Catch240 2つの名前
境界線上に位置する難しさ。
以前『Catch216 韓』で書いた事ですが、朝鮮半島に有る2つの国は、それぞれ「朝鮮」「韓」と別の国号を称しています。ややこしい事にどちらが正しい/間違っているではなく「どっちも正しい」から問題が複雑になります。
歴史的にみてもそれぞれに正統性がある名称で、現在の体制が何故その国号を選んだのかにもそれなりに根拠があるのです。
それならどちらでもない第3の選択肢「高麗」にでもすれば統一の呼称としてはしがらみが無くていいのかも、という案も提示しておきました。英語のKoreaも高麗が語源ですし。
韓と朝鮮の正統性が両立してしまったのは、何より南北の国の勢力が相手を圧倒出来ない拮抗状態にあるからですが、『韓』でご紹介した通り近代日本の戦略に否応なく巻き込まれたというもう1つの原因がありました。
近代日本が支配的に関わった地域でもう1つ同様の名称問題を抱えている所があります。沖縄です。
よく知られている通り沖縄は明治日本に併合されるまで琉球王国として別の国でした。江戸時代の初めに薩摩の島津家の侵攻を受けて事実上薩摩藩の属国 (“日本の属国”ではない所がポイント)となっていたにせよです。
日本本土が室町時代だった頃に統一されて王国が成立するまでは「琉球」と「沖縄」は併用状態だったようです。実際ヤマト側に残る記録ではかなり早い段階 (奈良時代)で既に「掖玖」「阿児奈波」と両方のルーツに当たる表記が見えます。
掖玖は今でも屋久島に痕跡を残していますが、中国の王朝がこれの表記間違いして「琉玖 (球)」になったのかなぁなどと考えています。隋の歴史を記した歴史書の「隋書」で既に「流求」と表記されているそうなので、「リュ-キュー」という音はもうあったらしいですけど。
屋久島や奄美を含む島々はトカラ列島といいますが、奈良時代の律令体制の下で大隅半島を含めてほんの一時期だけですが「唱更国」と日本の行政に組み込まれていたくらい曖昧な境界線の地域でした。ここには沖縄本島は含まれていません。
続日本紀に出てくる「度感」もトカラの事だと推定されています。逆に琉球王国の勢力が強まった時には奄美などトカラの大部分は琉球の支配下にありました。
琉球王国が明治日本に併合されて最初に割り振られた行政区分の名称は「鹿児島県」でした(1871)。これは台湾に漂着した琉球の漁師たちが原住民に殺害された事件で琉球が日本の主権下にある事を前提に台湾の持ち主である中国 (当時は清帝国)に賠償を求める為の措置でした。
翌年1872年には「琉球藩」を設置して国王を藩王に任命し大日本帝国の貴族(華族)に組み入れ、更に1879年には本土並みに「沖縄県」と改組しました。
名前の変遷だけ見ると、韓国・朝鮮問題にとても良く似ています。いずれも元から存在していた名称で、日本の影響力が強い物のまだ日本とは別の独自の存在である時期は「最後の名称」(韓や琉球)を維持し、完全に日本の支配下に入ってからもう1つの名前 (朝鮮や沖縄)に切り換えている辺りがそっくりです。
朝鮮は日本の支配から脱した後、既述のように南北で別の国号を選んで今に至ります。
沖縄の方は第二次世界大戦で日本帝国が負けた後、1972年までアメリカの統治下に置かれました。アメリカの民政府の下で「琉球政府」という行政府を持ちますが、これはアメリカ軍がやりたい放題の凄まじい統治体制で、アメリカ人がひき逃げや強盗・強姦事件を起こしても処罰する事が出来ないとんでもない代物でした。
アメリカ側の責任者が「琉球に民主主義は存在しない(だから殺されたくらいで一々騒ぐな)」と暴言を吐く始末です。
主権を奪われているからこんな事になる、主権回復の為に日本へ返還して貰おうと起こったのが「祖国復帰運動」で、その時運動に加わった人たちが掲げた名前が「沖縄県」でした。主権国家ではなくなったのが400年前で、傀儡としても存在できなくなったのが150年前ですから、相手を圧倒する独自の名称としては「琉球」も「沖縄」も決定力に欠けます。
特に「沖縄」の方は国号として使われた事がありませんから、朝鮮半島における「韓」と「朝鮮」のような重い問題に発展せずに済んでいるのかも知れません。
日本は東京に首都を置いてしまった為に沖縄を含む南西諸島の事はどうしても僻地扱いしがちですが、地政学的に見れば東アジアの最重要地域と言える島々でしょう。
この地域に野心満々の中国あたりに「日本の下で不利益を押し付けられているより独立しちゃえば?」なんて恐ろしい工作をされる前にもっと扱いを丁寧に変えるべきだと思っています。
書くことを考えただけで憂鬱になってくる在日米軍の犯罪については次回に書く事にしましょう。はぁ~、気が重い…。