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【reverse 20 月と、モトラと、おばあちゃんの言葉】

 朝食のテーブルで、花が言った。



「明日は皆さん出発してしまうので、今夜はお別れ会をしましょう! 私、ご馳走を作りますよ!」



「いいんですか?」



「はい! お世話になった本田くんとアプリさんにはお礼しないと!」


ノーテンキにリリーが答える。

「賛成ー! 私、料理できないから買い物しか付き合えないけどね」



「同じく料理は苦手です……」

本田は出来ることが無いことを悟りアプリと大人しくすることに決めた。



 女子組のリリーと花は買い出しとお別れ会の準備へ。


 男子組の本田とアプリは三沢のミリタリーショップへ向かった。



   *



 三沢に着いた。


 FUU HOUSE、コイワブルーウッズ、MISS VEEDOL SHOP TSUZUKIを回った。


 BDUパンツを買った。


 本田が試着すると、アプリが「悪くない」と言った。


 それだけで十分だった。



 菊の家に帰ると、テーブルに料理が並んでいた。


 ローストビーフ。


 サラダ。


 スープ。


 何品もある。


 全部、花が作ったものだ。


目の前のご馳走を見て本田も驚いてしまう。

「花さんって料理はプロレベルなんですね。いただきます」



「さあ、皆さん食べてみてください!」



 食べた。


 旨かった。


 菊の郷土料理とは違う、今風の味だ。


 でも、花の気持ちが全部入っている味だ。



 菊が、みんなのためにお茶を入れている。


 その後ろ姿が、嬉しそうだった。



   *



 夕飯を食べ終えて、四人が語り出した。



「本当に明日には皆さん行っちゃうんだよね……」



「私は秋田県から帰る時にまた寄るからね」

リリーが花をフォローするように優しく語りかける。



「はい! 待ってます! 必ず来てくださいよ!」



「リリーさんは秋田県から一人で帰れますか?」本田からの鋭い指摘にリリーもドヤ顔で答える。



「これでも本田くん達に出会うまで一人で紋別まで行きましたからね!」



「函館から紋別までは道一本だろ」

アプリの冷酷なツッコミを受けてリリーがたじろいでいる。



「うっ! な、なぜそれを……」



すかさず本田がリリーを気遣ってフォローを入れる。

「でも、ほら? 長万部から三十七号線と五号線に別れるじゃないですか! あそこの分岐点を間違えると苫小牧方面に行っちゃいますし……」



「そ、そうだよね! 本田くん! 道一本じゃないもんね!」



「まあ、長万部で五号線を選んでたら確かに道一本なんですけどね……。僕もそのルートで宗谷岬まで行きましたから……。リリーさんはどのルート?」



「五……号線……」



「道一本だな」



「そうですね……」



「でも、ちゃんと北海道は皆で一周したじゃないですか! ね?」



「そうですね! リリーさんは原付のスピードに付き合っただけでもすごいと思いますよ」



「もしも迷子になったら私が車で迎えに行きますよ。秋田県までなら車ならすぐですからね!」



「本当? それなら安心だよ〜」



 花が、窓の外を見た。


 暗くなってきた庭に、モトラが停まっている。



「明日は十和田湖でキャンプするんですよね? 今は紅葉のピークだから綺麗だろうなぁ……」



「花ちゃんも本当に来れば良いのに」



「……私には無理ですよ〜。キャンプ道具を買い揃えるお金もないし、知識もないし……」



「そっか、残念。でも、来年は一緒にキャンプに行こうね! 函館と青森はお隣同士だもん。これからは女同士で楽しもう!」



「はい! 私も函館まで遊びに行きますね」



「そだね。来年には私も原付を買う予定だからさ〜」



 笑い声が続いた。


 菊がお茶を注ぎ足してくれた。


 温かい夜だった。



 でも花の胸の中には、小さな棘が刺さったままだった。


 来年。


 来年、また会える。


 リリーは函館に住んでいる。


 函館は、青森から近い。


 それは、救いだった。


