41 ブリージア聖王国の現在
勇者トラに遅れること1日にして、ブリージア聖王国の勇者タケル一行が到着したが、勇者トラに知らされることはなかった。
勇者トラは、ジギリス帝国の兵士たちの勧めに応じ、戦場となる場所を見て回った。
勇者トラの配置は、ジギリス帝国皇帝の勅命により、帝国軍の一番前であることが定められた。
夜になるまでの間に、勇者タケルの一行が帝国軍から取り調べを受け、他の勇者たちに力比べを挑まれ、従軍する兵士たちに帝国軍の武器や戦術について講義を受けたが、いずれも勇者トラにとってそれほど重要なことではなかった。
夜になる。
ジギリス帝国の兵士たちが、不安そうに刻一刻と欠けていく月を見上げながら行軍する。
その様子を、勇者トラは定められた場所で待ち受けていた。
勇者トラは、まだ日が高いうちから、日向ぼっこをして待ち受けていたのだ。
太陽が隠れ、ひだまりが消えてから、勇者トラは昨日もらって異次元ポケットに収納して来た大量の砂を出し、排せつした。
魔王軍側とはやや距離がある。百メートルほどだろう。魔王軍の魔物たちは、勇者トラがいる帝国の陣地を眺めている。
帝国側の人間たちより一足早く布陣し、月が隠れるのを待っているのだ。緊張している帝国側の兵士たちに比べて、いかにも待ちきれないといでもいうかのように、魔物たちが地面を踏み鳴らしている。
帝国側の兵士が、勇者トラの居る場所まで到着した。
5国の兵士、10国の勇者を含み、10万の大軍となっている。
対する魔王軍は、5人の魔族が率いる30万の魔物たちだ。その中には、人間もいる。魔王領に人間がいないわけではなく、魔物から身を守れる強い人間か、魔族に庇護されている奴隷のような立場の人間が従軍している。
「勇者トラ殿、戦の口上などはありません。月が完全に隠れたら、不可侵条約は自動的に反故されます。トラ殿は、敵の魔族と大型の魔物に集中していただきたい」
「はい」
近づいてきた帝国軍将軍の一人に、勇者トラは答えた。
帝国軍将軍はハリネズミを着ているような武装をしているが、勇者トラはただの旅装である。
「トラ殿、武装はいかがした?」
「あるよ」
「着るニャ」
「必要になったらつける」
ケットシーのルフが足元にいることに、将軍は驚いたようだ。勇者トラの肩には、小妖精も乗っている。
「それもそうニャ」
「どういう意味ですか? ここは、戦場ですぞ」
「トラは、異次元ポケットを持っているニャ。ある賢者の力を借りて、必要な時に直接体を覆うように取り出せるようになっているニャ。だから、必要なとき以外には、トラ専用装備は取り出せないニャ」
「……今はまだ、必要ないと?」
「はい」
「承知しました。ご武運を」
将軍は納得しかねる顔をしていたが、ジギリス帝国皇帝が認めた勇者である。言い争うつもりもなかったのだろう。軽く頭を下げると、ハリネズミのような武具の将軍は離れていった。
「トラ、月が消えるニャ」
「はい」
勇者トラがケットシーのルフを抱き上げ、首の皮をつまんで口にした。
「……恥ずかしいけど、もう慣れたニャ。トラ、魔王軍は古代マンモスを前線に並べているニャ。まずはあれを叩くニャ」
「はい」
勇者トラの返事と同時に、月が消えた。
魔物たちの咆哮と、兵士たちの雄叫びが上がる。
勇者トラは、無言で地面を蹴った。
一瞬で古代マンモスと呼ばれる巨大な毛深いゾウたちの前に移動し、腹の下に潜りこみ、殴り飛ばした。
古代マンモスの一頭が、宙を舞って吹き飛ばされる。
「何かいるぞ! 踏みつぶせ!」
魔王軍の誰かが叫んだ。
勇者トラに、魔物たちが殺到する。
「ニャー―――――――!」
勇者トラが叫んだ。めったに発しない勇者の雄叫びに、魔物の群れが一瞬固まる。それは紛れもなく、身の危険を感じ取ったのだ。
次の瞬間には、再び勇者トラに魔物たちが殺到した。
「トラ、あれを出すニャ」
「はい」
地面に落ちたルフを拾いあげながら、勇者トラが応える。
