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蜘蛛の塔  作者: シュリ
Solitude
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第九話 神の子

 これから何をされるのだろう。泣きそうになりながら少女は蜘蛛たちを見下ろしていた。

 巨大な蜘蛛が振り返り何か仕草をする。蜘蛛たちの一部が動き出し、石壁に開いた穴へ流れ込んでいった。

 やがて蜘蛛の行列が再び姿を現した。その先頭に見えた光景に少女は思わず息を呑む。

 ひっくりかえった黒い蜘蛛の身体が運ばれてくる。金色の蜘蛛の行列は磔にされた少女の足下で止まり、黒い蜘蛛の身体を放り投げた。それは紛れもなく、自分を世話してくれた蜘蛛だった。ぴくりぴくりと弱々しく脚を震わせている。よほど痛めつけられているのに違いなかった。少女の頭の中で、金色の蜘蛛たちに傷つけられる黒蜘蛛の姿が浮かび、胸が張り裂けそうに痛む。

「どうして――どうして……」

 喉の奥から絞り出した声はひどく震えていた。涙がぼろぼろと流れ落ち、唇はわなわなと痙攣している。怒りとも悲しみともつかない、怒濤のような心のうねりが押し寄せていて、胸の内が爆発しそうだった。

「だれか、助けて、おねがい、どうか――」

 巨大な蜘蛛から金色の糸がほとばしり、少女の口を塞いだ。うめき声をあげながら必死で身をよじろうとするが、背に張り付いた網がわずかばかりに揺れるだけだった。

 蜘蛛の巨大な触肢が蠢き、また何事か合図した。小さな蜘蛛たちが一斉にうぞうぞと動き出す。少女の足下に転がる黒い蜘蛛へ覆い被さっていく。

 糸を巻き付け引きちぎろうとする者。大口を開けて噛みつこうとする者。蜘蛛たちが次々に押し寄せ、黒い蜘蛛の瀕死の身体を傷つけようとする。頼りない小さな命の灯火を消し去ろうとする。

 やめて、おねがい! 塞がれた口からうなり声をあげて必死に威嚇しようとするが、くぐもった呻きがむなしく響くだけだった。 

 絶望、という言葉が頭をよぎる。これまで何度も味わってきたが、その度に黒い蜘蛛が絶望の淵から掬い上げてくれた。今度はわたしが、わたしが救ってあげたい。あなたを助け出して、わたしを食べてもらいたい。

 歯を食いしばり、あらんかぎりの力を込める。土の壁を壊そうとした時の何倍もの力を溜め、身体の自由を阻む糸に意識を集中させる。

 ぶつん、と頭の中で音がした。あまりに大きな音だったので頭の中の何かが壊れたのかと思った。しかし痛みはない。全身が痺れるような感覚に覆われる。

 次の瞬間、少女は石の床に倒れこんだ。ほどけた金色の糸がぱらぱらと落ち、しゅうしゅうと音を立てて朽ちていく。

 蜘蛛たちが一斉に動きを止める。朽ちていく糸と少女とを呆然と見つめている。

「そこを……そこを、どいて、ください」

 床に手をつき起き上がりながら、少女は語気を強めた。

 巨大な蜘蛛が口をがばりと開く。まるで黄金の濁流のような糸の塊が吐き出される。猛烈な勢いで少女を呑み込まんと迫りくる。しかし、それは少女に触れる直前ではじけ飛ぶように霧散した。

「どいて、くださいと、言っているんです!」

 それは叫びだった。

 人間の言葉は蜘蛛に通じない。しかし、彼女の並々ならぬ怒気を感じ取ったのか、蜘蛛たちはおずおずと身体を避けた。

床に転がる黒い蜘蛛の身体に近づき、そっと膝をつく。両手で掬い上げ、目の前にそびえ立つ巨大な金色の蜘蛛を睨みつけた。

 巨大な蜘蛛は身動き一つしなかった。ひどく戸惑っているように見える。

 少女は手のひらにのせた黒い蜘蛛の状態を確かめた。ふさふさと身体を覆っていた黒い毛が無残にも毟られ抜け落ちている。細い脚は変な方向へ折れ曲がりあちこちを向いている。呼吸は、鼓動は。確認しようにも、人間と違う体のことはわからない。

 傷つけないように気をつけながら、蜘蛛の身体の上に指先を滑らせる。ゆっくり這わせていくと、腹部の背に、ほんのわずかだが揺れを感じた。ことこととかすかな振動がある。心臓がそこにあるかはわからないが、体の一部が確かに動いているのだ。 

 突き上げるような喜びが胸を貫いた。蜘蛛が生きている。熱い涙が頬を伝い落ちていく。

「……よかった」

 安堵のため息が漏れる。

 少女は自分の白い手首をむき出しにした。青白く浮き出た血管にそっと唇をつけ、ためらいも無く思い切り歯を立てた。

 ぷつりと血が湧き出す。流れ落ちる真っ赤な雫を黒蜘蛛の口へ落とした。ぽたり、ぽたり、血は口の中へ吸い込まれていく。少女は目を細め、微笑みをたたえて、その様を見つめていた。


 ――なんということだ。

 最長老は目の前に広がる光景を信じられない思いで見つめていた。

 真っ白な人間が自らの血を黒蜘蛛に分け与えている。涙しながら、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて。その様は、前の代の最長老から語り継がれていた、白亜の神の姿そのものだった。

 怒り狂っていた雌蜘蛛たちはその光景の前に呆然と立ち尽くしている。それもそのはずだった。人間は金蜘蛛たちのような魔力を持たない。それなのに、この少女は金の糸を破り、二度も消し去ったのだ。その時、一瞬だが膨大な魔力が迸ったのを確かに感じた。

 神の伝説については昔から蜘蛛たちに言い伝えているが、今こそ、すべてを話すべき時かもしれない。

 最長老は蜘蛛たちの注目を集めた。激しい怒りから冷めた雌蜘蛛たちも、それを取り押さえようとする兵たちも皆、どこか呆然としながらこちらを注目した。

 口を開く前に、石床にひざまづく少女の姿を再度一瞥した。わずかだが、少女の手のひらの上で黒蜘蛛の命の灯火を感じられる。彼にも聞こえるように、最長老は口を開いた。


 ――その者は神の子、神の生まれ変わりである。人間からは、魔女と呼ばれている。

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