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視界一杯に整然と並ぶ水鏡。丸い水面に映るのは、桜色の天突く山や、虹を吹く魚が跳ねる湖畔、氷でできた城塞など様々だ。下界の様子を映すそれらの水鏡の上を、宙に浮く椅子に腰掛けたカミュ様が見守っている。私を横抱きに抱え込んで。
世界を渡っても、私は相変わらずカミュ様のお膝の上にいた。仕事を手伝うはずが、こちらに来てまだ何もしていない。只人の私に、いきなり神の仕事が出来る訳もないのだが、それにしても役立たずで申し訳ない。
「そんな事はない。其方は居るだけで役立っておる」
「毎日世界を眺めているだけなのですが」
「それで良いのだ。神は基本、見守るのが仕事だ」
世界を揺るがすような、それこそ魔王が生まれたりするような出来事がなければ、下界には干渉しないのが習わしだとカミュ様は仰る。でも、だったら何故、あんな事になっているんでしょうか?
私は水鏡の一つに目をやった。そこには神殿が映っていて、沢山の石工が新しく神の石像を彫っている。その隣の水鏡では、巨大な壁画が描かれている最中だ。その向こうの水鏡も、その横の水鏡でも、人々が嬉々として、同じモチーフを使った創作の真っ最中。
世界中で、カミュ様と私の像やら絵画やらが量産されているのだ。しかも、揃えたように皆、カミュ様が私を抱きかかえるという恥ずかしいポーズを取っている。
カミュ様は私をご自分の世界に連れてきて一番に、全世界に向けて神託を下された。私を抱きかかえたまま、映像付きで。
『此度我は、妻を娶った。これからは夫婦で世界を見守ってゆく』
おかげで全世界がお祝いムードだ。祝福してもらうのは有り難いけれど、私を祀るのは止めて欲しい。私は神ではありません、祈っても何も出ませんよ!
「其方は既に、神と同等の力を得ておるぞ」
「えっ、そうなのですか?」
「何のために我の神力を注いできたと思うておる。人の身で世界を渡るのは危険が付き纏う。我が大事な其方を危険に晒すと思うてか」
カミュ様が私の右手の花に口づけ、神力を注ぐ。私のお腹に新しい花が咲いた気配がした。思わず自分のお腹を見た私の肩口から、カミュ様が同じように、私のお腹を見つめている。
「それに、神の子を宿すには、人の身体では脆弱過ぎる。ゆえに神の花嫁の印を授け、夫となる神の神力に慣らしてゆく。その過程で花嫁にも神力が備わるのだ」
つまり、今の私は半人半神といったところか。あまり実感がないが、私にも神力が有るのなら、何かしら神の仕事をしなければ。
「だから見守るのが仕事だと言っておるだろうが。それに、我の機嫌が下界の気候に影響するのだから、其方は我と共に有るだけで良いのだ」
「ですが、何もしないと怠けているような気がして」
これまでの人生が忙しかったせいか、のんびり過ごすのが苦手なのだ。手持ち無沙汰だと、何かしなければと焦ってくる。
私には神様なんて向いていない。ちょっぴり落ち込んでいると、慰めるように私の頭を撫でながら、カミュ様が提案してくれた。
「まったく其方は生真面目だな。だったらちと早いが、我の花嫁にしか出来ぬ役目を与えようか」
「はい!何をすれば良いですか?」
「我の子を成すことに決まっておる」
即座に転移で距離を取ろうとしたが、発動しない。おかしいな、魔王城まででもひとっ飛びだったのに、この距離で失敗するなんて。
「ベアトリス、何故我から逃げるのだ」
「逃げてません」
「逃げようとしただろう。転移の呪文を頭の中で唱えて」
「また私の頭の中を覗いてたんですか?止めてくださいと言いましたよね?」
私に叱られたカミュ様が、しゅんと項垂れる。可愛い。いやいや、ここで甘い顔をしてはいけない。
「カミュ様、夫婦でもプライバシーは必要だと思います」
「だが夫婦の間に隠し事は無しだろう?我は其方の本心が知りたいのだ」
くうっ、この顔で迫られると理性が働かない。どんな理不尽なお願いでも聞いてしまいそうだ。優しいカミュ様は、そんな事絶対にしないけど。
夫婦なんだから、いずれは子どもを持つことも考えてはいる。考えてはいるが、まだ覚悟は出来ていないのだ。
「分かった。其方の覚悟が決まるまで、もう暫し待つことにしよう。なに、二千年待ったのだ。もう一年、いや数ヶ月──数日待つくらい、どうという事もない」
「随分短縮されましたね」
「正直に言えば、二千年も待ったのだから、もう一刻も待ちたくない」
カミュ様の赤い瞳が、炎のように熱を帯びて私を焦がす。最後の砦が焼け落ちるのも、時間の問題だ。
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拝啓お父様、いかがお過ごしですか。私はカミュ様に大切にして頂き、幸せに過ごしております。
こちらの世界では、私はカミュ様の妻として、神のような扱いを受けることになってしまいました。先日大神殿に巨大な私の像が建てられてしまい、恥ずかしい限りです。こっそり勇者の雷を使って像を壊そうとしたのですが、カミュ様に阻止されてしまいました。
初めてカミュ様に怒られて、私は今毎晩お仕置きをされております。近いうちに子どもが出来そうなので、産まれたら一度里帰りしますね。
そちらの世界は、新しく来られた神様のおかげで平和だと聞きましたが、お父様は変わらず忙しくされているのでしょう。どうか孫を見るまでご健勝で、つつがなくお過ごしください。
大好きなお父様へ、ベアトリスより
本編はこれで完結です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
いずれ気が向いたら後日談を書くかもしれませんが、予定は未定です。