2-1 血の代償と、盃に落ちた不吉な影
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
「……三千世界は眼の前にあり、十二因縁は心の裏に空し」
出家した伊東入道 祐親は、仏門に入ってもなお、消えぬ恨みに身を焼かれていた。愛息・河津三郎を殺され、その犯人が工藤祐経の郎等であると知った今、彼にとっての「救い」は写経でも念仏でもなかった。
「祐清よ、わしの目の黒いうちに、あの刺客どもの首を持ってこい。それが何よりの孝行だ」
命じられた九郎祐清は、密かに放っていた諜報網から、刺客たちの帰還を察知していた。
「承知いたしました。すでに案内者を潜り込ませてあります。奴らが戻り次第、一人残らず仕留めてご覧に入れましょう」
数日後、吉報が届く。祐清はすぐさま、家の子・郎等八十余人を率い、直兜の重武装で狩野の地へと急行した。
狩野の地に追い詰められた八幡三郎は、逃げられぬことを悟っていた。
「……フン、思ったより早かったな。だが、どこへ逃げる必要があろうか」
八幡は精鋭の十余人とともに、建物の奥へ立て籠もった。
「主君・祐経様のために命を捨てる。望むところだ!」
押し寄せる八十人の大軍に対し、八幡たちは雨あられと矢を放った。差し詰め引き詰め、一矢も無駄にせぬ凄まじい手練れ。次々と敵を射落とし、矢が尽きるまで戦い抜いた。
「もう矢はねえ! いざ、さらばだ!」
彼らは敵に首を渡すことを良しとせず、互いに差し違え、あるいは自らの腹を切り裂いた。
八幡三郎、享年三十七。
彼は自らの腹を十文字に掻き切り、壮絶な自決を遂げた。まさに、武士としての意地を貫き通した最期だった。
一方、もう一人の刺客・大見小藤太は、八幡とは対照的な「凡夫」であった。彼は隣で戦っていた八幡が討たれたと聞くや否や、誇りも名誉も投げ捨て、取るものも取り敢えず逃げ出したのである。
「死にたくない……! あんな狂気じみた連中に付き合ってられるか!」
しかし、伊豆全域に張り巡らされた祐親の網から逃れる術はない。小藤太は狩野の国境まで追い詰められ、無様に搦め捕られた。
「頼む、命だけは助けてくれ!」
泣き叫ぶ彼の願いが聞き入れられるはずもなかった。
彼は川の端に引きずり出され、汚い命をその場で断たれた。祐清は二人の首を掲げ、父・祐親のもとへと帰還した。
「……見事だ、祐清。これで三郎の無念も少しは晴れよう」
祐親は満足げに頷き、曾我の地にいる三郎の未亡人も、夫の敵が討たれたことを聞いて喜びに震えた。
だが、この勝利を冷めた目で見つめる一人の老女がいた。八幡三郎の母である。彼女は八十歳を越える高齢で、かつてこの一族の始祖・寂心の乳母子として仕えた身だった。彼女は息子を失った悲しみのあまり、祐親に向かって呪いのような言葉を吐いた。
「息子が主君のために死ぬのは本望。……だが、この地獄のような争いの元凶を作ったのは、誰あろう伊東祐親、お前ではないか! お前が先代・寂心様の正当な遺言を背き、土地を横領したから、この連鎖が始まったのだ!」
彼女は、かつて自分が目撃した「不吉な予兆」を語り始めた。
それは、先代・寂心がまだ存命だった頃の出来事だ。一族の公達が一堂に会し、華やかな酒宴を開いていた時のこと。寂心が金色の盃を持ち、酒を飲もうとしたその刹那――。
何もない空から、一匹の大きな鼬が飛び降りてきたのだ。鼬は寂心の膝の上にすとんと着地すると、まるで嘲笑うかのように周囲を見渡し、次の瞬間、霧のように掻き消えてしまった。
「これは……天からの警告ではないか?」
周囲はざわついた。すぐに専門家に占わせると、「近いうちに大きな災いが起きる。慎みなさい」との結果が出た。