異次元ポケットから勇者トラが取り出したのは、ブリージア聖王国が何でも持って行っていいと言われ、勇者トラがその通り持ち出したものだった。
~ブリージア聖王国 王城~
ブリージア聖王国近衛隊隊長デボネーは、突然暗くなったことに急いで身を伏せた。
何が起きたのかはわからない。
デボネーは、国宝と呼ばれる貴重な武器と防具を荷物袋に詰め込み、謁見の間で勇者トラの前に並べたところだった。
王は、勇者トラに好きなものを持って行っていいと告げた。勇者トラが答え、その直後に周囲が暗くなった。
昼間だったため、灯火の類は使用していない。
突然の暗転に、しばらく視界が奪われた。
原因はわからない。ただ、全身を軽い浮遊感が襲った。直後、建物が揺れるような衝撃が起きる。
ブリージア聖王国に地震は少ない。デボネーはただ、最も頼りになると思っている人物の名を呼んだ。
「トラ殿! 無事でござるか?」
返事はない。ただ、答えた声はあった。
「デボネー卿、何が起きている?」
王バランの声だった。
「わかりませぬ」
「サホカン、こう暗くては何もわからん。明かりを」
「危険かもしれませんぞ」
「何もわからんでは、仕方あるまい」
「そうですな」
落ち着いた声は、大元帥ムンデルと主席宮廷魔術師サホカンだ。
デボネーが把握していた人物は全員いる。
サホカンが杖の先に明かりを灯した。
周囲の闇が取り払われる。
全員いると、デボネーは思っていた。
ただ、勇者トラのみがいなかった。
※
国王バランをはじめ、この場にいた人物たちに怪我はなかった。
地震の衝撃によって、謁見の間を飾る調度品のいくつかは倒れたが、倒壊はしていないと思われた。
「勇者トラがいないな。デボネー卿、現在何が起きているのか、調査を頼む」
「承知したでござる」
大元帥ムンデルの言葉に王が頷くのを確認し、デボネーが答えた。
王に背を向けようとした。
謁見の場の扉がけたたましく開けられた。
「ご注進! 城が魔物に囲まれています!」
近衛隊隊士の一人だった。デボネーの部下でもある。
王が居る場で突然の大声を出す無作法より、その内容に全員が瞠目した。
「どういうことでござる!」
「わかりません。突然、魔物が城の周りにあふれました」
「そんなことがあるか! サホカン、城の周りには結界が張られているはずであろう」
王が怒声を発する。光る杖を持った宮廷魔術師が、青い顔をしている。
直後、魔物の雄叫びかと思われる声が、城の周囲、全方向から上がった。
「デボネー卿、状況の確認を! ムンデル、指揮を執れ! 魔物を城内に入れるな!」
「承知したでござる」
「無論ですな」
もはや、勇者トラの所在どころではなかった。デボネーは返事をして、走り出す。背後でムンデルが城内の兵士を呼び集める声が聞こえた。まずは城内の各所にかがり火をたくように命じていた。
デボネーは謁見の間を飛び出し、城内を駆けあがった。
途中ですれ違った兵士たちに同行するよう命じながら、城内で最も高い塔の最上階から、城の周囲を見回した。
※
デボネーは、上空に赤黒く変色した月を見つけた。
ブリージア聖王国最強の精鋭として、皆既月食の時が戦争の開始するときだと知っていた。
月が隠れるだけで、これほど暗いのかとデボネーは目をこすった。
城の各所にかがり火が灯り始める。
星の明かりだけでははっきりとは解らなかったが、周囲の地形が変わっている。
城の周りに魔物が溢れ、いつまでも続いている。
その数を、デボネーは30万と見積もった。
一方、人間の軍勢と思われる勢力が、塊になっている。
人間の兵力を、デボネーは10万と判断した。
魔物の軍勢と人間たちの軍勢の間に、まだ間が空いている。
ブリージア聖王国の王城は、人間たちから離れた場所で、魔物に囲まれている。
「ここは……」
デボネーについて来た兵士の一人が呟いた。デボネーは過去の経験から、正確な判断を導いた。
「ジギリス帝国と魔王軍の戦場でござる」
兵士たちが、声にならない悲鳴を上げた。