 本当に、救いだった。



 でも、明日の朝には、三人が行ってしまう。


 あの三台が、この庭からいなくなる。



 花は、その事実を、笑いながら受け止めていた。


 受け止めようとしていた。



   *



 本田もアプリもリリーも、早めに部屋に引き上げた。


 明日の出発に備えて。



 花は一人、縁側に座っていた。



 月が出ていた。


 満月に近い月が、秋の夜空に浮かんでいた。


 その月明かりが、庭を白く染めていた。


 モトラが、その月明かりの中に停まっている。


 ゴツゴツとしたフレームが、銀色に光っている。



 花は、モトラを見た。


 じっと見た。


 ずっと見た。



 明日になれば、三人は十和田湖へ向かう。


 紅葉の峠を越えて、秋の山の中へ消えていく。


 自分は、ここに残る。


 この庭に、モトラと一緒に、残る。



 寂しかった。


 本当に、寂しかった。


 仕事を辞めた時の怖さとは、違う。


 孤独とも、違う。


 もっと温かくて、もっと痛い、寂しさだ。


 大切なものが遠くなる、あの感覚だ。



 月がまた、少しだけ明るくなった気がした。


 モトラの銀色が、深くなった。



(おじいちゃん、私、どうしたら良いんだろう)



 花は、膝の上で手を握り合わせた。


 モトラに問いかけていた。


 返事は、来なかった。


 でも、問いかけずにはいられなかった。



 縁側の障子が、静かに開いた。



 菊が出てきた。


 花の隣に、ゆっくりと腰を下ろした。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。


 月明かりの中で、モトラを見ていた。



 菊が、懐からカードを取り出した。


 花の手に、そっと乗せた。



「花、これ使えへ」



 青森銀行のカードだった。


 花名義の。



「ほれ、キャッシュカードだはんで。花の結婚資金にすっつってな、陸雄じっちゃがこつこつ貯めでらった金だんず。じいさん、『花さ幸せになってもらいてゃ』って、いっつも言ってらったんだよ。だはんでな、遠慮すねで、好きに使えへ。花の好きなように、ちゃんと自分のために使うんだよ。じいさんも、きっと喜ぶはんでな」



 花の手が、カードの上で止まった。



「おばあちゃん……受け取れないよ……」



 声が、震えた。


 じっちゃが、こつこつ貯めたお金だ。


 花のために、幸せになってほしいと願いながら、貯め続けたお金だ。


 そんなものを、自分が。


 キャンプ道具を買うために使っていいのか。


 旅のために使っていいのか。



 菊が、花の手の上にそっと手を重ねた。


 小さくて、皺だらけで、温かい手だ。



「キャンプさ行ぎてんだべ?」



 花は答えられなかった。


 でも、菊は続けた。



「んだら、行ってこいへ。もうな、後悔すっような生ぎ方はしちゃだめだはんで。人生ぁ一回きりだんだよ。ほれ、あの人だぢ見でみれ。ちゃんと前さ向いで、前さ進んでらべ? 立ぢ止まってねぇべさ」



 菊が、少し間を置いた。


 それから、静かに言った。



「……花は、ここさ止まる気かい? そったら、ばっぱ許さねぇよ。花は花の道、しゃんと歩げ。胸張って、行ってこい」



 花は、カードを見た。


 月明かりが、カードの表面に反射している。


 花、という名前が刻まれている。


 じっちゃが、花のために作ったカードだ。


 じっちゃが、花に幸せになってほしくて、貯め続けたお金が入っているカードだ。



 花は、顔を上げた。


 目が、潤んでいた。


 でも、声は震えなかった。



「うん。明日、私を連れてってって、皆に頼んでみる」



 菊が、笑った。


 今夜一番の笑顔で、笑った。


 花の頭を、ポンポンと叩いた。


 何度も、ゆっくりと叩いた。



「じっちゃのモトラさもな、いっぺぇ思い出、見せでやってけろな。あの人な、あのモトラさどれだけ心込めでだが、花も知ってらべ? だはんでよ、花の走った道も、笑ったことも、泣いだことも、みーんな連れでって、モトラさ見せでやれ。じっちゃ、きっとどっかで喜んでらはんでな」



