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[時代]三鏡草紙よろづ奇聞  作者: 地底乃人M


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わろし空耳


 奉公人を住まわせる別棟とはいえ、渡り廊下でつながっている。安静に横たわっていると、母屋(おもや)から聞こえてくる声があり、結之丞(ゆいのじょう)の耳は、鹿島屋の人びとの会話を聞き取ってしまう。



 ──其処(そこ)のおまえさんたち。これはこれは、大奥(おおおく)さまではございませんか。本日は、どういったご用件で……。氏寺(うじでら)のお庫裡(くり)さんから、言伝(ことづて)を預かってきましたの。千幸(かずゆき)さんに、いつもの気付け薬を用意するよう、お願いね。──へい、承知しました。若旦那さまでしたら、奥の間で身仕度(みじたく)を終えたころでしょうか。ただいま、お呼びしてまいります。


 いいえ、けっこうですわ。それよりも、新右衛門(しんえもん)の姿が見えませんね。あの人は、どちらなの。──番頭なら、朝から裏の倉庫にいるかと。なぜ、お店(たな)に顔をださないの。それが、奉公人の小僧が寝込んでしまって、きょうばかりは人手が足りておらんのです。一昨日(おとつい)から始めた書類の整理が、いっこうに終わらずじまいでして……。まあ、それは大変ね。いつもお世話になっている番頭へ挨拶もなしに帰っては、気が引けるというもの。あちらが出向けないほど忙しいのであれば、わたくしが茶でも淹れて、労(ねぎら)ってあげなくては。あらまあ、ちょうどここに、上州屋(じょうしゅうや)の玉露茶がありましてよ。これを、ふるまってさしあげましょう。


 ……ああ、行っちまった。いくら大奥さまとはいえ、言伝くらいであんなに粧(めか)しこむかいね。どう見ても、番頭目当てにちがいねえや。あの手土産(てみやげ)だって、長居するための小道具にきまってらあ。莫迦(ばか)もん、下手に勘(かん)ぐるんじゃねえ。大旦那さまにしれたら、折檻(せっかん)されるぞ。大奥さまの目的なんざ、知らぬが仏ってね。それに、持参品はどれも高級で、ついでにそのおこぼれにありつけるんだ。おれたちにも楽しみがあるってもんよ。それを云っちゃあ、おしまいよ。



 古い女中や奉公人たちは、上背(うわぜい)があり男前の慈浪(じろう)新右衛門(しんえもん)国光(くにみつ)と、豊満な躰(からだ)つきをした大奥さま(大旦那の女房)とのあいだには、隠し子のひとりやふたりくらいあっても、ふしぎではないと思われていた。男女の仲を疑われる要因は、大奥さま側の妙に艶のある態度が明白であり、その気などない慈浪にとっては、論じる価値もない話であった。ただでさえ、恩のある主人を騙(だま)す行為は、打首獄門というきまりがある。きびしい躾(しつけ)をしても、一人前の奉公人として成長する者は少ない。どんな理由があろうと、不祥事(ふしょうじ)は許されないのだ。


 結之丞は、煎餅(せんべい)布団にもぐりこむと、両耳を手のひらで塞(ふさ)いだ。それでも、やけにはっきりと、歌うような調子の声が聞こえてきた。


 ──いかならむ人にもみえて、なほにくし。さがなく悪(あ)しきとて、口惜(くちお)しと思へり。さるべきにやありけむ。いと、あさまし。



〘つづく〙

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