だが、絶大な権力を誇っていた寂心たちは、それを「単なる珍事」として片付け、祈祷もせず、反省もしなかった。果たして、その直後に寂心は病没し、祐親による「遺言状の無視」と「横領」が始まったのである。
老母はさらに続けた。
「かつて白河法皇が鳥羽の離宮におられた時も、鼬が現れて泣き叫んだという。その翌日、高倉宮の謀叛が発覚し、多くの血が流れた……。この一族に現れた鼬も、同じこと。祐親、お前が始めた不義理が、この惨劇を呼んだのだ!」
刺客を討ったという勝利の余韻は、老母の言葉によってかき消された。伊東祐親は無言で首を見つめていた。
自分の正義を貫いたつもりだった。息子を殺された復讐を果たしたはずだった。だが、足元を見れば、自分が踏みにじった「遺言状」という名の不義理が、鎖となって自分と子孫に絡みついている。
曾我の地では、五歳の一万(後の十郎)と三歳の箱王(後の五郎)が、父の形見の矢を見つめていた。
「鼬」が告げた災いは、まだ終わっていない。刺客の死は、決して終着点ではなかった。それは、幼き兄弟が成長し、やがて伊豆の山々を真っ赤な血で染め上げるまでの、長い長い「雌伏の時」の始まりに過ぎなかった。
大昔、海の向こうの大きな国に、一人の王がいた。この王、とにかく豪華な建物を作るのが趣味で、人生の目的と言ってもいいほど、宮殿作りに情熱を注いでいた。
彼が明け暮れて作り上げたその宮殿は、「上かう殿」と名付けられた。その仕様は、
梁は すべて金と銀で作られていた。軒先は宝石や、きらびやかな瓔珞がぶら下がっていた。壁は 華やかな華鬘の花飾りが咲き乱れていた。
内装は瑠璃色の天蓋が下がり、四方には瑪瑙の幡がたなびいており、庭園は土の代わりにサンゴや琥珀が敷き詰められていた。
風が吹けば、宮殿に焚かれた沈香や麝香などの高級な香木の香りが優しく広がる。庭の池には極楽浄土の鳥たちが遊び、その鳴き声はまさに音楽。仏様や菩薩様が今にも舞い降りてきそうな超ラグジュアリー空間だった。
王は、この「金殿玉楼」を眺めては、満足感に浸る日々を送っていた。だが、そんな栄華に影を落とす、奇妙な怪異が起きた。
ある日のこと。宮殿の巨大な柱に、二匹の鼬が現れたのだ。鼬たちは、まるで何かを訴えるように泣き騒いだ。しかも、それが七日間も続いたのである。
「……不吉だ。ただ事ではない」
王は不安になり、占術師である博士を召し出した。博士はあらゆる経典を紐解き、精神を集中させて占うと、真っ青な顔で奏上した。
「陛下、申し上げます。あの大講堂の柱の中に、七尺もの巨大な『人形』が隠されています。それは、大王の姿を細部まで模した呪いの人形でございます」
博士の言葉に、座が凍りついた。
「……呪いだと?」
「はい。逆賊七百人が、陛下を呪い殺すために調伏の壇を立て、幣帛を供えているのです。今すぐ、その柱を割ってご覧ください」
王はすぐさま、高徳な聖を呼び寄せ、問題の柱を割らせた。すると、博士の言葉通り、中からは恐ろしい形相をした人形が飛び出してきた。さらに、その場に隠れていた「逆賊七百人」までもが芋蔓式に見つかったのである。
王は激怒した。
「我が治世を覆そうとする不届き者め!」
まずは主犯格の三百人を捕らえ、その首をはねた。だが、残りの四百人の処刑にかかろうとした、その瞬間。
突如として、天下が真っ暗闇に包まれた。
昼と夜の区別もつかないほどの深い闇。人々は色を失い、恐怖のあまり道路に倒れ伏した。これは、天が王の処断に異を唱えているのか? それとも呪いの力が暴走しているのか?王は震え上がったが、逃げることはしなかった。
「……わしは、私利私欲でこいつらを殺しているのではない。下の者が上を侮る『下克上』を戒め、後世を安んじるためにやっているのだ。もしわしが間違っているなら、この命を捧げよう」
