、北条家は頼朝を受け入れ、あるいは政子に流され、栄華を極めた。
この夜、一人の女性が山を越えたことが、数千、数万の武士の運命を変えた。それは、出雲の神と道祖神が見守る中、源頼朝と北条政子――最強の夫婦による「反撃」の始まりを告げていた。
この日本という国がどうやって始まったか?それは、ある夜、恋のために山を駆けた一人の姫君の執念から、再スタートを切ったのかもしれない。
曾我物語 巻第二 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔兼隆聟に取る事〕
斯様の昔を案ずるに、悪し様にはあらじと思ひけれども、平家の侍に、山木の判官兼隆と言ふ者を同道して下しけり。道にて、何と無き事のついでに、「御分を時政が聟に取らん」と言ひたりし言葉の違ひなば、「源氏の流人、聟に取りたり」と訴へられては、罪科逃れ難し、如何せんと思ひければ、伊豆の国府に着き、彼の目代兼隆に言ひ合はせ、知らず顔にて、娘取り返し、山木の判官にとらせけり。然れども、佐殿に契りや深かりけん、一夜をもあかさで、其の夜の内に、逃げ出でて、近く召し使ひける女房一人具して、深き叢を分け、足に任せて、あしびきの山路を越え、夜もすがら、伊豆の御山に分け入り給ひぬ。ちぎりくずちは、出雲路の神の誓ひは、妹背の中は変はらじとこそ、守り給ふなれ。頼む恵みのくちせずは、末の世掛けて、諸共に住みはつべしと、祈り給ひけるとかや。抑、出雲路の神と申すは、昔、けいしやうと言ふ国に、男を伯陽、女を遊子とて、夫婦の物有りけるが、月に共なひて、夜もすがら、ぬる事無くして、道に立ち、夕には、東山の峰に心を澄まし、月の遅く出づる事を恨み、暁は、晴天の雲にうそぶき、くもり無き夜を喜び、雨雲の空を悲しみて、年月を送りしに、伯陽九十九の年、死門にのぞまむとせし時、遊子に向かひ申す様、「我、月に共なひて、めづる事、世の人に越えたり。一人なりとも、月を見る事、怠らざれ」と言ひければ、遊子、涙を流して、「汝、まさに死なば、我一人月を見る事有るべからず。諸共に死なん」と悲しめば、伯陽重ねて申す様、「偕老同穴の契り、百年にあたれり。月を形見に見よ」とて、遂にはかなくなりにけり。契りし如く、遊子は内に入る事も無くして、月に伴ひ歩きしが、是も限り有りければ、遂にはかなくなりにけり。然れども、夫婦諸共に月に心をとめし故に、天上の果を受け、二つの星なるとかや、牽牛織女是なり。又、さいの神とも申すなり。道祖神とも現れ、夫婦の中を守り給ふ御誓ひ、頼もしくぞ覚えける。又、伝へ聞く、漢の高祖、はうやう山と言ふ山に籠り給ひしに、こうろ大子諸共に、紫雲を知るべしとて、深き山路に分け入りし志、是には過ぎじとぞ見えし。さて、佐殿へ秘かに人を参らせ、かくと申させ給ひしかば、鞭を上げてぞ、上り給ひける。目代は尋ねけれども、猶山深く入り給ひければ、力及ばず、北条は、知らず顔にて、年月をぞ送りける。伊東が振舞ひには代はりたるにや、果報の致す所なり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




