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40 ネコ砂と勇者トラ

 ジギリス帝国皇帝は、大気を震わせるような声で尋ねた。


「貴様が、ブリージア聖王国が遣わしたという勇者か?」

「はい」


 本来なら国賓として迎えられるべき立場だが、二日後に戦端が開かれるという緊迫した場面である。

 互いに礼儀作法などは無視すると、皇帝自身が宣言してからの詰問である。


「たった一人で来たのだ。戦争に参加せぬ国が負う借款金貨1万枚に匹敵する働きができるというのだな?」

「……金貨……」

「こ、これだニャ」


 受け答えは流暢になり、理論的な思考も自然とできるようになった勇者トラだが、賢者カミュに監禁状態で鍛えられたため、世間的な常識には乏しいのだ。

 ケットシーのルフが、勇者トラの足元で金貨を見せた。金貨そのものは、冒険者組合の仕事でかなりの量を手に入れている。問題は、勇者トラに買い物という考え方がないため、ルフが代わりに受け取りと支払いをやっていたのだ。


「わかりません。帝国の兵士の強さも、魔族の強さも知りません。僕が行かないと、女神がゆっくりと寝られないそうです」

「女神がだと? 本当に、女神が直接遣わした勇者だということか。勇者など、この世界には掃いて捨てるほどいる。ほとんどが、我が帝国が召喚した連中だ。帝国に恩を受けながら、逃げて行った連中が多い。ブリージアもそう言った連中を送り込んでお茶を濁すつもりかと思っていたが……もし戦場で役に立たなければ、代わりにデボネー卿を余の嫁に差し出すよう要求するつもりだったが……それはいずれ機会があるだろう。よかろう。ブリージア聖王国は、人間圏大同盟の盟約を果たしたと認めよう。その代わり、勇者トラには全軍の先頭に立ってもらうぞ」


「はい」

「即答か。戦端が開かれるのは、トロアテの窪地と呼ばれる場所だ。明日の夜、月が消える。月が完全に消えた瞬間、魔王軍との和平協定は破棄される。会戦は深夜になる。やむを得んのだ。十年前、その条件で協定を結んだのだからな」

「真っ暗じゃ、人間に不利だニャ」


 ルフが勇者トラの足元でつぶやいた。ジギリス帝国皇帝は、ルフのつぶやきに頷いた。魔物の言葉に反応すること自体、ブリージア聖王国とは違うことを顕している。


「その通りだ。闇を見通す魔法や魔道具があれど、兵士全体に行きわたらせるほどの数はない。魔物どもは大半が闇を苦にしない。なぜか魔族たちは夜目が効かないらしいが、魔族は最前線には出てこないだろう。初戦は大敗する。兵士たちには秘密だが、余と将軍たちはそれを見越して、最前線には老兵しか配置していない。勇者トラの力で、戦況が覆せるものであればよいがな」

「……しかも、皆既月食だニャ……」


 今度のルフのつぶやきは、皇帝には無視された。月が消えると言っていた現象が何に由来するか、皇帝も知らないようだ。

 ルフが知っているのは、元々世界に生じる現象を最高位天使として把握しているからである。


「魔族と魔物は違うのですか?」

「……そこからか?」


 勇者トラの素朴な疑問に、皇帝はルフを睨んだ。勇者トラの知識面を補っているのがルフだと判断したのだろう。


「ブ、ブリージアには、魔族はいなかったニャ。だから、トラも知らないニャ」

「だからといって、これから戦場で相まみえるのだぞ。どうして教えておかんのだ」

「ど、どうして、私が魔族のことを知っていると思うんだニャ?」


「女神が直接遣わした勇者の従魔が、ただのケットシーのはずがあるまい。お前がドラゴンや魔神であれば不自然にも思わんが、ケットシーが従魔となっている以上、勇者トラを支えられる力があるはずだ」

「……わかったニャ。トラ、魔族というのは、魔王が召喚した者たちで……人間側の勇者と同じ存在だニャ」

「そうなのか?」


 尋ねたのは皇帝だった。ルフは慌てて口を塞ぐ。


「し、知らなかったのかニャ?」

「そんなことは知らん。余が知っているのは、魔王に直接仕えているのが魔族で、魔族は勇者と互角以上の力を持ち、魔物を使役する立場にいるということだけだ」


「……あニャー……魔族は、見た目は人間と同じだニャ。でも……召喚される過程で、魔王の下僕であることを証明する証が刻印されるニャ。魔族は……ほとんどが魔物を召喚する力があるから、力のある魔族ほど、大群を指揮しているのと……勇者と同等の能力を持っているニャ。スキルとか……魔力や身体的なステータスだニャ」


「わかった」

「おい、記録したか?」


 勇者トラが返事をした後、皇帝が脇に立っていた文官と思われる女性に尋ねた。女性は手元の粗雑な紙に走り書きをしていた。


「これで、魔族の研究がはかどります」

「うニャー……言っちゃまずかったかもしれないニャー……できれば、トラの頭の中だけでとどめてほしいニャ」

「そうは行きませんな」


 皇帝が、やや口調を丁寧に改めながら、にったりと笑った。


「しかし陛下、明日には戦端が開かれます。これから作戦の変更は無理かと愚考いたしますが」


 鎧をまとった厳つい将軍が口を挟む。ルフが応援しているのは、自分の発言を誤魔化すためだ。ルフの思惑とは無関係に皇帝が答えた。


「むろんだ。女神の大量の加護を受けているとはいえ、勇者の従魔が言ったことを鵜呑みにはできん。明日の戦闘中、斥候部隊に魔族の様子を探らせるのだ。従魔の言った情報を与えておいて、どこまで信じられるものか検証する。もし従魔の言うことが全て本当だとしたら、対魔王軍の主力は勇者トラ殿となろう」