王は断食を行い、高い祭壇の上に上がった。そして、なんと足の指だけで爪先立ちをしたまま、三七日祈り続けたのである。それはまさに、自らの命を削るような必死の「誓願」だった。
満願の日。奇跡は起きた。王の目の前に、夜空から七つの星が眩い光を放ちながら舞い降りてきたのである。すると、世界を覆っていた暗闇は嘘のように晴れ渡り、太陽と月が再び輝きを取り戻した。
「……天はわしを認めてくださった!」
自信を取り戻した大王は、残る四百人の逆賊を処刑し、反乱の芽を完全に摘み取った。しかし、博士が再び進言した。
「大王、敵は滅びましたが、あの『調伏の呪い』の残滓が、まだこの宮殿にこびりついています。所詮、降臨された七星を祭り、この『上かう殿』にすべての宝を積み上げて、一気に焼き捨てなければ、真の災厄は消え去りませぬ」
王は躊躇無く言った。
「よかろう。呪いの残る黄金など、塵にも等しい!」
王は、惜しげもなく豪華絢爛な宮殿に火を放った。空高く舞い上がる炎。黄金が溶け、宝石が弾けるその巨大な焚き火は、世界を浄化する神聖な光となった。これこそが、後に伝わる「泰山府君の祭り」のルーツであると言われている。
「七難即滅、七福即生」――すべての災難を焼き払い、幸福を招くための神事。王はその後、不老門をくぐり、長生殿で誰よりも長く平和な治世を謳歌した。風は枝を揺らさず、雨は土を騒がせず。世界は永遠の安らぎに包まれたという。
一方で、領地という名の「宝」に執着し、血で血を洗う復讐の連鎖に身を投じる伊豆の武士たち。皮肉なことに、この泰山府君の物語を語りながら、彼らはまだ、自分たちの足元に忍び寄る「本当の闇」に気づいていなかった。
曾我物語 巻第二 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔大見・八幡を討つ事〕
三千世界は、眼の前に付き、十二因縁は、心の裏に空し。浮き世にすむも、捨つるも、安からぬ命、いつまでながらへて、あらましのみにくらさまし。伊東入道は、何に付けても、身の行方、あぢき無くして、子息の九郎祐清を呼び寄せ、「入道がいきての孝養と思ひ、大見・八幡が首を取りて見せよ」と言ひければ、「承りぬ。此の間も、内々(ないない)案内者を以て、見せ候へば、他行の由、申し候ふ。もし帰り候はば、告げ知らすべき由、申す者の候ふに依つて、待ち候ふ。余し候ふまじ」とて、座敷を立ちぬ。幾程無くして、「来たりぬ」と告げければ、家の子郎等八十余人、直兜にて、狩野と言ふ所へ押し寄せたり。八幡の三郎、然る者にて、「思ひ設けたり。何処へか引くべき」とて、親しき者共十余人、込め置きたりしが、矢共打ち散らし、差し詰め引き詰め、とりどり散々(さんざん)に射ける。やにはに、敵数多射落とし、矢種つきしかば、差し集まりて、主の為に命捨つる事、露程も惜しからず。所詮、のぞみたりぬ」と言ひて、差し違へ差し違へ、残らず死にけり。八幡は、腹を十文字にかき破り、三十七にて失せにけり。即ち、大見の小藤太がもとへ押し寄せたり。此の者は、もとより、心下がりたる者にて、八幡が打たるるを聞きて、取るもの取り敢へず、落ちたりしを、狩野境に追ひ詰めて、搦め取りて、川の端にて、首をはねたり。九郎は、二人が首を取りて、父入道に見せければ、ゆゆしくも振舞ひたりとぞ感じける。曾我に有りける河津が妻女も、喜ぶ事限り無し。祐清は、入道が憤りを止め、兄が敵を打ちし孝行、一方ならぬ忠とぞ見えける。さても、八幡の三郎が母は、久須美の入道寂心が乳母子なり。八旬に余りけるが、残り止まりて、思ひの余りにくどきけるは、「御主の為に、命を捨つる事は、本望なれ共、此の乱のおこりを尋ぬるに、過ぎにし親の譲りを背き給ひしに依つて也。