【reverse 12 函館、大盛りご法度】
函館市内に入った。
ライダーハウス、ライムライト。
十五時に着いた。
もう部屋に入れる時刻だ。
ガレージにRS50とプレスカブを入れた。
すでに連泊中のライダーが数名いた。
様々なバイクが、ガレージに並んでいる。
荷物を部屋に置いた。
シャワーを浴びた。
それから、五稜郭公園へ向かった。
前回の函館は深夜だった。
観光する暇も、余裕も、なかった。
今日は、時間がある。
リリーが待っている。
*
五稜郭公園の駐輪場に着いた。
見覚えのあるシルバーのバイクが、一台止まっていた。
ボルティだ。
タンクを見た。
kawasakiのステッカーが、堂々と貼られていた。
大きい。
遠慮がない。
「ステッカー貼ったんですね! これなら絶対バレませんよ!」
「でしょ!でしょ! これで私も立派なkawasaki乗りになれたのよ!」
「kawasaki乗りではないがな」
アプリが言った。
「良いんですよ! 私もSUZUKIってダサいメーカーよりも、漢って感じのkawasakiの方がカッコイイんですもん!」
「その発言も、僕らの仲間内ではご法度ですけどね」
本田とアプリが、同時に苦笑した。
本田は心の中で、固く誓った。
リリーを鈴菌には絶対に会わせない、と。
*
五稜郭公園の中へ入った。
堀が、ゆったりと広がっている。
緑の水面に、石垣が映っている。
木が、堀の縁に並んでいる。
ボート乗り場があった。
リリーが「乗りましょう!」と言った。
三人でボートを借りた。
アプリが一艇。
本田とリリーが一艇。
アプリが乗り込んだ。
オールを構えた。
一漕ぎした。
すいと、ボートが進んだ。
二漕ぎ。
三漕ぎ。
手慣れた動きだった。
「一周してくる」
それだけ言って、アプリは漕ぎ出した。
グイグイと、堀の奥へ進んでいく。
あっという間に、曲がり角の向こうへ消えた。
本田はオールを握った。
漕いだ。
ボートが、その場でくるりと回った。
前に進まなかった。
「あれ」
もう一度漕いだ。
また回った。
今度は逆方向に回った。
「本田くん、なんか後退してる」
「わかってます」
また漕いだ。
今度は完全に横を向いた。
堀岸に向かって、真横に進んでいた。
ボート乗り場の女将さんが、見かねて近づいてきた。
岸から竿を伸ばして、ボートを引き寄せながら、オールの持ち方から腕の使い方まで、丁寧に教えてくれた。
言われた通りにやると、ボートが前に進んだ。
「進んだ!」
「良かった良かった」
女将さんが笑った。
でも、進んだのは最初だけだった。
少し漕ぐと、また方向がずれる。
修正しようとすると、また違う方向にずれる。
五稜郭のお堀を一周するどころか、ボート乗り場の周辺を、ふらふらと漂い続けた。
しかも、疲れた。
腕だけじゃない。
背中が使われている。
腹も使われている。
全身が動いている。
五分で、肩が張ってきた。
「めちゃくちゃ疲れました! リリーさん代わってください!」
「無理だよ! 別に一周しなくても良いじゃない! こうしてプカプカ浮いてるだけでも気持ちいいもん!」
リリーが堀の水面に手を当てた。
水が、指の間をすり抜けていく。
確かに気持ちいい。
「そうですね。アプリさんを待ちましょうか。女将さんの話では、普通の人なら一周で四十五分かかるって言ってましたから、のんびり待ちましょう」
「そだね」
リリーが女将からもらった鯉の餌を取り出した。
堀の水面に撒いた。
鯉たちが、水面を割って集まってきた。
大きい鯉も、小さい鯉も、餌に向かって口をぱくぱく開けている。
「かわいい〜!!」
リリーが鯉に夢中になっている。
本田はオールの先を堀底に当てて、ボートを固定した。
流されなければいい。
それだけでいい。
空が、青い。
石垣が、水に映っている。
函館の五稜郭の堀の上で、本田はプカプカと浮いていた。
悪くなかった。
三十分ほど経った頃、水面の向こうにボートのシルエットが現れた。
アプリが戻ってきた。
「アプリさん、めちゃくちゃ速すぎませんか?」
「さすが私のヒーローよね!」
女将さんが、本田たちのボートを岸に引き寄せながら言った。
「三十分は、かなり速い方ですよ。びっくりしました」
アプリが何も言わなかった。
女将さんが続けた。
「私、二十分で一周するんですけどね」
アプリが女将さんを見た。
