勇者ロイシュ
自分たちの右後方へと流れていた敵軍が突如として遠ざかって行くのを目の当たりにして、王国軍左翼の先頭を走っていた勇者ロイシュは策の失敗を疑った。
「手の内を知られている?!だが、まだ終わりではない!」
策は失敗してはいない。
と、ロイシュは自分に言い聞かせた。
聖騎士アーヴァインならば、きっと持ちこたえてくれている。
自分が敵の後背について撹乱すれば、側面からリュートが合流して包囲に近い形には出来る。
この時、勇者の信任篤き聖騎士はデュラハンに毒を受けて悶絶していたのだが、ロイシュには知る由もなかった。
王国右翼軍を押し包んで飲み込まんとするモンスター軍。
その殿からフラリと現れた影に、ロイシュは馬を止めた。
異様な男だった。
戦場の只中でありながら、武器も持たず、鎧も着ない。
散歩でもするかのようなノンビリとした歩調。
浩一だ。
布陣の際には中央にいたのだが、走れない為に取り残され、またそれ故に勇者の接近に気付けたのだった。
「能力感知」
ロイシュは丸腰で現れた怪しい人物に対して、所有する先天能力や職業能力を探知する魔法を発動した。
相手は抵抗らしい抵抗もせず、素直に魔法を受け入れる。
脳裏に開示された情報を確認して、勇者は我が目を疑った。
無――――
何もなかった。
タレントも、スキルも、一切持っていない。
つまり凡人中の凡人だ。
街中で歩く一般人。
そんな「普通の人」が、戦場で、モンスター軍の中から現れる。
あまりの異常さに、歴戦の勇者は聖剣『グランマウザー』と聖盾『アクレイオス』を構えた。
「貴様、何者だ?」
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るものだと思うんだが、違うか?」
「……私はアルカーノ王国の勇者、ロイシュ・バーンだ」
「あぁ、アンタがあの。俺は遠藤浩一だ」
先刻から、ロイシュは『大概の魔物なら震え上がる程の殺気』を放っているのだが、浩一に動じた様子は見えない。
そもそも勇者を名乗る者にたいして「あぁ、あの」で終わる人間など、有り得ない。
勇者は得体の知れない怖さが徐々に湧き上がってくるのを感じていた。
「なぁ、こうまでなっちまってから言うのも何なんだが……ここらで終わらないか?」
睨み合いに耐えきれなくなった浩一の提案の意味を、ロイシュは計り兼ねた。
「何?……降伏でもするのか?」
「違う違う。帰ってくれっていうこと」
「命が惜しいなら王と王妃の前で釈明でも――――」
「そりゃこっちの台詞だよ。王族のワガママに付き合って命を落とすこたぁないだろ?」
ぶっきらぼうな浩一の喋りようは、敬意を払われるのが当然であった“勇者”の機嫌の横っ面をしたたかに引っ叩いた。
しかも、その内容は驚くべきことに『ロイシュ等が死ぬこと』を大前提として語られていた。
「この……魔物に加担する人類の面汚しめ……」
「何がそんなに気に食わないんだ?アンタ等が魔物と蔑む連中にだってマトモなやつ、話のわかるやつはいるぜ?」
「魔物は人類の敵!倒さねばならない悪だ!」
「へぇ。じゃあその『倒さねばならない悪』を奴隷にしてコキ使ってるのはどうなんだよ?」
浩一の指摘に、ロイシュは言葉に詰まった。
殲滅するべき仇敵を殺さずに飼おうという王国民の思考は、彼も疑問に思った事があった。
それを王に問いただしたことも。
「王のご判断だ。人間から奴隷を出さないための方策なのだ」
「自分の主義主張と食い違っても、王命なら従うのか。ひょっとして国民を殺せって言われても従うのか?自殺しろって言われたら死ぬのか?」
「勇者の武力は個人的な判断で行使されてよいものではないのだ!」
「ならこの出兵に反対しろよ。どう見てもこんなの王族の“個人的な判断”だぞ」
「それを決めるのは私の役目ではない!」
「……そうかよ」
浩一の目から興味の光が消えた。
とんでもない間違いを犯しているような錯覚に、勇者の全身が震える。
それを恐怖と理解する前に、浩一の口が開いた。
「悪かったな、話し掛けたりして。人間の言葉が理解できるかと期待してたんだが、どうも俺が出会ったのは自分の意志すらない単なる操り人形だったようだ」
「っ!?おのれ!天下に隠れなき勇者を操り人形だと!」
頭に血が上ったロイシュは、先程の震えを「怒りからくるもの」ないし「武者震い」と断じた。
断じることにした。
勇者たるものが一般人に恐れをなしたなど、あってはならない事態だ。
戦意と殺意で恐怖を塗り潰し、盾の裏からマジックアイテムを取り出す。
それは数個のピンポン玉のようだった。
ただし、ピンポン玉ではないということは、放り投げた空中で静止したことからも明らかだ。
――――浮遊座標
魔力を込めると任意の場所に浮遊するだけのアイテムは、ロイシュが使うことで必殺の武器と化す。
「くらえ!反跳四次元殺法!」
オリハルコンの力で自重を限りなくゼロに近付けたロイシュが、馬から跳んだ。
いや、飛んだといっても間違いとは言い切れない。
ロイシュは浮遊座標を足場に、文字通り縦横無尽に跳ね回っていた。
強く押せば容易に動く、古代魔導王国時代のインテリア用品だった浮遊座標も、オリハルコンで自重を減少させたロイシュにとっては充分な足場たり得るのだ。
この技で撹乱して、死角からの聖剣の一刀で致命傷を与えるのが、『天空の勇者』の定石だった。
浩一は動かない。
動揺もなく、辺りを見回したりもしない。
ただ、立っている。
それが、ロイシュには恐ろしかった。
なので、「相手は呆けている」ことにした。
背後から斬り掛かる。
刃が浩一の首に届く瞬間、ロイシュは浩一が動いたような気がした。
それが気のせいかどうかを確認する暇もあらばこそ。
勇者ロイシュの意識は暗黒に呑まれた。