 花は、モトラを見た。


 月明かりの中のモトラが、さっきよりも輝いて見えた。



 じっちゃが畑まで走ったモトラ。


 エンジンが止まっていたモトラ。


 本田がキャブレターを磨いて、息を吹き返したモトラ。


 あの日、菊の涙と一緒にエンジンがかかったモトラ。


 花が初めてナンバープレートをつけたモトラ。


 花が初めて公道を走ったモトラ。


 花が初めてフェリーに乗ったモトラ。


 下北半島の海峡ラインを、先頭で走ったモトラ。



 全部、このモトラと一緒に来た。



「わかった。全部見せてあげる」



 花は、モトラに向かって呟いた。


 声に出して、言った。



 菊が隣で、また笑っていた。


 月が、二人の上に静かに輝いていた。



   *



 翌朝。


 三人が早起きをして旅立つ準備を始めた。



 花が、玄関の前に立っていた。


 三人が揃うと、深々と頭を下げた。



「私も行きます。今日中にキャンプ用品を買い揃えるので、出発を延期してください!」



 本田がすぐに言った。



「頭なんか下げなくていいんですよ、花さん。だって原付で旅してる人に急いでる人なんていないんですから」



 花が顔を上げた。


 アプリとリリーがいた。


 二人とも、すでに荷物をバイクから降ろしていた。



 アプリがリリーに言った。



「リリー、知ってるか? 青森のパチ屋は八時半から入場できる。急げ」



「え〜! 朝ごはんは?」



「そんな暇があるか。行くぞ」



 RS50とボルティが、庭を走り出した。


 あっという間に、道路に消えた。


 エンジン音が、朝の住宅街に響いて、やがて聞こえなくなった。



 本田が、プレスカブの荷物を降ろし始めた。


 一つずつ、丁寧に降ろした。


 テント。


 寝袋。


 工具袋。


 それをガレージに運んでいく。



 花は、その背中を見ていた。


 目が、潤んでいた。


 ガレージに消えていく本田の背中を見ながら、唇を噛んだ。



 横に、菊が来た。


 花の隣に、静かに立った。


 それから、小さな声で言った。



「いい友達ってのはな、いい旦那見つけるより、よっぽど難しんだど? 旦那はな、探せば出会えることもある。んだども、心から信じられる友達ってのは、そうそう巡り合えるもんでねぇんだ」



 花の目から、涙がこぼれた。


 一粒、こぼれた。


 止めようとした。


 でも、止まらなかった。



「……花は、ほんとにいい友達もったなぁ。ばっぱ、そいだげで安心だ。ありがてぇごどだよ」



 花は、声を上げて泣いた。


 ガレージに本田がいて、よかった。


 この場に誰もいなくて、よかった。


 おばあちゃんの前だから、泣けた。


 おばあちゃんだから、泣いてよかった。



 菊が、花の背中に手を当てた。


 叩かなかった。


 ただ、当てた。


 その手の温かさが、全部だった。



 花は、泣きながら庭を見た。


 モトラが、朝の光の中に停まっている。


 じっちゃのモトラが、今日も花を待っている。



 泣きながら、花は思った。


 行こう。


 じっちゃのモトラで、行こう。


 笑ったことも、泣いたことも、全部乗せて、走ろう。



 じっちゃが、きっとどこかで喜んでいる。


 菊がそう言った。


 だから、きっとそうだ。



 花は、泣きながら笑った。


 おばあちゃんの手が、背中の上にあった。


 朝の光が、モトラを照らしていた。


 その光の中に、じっちゃがいる気がした。



 いってらっしゃい、と。


 そう言って、笑っている気がした。



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