女将さんが笑っていた。
アプリがかなり驚いている顔をした。
本田は初めて、アプリが本気で驚く顔を見た気がした。
三人がボートを降りた。
貸し出し時間はまだ余っていたが、十分だった。
*
公園の中を、リリーの案内で歩いた。
星形の要塞の形は上から見ないとわからないが、堀の内側を歩くだけでも規模がわかる。
土塁が高い。
石垣が分厚い。
幕末に、ここで何かが起きたのだということが、この場所に立てばわかる。
公園の裏手に、小さな食堂があった。
古びた外観だ。
年季が入っている。
中道食堂と書いてある。
リリーが迷いなく入った。
席についた。
メニューを一度見て、言った。
「唐揚げ定食の小盛で」
本田が振り返った。
「小盛?」
「この店で大盛りとか、絶対に言わないでね」
本田が首をかしげた。
アプリがメニューを一度見た。
それから、言った。
「カツ丼大盛り」
つられて、本田も言ってしまった。
「オムライス大盛りで」
リリーが、少しだけ意地悪な笑顔をした。
何も言わなかった。
*
料理を待った。
最初に、リリーの唐揚げ定食が来た。
大きい皿に、大きな唐揚げが積まれていた。
これが小盛らしい。
普通の定食屋なら、これが普通盛りだ。
本田の顔が、少し引きつった。
次に、アプリのカツ丼が来た。
どんぶりが、深い。
カツが、はみ出している。
ご飯がどこにあるのか、見えない。
カツが全体を覆っていて、どんぶりの中身が想像できない。
それから、本田のオムライスが来た。
楕円形の皿が、卵で覆われた山を運んできた。
山だ。
どう見ても一人では食べきれない量だ。
「……小盛の意味が、ようやくわかりました」
アプリが無言でカツ丼を見た。
本田も無言でオムライスを見た。
覚悟を決めた。
二人で、同時に箸を取った。
食べ始めた。
旨かった。
なぜかわからないが、旨かった。
量が多すぎて途中で苦しくなりそうなのに、手が止まらなかった。
オムライスの卵が、ふんわりとしている。
中のご飯にケチャップが絡んでいる。
昔ながらの、古い食堂のオムライスだ。
こういう食べ物が、どうしてこんなに旨いのか。
本田は最後の一口を食べ終えた。
アプリも食べ終えていた。
「……ここはまた来なくてはな」
アプリが言った。
本田も頷いた。
「リリーさん、教えてくれてありがとうございます」
リリーがドヤ顔をした。
今日一番のドヤ顔だった。
*
駐輪場に戻った。
リリーが、駐車場の目の前にある二つの建物を指さした。
「あそこが美術館で、あっちが北洋資料館っていう漁業の資料館だよ。私も小学校の時に行ったことあるけど、漁船体験の機械が楽しかったなぁ」
「漁船体験?」
「小さな部屋に入って、漁船の揺れを体験できるだけなんだけどね。小学生にはそれが楽しくてね」
「やってみたい気もしますね」
「それじゃ行きましょ!」
リリーが本田とアプリの腕を引いた。
三人で北洋資料館に入った。
*
本田は、入ってすぐに圧倒された。
函館が、捕鯨の街だったことを知らなかった。
函館といえば、観光地だ。
夜景で有名な港町だ。
夜の街が美しくて、海鮮が美味くて、外国人が早くから住んでいた歴史がある。
それが、本田の知っている函館だった。
でも、この資料館の中には、そんな今の函館からは想像もつかない景色が詰まっていた。
北洋漁業で栄えた頃の函館の写真が、壁に並んでいる。
漁師たちが、大型船に乗り込んでいく写真。
市場に山積みになった魚の写真。
函館港に並ぶ漁船の写真。
街に、人が溢れている写真。
クジラの展示があった。
捕鯨の様子。
クジラの解体の方法。
函館の街とクジラの関係が、細かく説明されている。
本田はクジラを食べたことがない。
クジラが食べ物だということは知っているが、自分の生活とは結びついていなかった。
でも、この資料館の中では、クジラは函館という街の中心にある。
(きっと夕張も、栄えていた頃はこんなに人が賑わっていたんだ)
本田は展示を見ながら、思った。
街には必ず歴史がある。
今がどんな姿でも、かつてそこに人が生きていた記録がある。
廃発電所が建っている夕張も、かつては人で溢れていたはずだ。
閉まったドライブインが連なる長万部の国道も、かつてはトラックドライバーで賑わっていたはずだ。
そして、自分が育った鹿児島の街にも、そういう歴史があったはずだ。
でも、一度も見ようとしたことがなかった。