「承知いたしました。すぐに準備にとりかかります」


 将軍が文官を連れて退出する。

 勇者トラに向かって、皇帝は手を上げた。


「勇者の多くは我が国で召喚され、鍛えられる。わが国では、勇者は部隊長扱いだ。だが、勇者トラはすでに我が国に有益な情報をもたらした。明日、勇者トラのもたらした情報が嘘であったなら、それなりに責任を追及することになるが、それまではわが国では将軍と同待遇とする」


「私のおかげだニャ」

「ブリージアでは、勇者トラは公爵待遇だったよな。どう違うんだ?」


 勇者トラの足元で胸を張るルフがいる一方、オーロラがルフの頭の上に腰かけて尋ねた。


「知らない」

「我が国では、戦場で爵位は意味を持たんよ。もし、この戦が終わったら、相応しい爵位を授けてもよい。それだけの働きができるのであればな」


 皇帝は終始恫喝するような視線を投げかけてくる。

 勇者トラは、視線を合わせなかった。視線が合うのは開戦の合図だとは、前世の記憶である。賢者カミュの元で修行を積んだが、身についた習性を全て払拭するには至らなかった。


「きっと、砂が沢山もらえる」


 勇者トラは、オーロラをなだめるように言った。だが、オーロラには意味が通じなかったようだ。


「砂? 何に使うんだ?」

「トイレには必要だし、出したものを隠しやすい」

「トラ、人間なら、排泄物は水に流すニャ。どうしてトラは、砂にしたがるニャ?」

「落ち着く」


 皇帝の前で、皇帝を無視して従者と話し始めた勇者トラに、ジギリス帝国皇帝はさすがに笑った。嘲笑ったというのに近い。


「よかろう。おい、勇者トラを今後将軍職と同等として扱うと触れを出せ。急ぎ、将軍用にテントをもう一基建設し、ありったけの砂を集めて献上するように伝えよ」

「はっ? ……はっ」


 控えていた少年が飛び出していく。


「では、明日の夜まで休まれよ」

「はい」


 勇者トラは歯切れの良い返事をし、皇帝の天幕を後にした。


 ※


 夜までに将軍用の大きなテントが張られ、勇者トラは大量の砂に満足した。


「これまで、砂が欲しいとか言ったこと無いニャ」


 ルフが不思議そうに尋ねると、勇者トラは首を傾げた。


「何かをくれると言われなかった」

「確かに……ブリージアの王城でも、好きなものを持って行けと言われただけだよな。今まで、トイレはどうしていたんだ? おいらには必要ないけどよ」


 オーロラが、虹色の光跡を残しながら勇者トラの頭上に座った。


「掘った」

「トラの爪なら、石でも掘ることができるニャ」


 勇者トラが、爪を伸ばして手を振った。本来のネコであれば、爪は足の皮に埋もれている。人間の手の構造では自由に爪を出し入れできないはずだが、勇者トラはできる。

 どうしてできるのか、勇者トラにもわからない。できることが普通ではないという自覚が、勇者トラにはない。


「女神様……加護のセーブしなかったんだな。だから、寝込むまで力を分け与えたんだな」

「あの時は、時間がなかったニャ」

「誰か来た」


 既に夜である。勇者トラの聴力は、ケットシーであるルフを凌ぐ。構造としてはルフの方が耳は良いはずなのに、ルフはまだ肉体の機能を使いきれていないのだ。


「お夕食をお持ちしました」

「どうぞ」


 テントの中に、薄い衣をまとった若く整った顔立ちの女が、勇者トラと従魔の食事を持って入って来た。

 戦場とは思えない勇者トラのために用意された食事の隣に、一つの器に様゛さまな食材を放り込んだ、ある意味では残飯のように見える容器が添えられている。


「……これ、酷いニャ」

「美味しそう」

「喜んで頂いて恐縮です。では、寝所の準備をします。勇者様は召し上がっていてください」

「はい」


 勇者トラは、明らかに従魔ように用意された大きな器を抱え込んだ。


「あっ……トラ、そっちは……」

「大丈夫。ちゃんとマナーを身につけた」


 答えると、勇者トラは器の中に顔を突っ込まず、スプーンで器の中身を掻き込み始めた。


「あっ……そうじゃなくて……私のご飯は……」

「それでしょ?」


 勇者トラが、まるでフルコースのように整えられた食事セットを指さした。


「いいニャ?」

「どうして聴くの?」

「いいのかニャ?」

「おいらに聞くなよ。おいらも食べるし、良いんじゃないか?」


 ルフとオーロラが、将軍用の食事に手を付ける。

 勇者トラが食事を終えた時、地面に敷かれた布団の上から声がかかった。


「さあ、勇者様、もう休み下さい」


 敷いた地面の上で、食事を持ってきた若い女が全裸で横になっていた。


「はい。ありがとう」


 勇者トラは快活に言うと、積み上げられた砂で心地よいスペースを作り、体を倒して寝始めた。


「……トラ、ハニートラップって……もう寝たニャ。人間の女……朝までそこで寝てていいニャ」

「……屈辱だわ」


 女は急いで服を身につけると、食事の容器を持って走って出て行った。


「……なあ、勇者トラって、人間だよな?」

「当たり前だニャ」


 女神の夢から生まれたというオーロラは、勇者トラの秘密は知らないようだった。

 明日の夜、魔王軍との戦争が始まる。


 勇者トラは、夢も見ずに眠り続けた。


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