然るに、寂心、世に坐しませし時、公達数多なみ据ゑて、酒宴半ばの折節、持ち給ひつる盃の中へ、空より大きなる鼬一つ入りて、御膝の上に飛び下りぬと見えしが、何処とも無く失せぬ。希代の不思議なりとて、やがて考へさするに、「大きなる表事、つつしみ給へ」と申したりしを、さしたる祈祷も無くて、過ぎ給ひぬ。幾程無くして、寂心は、隠れさせ給ひけり。然ればにや、白河の法王も、鳥羽の離宮に渡らせ給ひし時、大きなる鼬参りて、泣き騒ぎけり。博士に御尋ね有りければ、「三日の内に御喜び、又は御歎き」とぞ申しける。其れに合はせて申す如く、次の日、御子高倉宮、御謀叛現れ、奈良路にて打たれさせ給ひぬ」。
〔泰山府君の事〕
斯様の事を以て、昔を思ふに、大国に大王有り。楼閣をすき給ひて、明け暮れ、宮殿を作り給ふ。中にも、上かう殿と号して、梁は、金銀なり。軒に、珠玉・瓔珞をさげ、壁には、しやうれの華鬘を付け、内には、瑠璃の天蓋をさげ、四方に、瑪瑙の幡をつり、庭には、珊瑚・琥珀をしきみて、吹く風、ふる雨の便りに、沈麝のにほひにたたゑゑり。山をつきては、亭を構へ、池をほりては、船を浮かべ、水に遊べる鴛鴦の声、偏に浄土の荘厳に同じ。人民こぞりて囲繞す。仏菩薩の影向も、是にはしかじとぞ見えし。然れば、大王、玉楼金殿に至り、常に遊覧す。或る時、大講堂の柱に、鼬二つ来たりて、泣き騒ぐ事、七日なり。大王、あやしみ給ひて、博士を召して、うらなはしむるに、考へて、奏聞す。「此の柱の内に、七尺の人形有り。大王の形をことごとく作り移して、調伏の壇を立て、幣帛・供具をそなへたり。わりて見給へば、とうい七百人有り。滅ぼすべし」と言ふ。即ち、大王上人に申して、めでたき聖を請じ奉り、彼の柱、わりて見給ふに、違はず、すさまじきと言ふも余り有り。やがて、壇を破り、勘文に任せて、色々(いろいろ)のしよ人を集め、其の中に、あやしきを召し取り、拷問しければ、ことごと白状す。よつて、七百人の敵をことごとく召し取り、三百人の首を切り給ひぬ。残り四百人切らんとする時、天下暗闇に成りて、夜昼の境も無くして、色を失ふ。人民、道路に倒れ伏す。大王、驚きて曰く、「我、露程の私有りて、彼等の首を切る事無し。下として上をあざける下国上戒め、後の世を思ふ故なり。もし又、我に私あらば、天是を戒むべし。是をはからん」とて、三七日、飲食を止めて、高床に上り、足の指を爪立てて、「一命、此処にて消えなん。もし誤り無くは、諸天哀れみ給へ」と祈誓して、仁王経をかかせられけり。三七日に満ずる時、七星、眼前とあま下り見え給ふ。やや有りて、日月星宿、光をやはらげ給ふ。然ればこそ、まつる事に、横儀は無かりけれとて、残る四百人をも切り給ひぬ。此処に、博士、又参内して奏す。「大敵滅びはて、御位長久なるべき事、余儀無し。然れども、調伏の大行、其の効残りて、恐ろし。所詮に、あま下り給ふ七星をまつり、しやうかう殿に宝をつみ、一時にやき捨てて、災難の疑ひを止むべし」と申しければ、左右に及ばずとて、忽ちに上件のようしやくをくり、諸天を請じ奉りて、彼の殿共をやき捨てられにけり。さてこそ、今の世までも、鼬泣き騒げば、つつしみて水をそそくまじなひ、此の時に依りてなり。然れば、七百人の敵滅び、七星眼前に下り、光をやはらげ給ふ事、七難即滅、七福即生の明文に適ひぬるをや、今の泰山府君のまつり是なり。大王、彼の殿をやき、まつる事をし給ひて、御位長生殿にさかえ、春秋を忘れて、不老門に、日月の影、静かにめぐり、吹く風、枝をならさず、ふる雨、塊を動かさで、永久の御代にさかえ給ひけるとかや。めでたかりし例なり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