知ろうとしなかった。
部屋に籠って、天井を見ていた。
旅をしながら、街を見るようになって初めて、どこにでも歴史があることがわかった。
自分の足で立った場所に、必ず歴史がある。
それが、嬉しかった。
*
漁船体験の展示室に入った。
小さな部屋だ。
三人で入ると、ちょうどいっぱいだった。
映像が流れ始めた。
津軽海峡。
漁船の視点だ。
部屋が動いた。
横に揺れた。
縦に揺れた。
「おっ」
本田が踏ん張った。
フェリーで津軽海峡を越えた時の揺れとは、違う。
フェリーは大きいから、揺れが穏やかだった。
漁船は小さい。
波をまともに受ける。
こんなに揺れる船に乗って、魚を捌いていたのか。
「確かにこれなら小学生は喜ぶかもね」
「でしょ?」
「リリーさんはクジラを食べたことあるの?」
「函館では大晦日にそばじゃなくて、クジラ汁を食べる家が割とまだあるんだよね〜。だから函館市民ならクジラ肉を食べたことある人は多いかもね」
「アプリさんは食べたことありますか?」
「無いな」
「それなら明日の朝、食べられるところに案内しますよ!」
三人で、約束をした。
漁船体験の揺れる部屋の中で、明日の朝の約束が交わされた。
*
資料館を出た。
三台のバイクを走らせた。
今度は本田が先頭だった。
赤レンガ倉庫群が見えてきた。
Cafe CHI'sの看板が見えた。
前回は深夜だった。
今回は夕方だ。
看板に灯りがついている。
入った。
カウンターに三人で座った。
マスターが振り返った。
「お久しぶりです。北海道一周して帰ってきました」
「ずいぶんかかったね」
「バイトしながら回ってたんで……」
マスターが笑った。
コーヒーを三つ、カウンターに置いた。
マスターが話し始めた。
ヒッチハイクで日本一周をした話だ。
お金がなくて、拾ってもらった車の中で眠った話。
知らない人に食事をおごってもらった話。
北海道の国道で、トラックに拾ってもらって助かった話。
本田はコーヒーを飲みながら聞いた。
Cafe CHI'sのコーヒーは、やっぱり旨かった。
前回、深夜に飲んだ時と同じ味だ。
リリーがカップを両手で包んでいた。
マスターの話を、真剣に聞いていた。
GoProは、出していなかった。
夜になった。
三人は、Cafe CHI'sの近くにあるダイナーへ向かった。
シスコライスを頼んだ。
函館のソウルフードだという。
来た。
大きなソーセージとご飯が、一つの皿に乗っている。
その上に、ミートソースがかかっている。
「不思議な食べ物ですね」
「でしょ? でも癖になるんだよね」
食べた。
なんとなく、わかった。
これは函館の、夜の食べ物だ。
港町の、働く人たちが食べてきた味だ。
理屈じゃなくて、体が欲しがる味だ。
三人とも、最後まで食べた。
*
ライムライトに帰ってきた。
ガレージにRS50とプレスカブを入れた。
他のライダーたちのバイクが並んでいる。
アプリが言った。
「Uberとタイミーのアプリをいれておけ。青森からはもう農家バイトはほぼなくなるからな」
「Uberですか! やってみたいです! アプリさんもUber専業なんですよね?」
「あぁ、原付乗りにとって最高の仕事だぞ。本田なら必ずハマる」
「そんなに楽しいんですか!」
「あぁ、ゲームしてる感覚に陥る。俺が今暮らしている福岡の天神地区のUberは、修羅の国と言われるほど激アツの地域だ。今の本田にはまだやらせられん」
「Uberの修羅の国……天神ですか……いつかは僕も修羅の国でやってみたいです……」
「まあ、二輪でUberができる地域に入ったら、やってみろ」
「はい!」
本田はスマホを取り出した。
UberEatsとタイミーを、続けて登録した。
審査が通れば、使える。
青森に入ったら、やってみよう。
ガレージのシャッターを半分開けると、函館の夜風が入ってきた。
港の方角から、潮の匂いがした。
宿の中から、笑い声が聞こえてきた。
連泊中のライダーたちが、何かを話している。
「行くか」
アプリがガレージを出た。
本田が続いた。
ライムライトの夜が、賑やかだった。
明日はクジラを食べる。
Cafe CHI'sのコーヒーを、またいつか飲みに来る。
中道食堂には、必ずまた来る。
函館は、一日では足りない。
本田はそう思いながら、ライダーたちの輪の中に入っていった。




