第十話 魔女
魔女、と人間が恐れた女がいた。長い髪も肌も目も、身体の全てが白亜に染まっており、神秘的で、見る者によっては不気味な姿をしている女だった。彼女がいつからそこに存在していたのか、誰から生まれてどこから来たのか、ついぞ知る者はいなかった。
魔女は古くからこの地に棲み、丘に自らの住処である屋敷を持ち、分厚い森に囲まれて生活していた。たまに丘から降りてきて、町の出店で果物や野菜を買っていった。逆らっては何をされるかわからないと人々は震え上がっていたが、彼女は対価を支払い他には何も要求せずに帰っていくのだった。
当時、この辺り一帯は二つの地域に分断されていた。それぞれ別の領主によって統治され、川の水や田畑などの資源を巡って度々争いが起きていた。魔女はどちらにも加担することなく、むしろ何の興味も持っていないかのようにひっそりと暮らしていた。
しかし、ついにある時、一人の男が魔女の館を訪れた。暗い森を抜けてたどり着いた度胸を褒め、魔女は尋ねる。何を求めているのかと。
男は領主だった。分断されていた地域の西側は劣勢にあり、このままではまた水資源を横取りされてしまう。どうか、救って欲しい。男は頭を下げた。
魔女はしばし考え、そして、白く長い指先を男に向けた。
「私の力を借りて、自らの欲を満たすなら、それ相応の対価を頂戴」
対価とは、命。別の地域に住む者たちを傷つけ、自らが従える者たちを満たす、その欲を叶えるために必要な対価である。男は承諾した。戦いの後、妻と一人息子を魔女に差し出す契約が交わされた。
戦いは西側の勝利に終わり、男は東西を統治する領主となった。
贄である彼の妻子を魔女は待ち構えていたが、とうとう現れることは無かった。しびれを切らした魔女は丘を降り、森を抜けて人間の地へ降り立った。
男に命じられた兵たちによって魔女は捕らえられた。どうやら初めから計画されていたようである。刃をつきつけられた魔女は、焦点の定まらない真っ白な瞳を怒りで滾らせながら、裏切った男を睨みつけた。
「私に手を下した者は、一族共々呪われることになるぞ」
元々恐れられていた魔女の言葉である。男も流石に躊躇し、結局は殺さなかった。その代わり、暗い森の地中を深く深く掘り、その中に魔女を突き落とした。穴は、魔女が這い出て来られないよう、頑丈な石の壁で覆っていた。石は東側の鉱山で偶然発見された、未知の鉱石を加工して作られていた。そのあまりの硬さ故、牢屋の壁に丁度良いと判断されたのだが、後に魔女の力を遮断する力を秘めていることが明らかになった。魔女が脱出しようと力ぶつけた時、その全てを跳ね返したのである。
こうして地下に閉じ込められた魔女は、直接手を下されること無くじわじわと飢え死にさせられていった。魔女の力に魅せられ訪れる人間がいないよう、この処遇は秘密裏に行われた。魔女をどこへ閉じ込めたのかを尋ねられたら、男はこう答えた。『塔』に捕らえている、と。
『塔』と名付けたのは男の妻だった。とても長く続く石の穴。落とされた魔女からしてみればまるで高い塔のようだと。その言葉から男は『塔』の名を口にしていた。
***
『魔女は残虐かつ狡猾な性格で、人々の弱みにつけ込み、その大切なものを奪う。人々を惑わし恐怖に陥れる魔女の命をいつか絶たねばならないと、領主は立ち上がった。彼は自らの家族を危険に晒しながらも、無事に魔女を封印せしめたのである』
屋敷の地下書庫。領主の妻は再び足を運び、書物を手にしていた。夫の言葉を聞いてもなお、不安はぬぐい去れなかったのだ。『塔』に閉じ込めたあの娘が、何らかの形で魔女と結託し、家族や人間に牙を剥く日が訪れるのではないかと怖れているのである。
屋敷に伝わる最大の宝と言われているこの書庫でさえ、魔女にまつわる書物は少ない。土地併合をふまえた歴史書、伝承を扱った神話・民話集。散々引っかき回して探した結果、発見できたのはこの二冊のみである。しかも発刊の日付はここ数年以内のものであり、古くから伝えられているものではないようだ。これらの記述からは、魔女の特異な見た目と恐ろしい性格、元々この屋敷を所持していたこと、そして、当時の領主をそそのかして戦争を起こさせ、その妻と子供を奪おうとしたことがわかる。しかし封印された後どうなったのか、肝心なことが書かれていない。
彼女の頭の中にはぞっとするような想像が膨れあがっていた。
かつて自分が産み落とした忌まわしい異形の娘。伝承の魔女そのものの姿をした娘が本当に恐ろしい力を秘めているとしたら。
『塔』の中の魔女の死体が娘の呪いによって息を吹き返し、今まさに復讐せんと企てている――その様を想像して息が止まりそうになった。本を握ったまま反射的に階段を駆け上り、扉の内側から耳をそばだてる。何も騒ぎが起きていないのを知って胸をなで下ろした。
夫があの娘を『塔』に閉じ込めて以来、その生死も含めて見ないふりをしてきたことが悔やまれる。今、『塔』の中はどうなっているのだろう。おとなしく命を落としてくれていればいいのだが、どうにも胸騒ぎがしてしまう。
あの夜見た夢は、それほどまでに鮮明に、生々しく胸に残っているのだ。
***
――『塔』の中でも、神は諦めなかった。
最長老は更に続けた。
閉じ込められた魔女は、地中深くで膝を抱えてじっとしていた。動かず、睡眠をとらず、ひたすら魔力を蓄え続けた。その気配を感じてか、それとも元から魔女自身が畏れられていたのか、森の獣たちは襲いかかる事もなく『塔』に侵入してくることもなかった。静寂に包まれたまま、彼女はひたすら力を溜め続けた。
三つの季節が過ぎ、魔女は倒れた。脱力したように手足を投げ出し、全ての力を解放する。溜まりに溜まった彼女の力は散り散りになって森中に放たれた。
魔女の力に反応を見せたのは森に棲む獣や虫たちだった。彼らは魔力に呼応するように、次々に塔の中へ侵入していった。骨と皮ばかりにやせ細った人型の姿を認めた彼らは、それを餌とは思わなかった。むしろ、彼女の周りで膝を折り、一斉に頭を垂れたのである。
魔女は解き放った力を呼び戻し、集まった者たちに分け与えていった。魔力を得た生き物たちの身体は金色に染まり、それぞれ特徴的な能力を得た。彼らは嬉々として森から飛び出そうとした。
しかしその思惑は外れた。この事態を予想していたのか、ただ未知の魔女に対する警戒からなのか、森の周囲は人間の特別な鉱石で囲われており、魔力を得た生き物たちは近づくこともできなかったのだ。彼らは森を出ようとしても、出口が見えずにぐるぐると彷徨い続けるのである。
魔女によって力を得た生き物たちの中で、蜘蛛と鴉の能力は他より抜きんでていた。特に、蜘蛛は力を得たことでその生態をがらりと変えた。これまでこちらを狩る側だった蛇は蜘蛛の餌となり果てた。蛇自身も金の蛇に生まれ変わっていたのだが、蜘蛛の得た能力は彼らを凌駕し、食料とすることができたのである。
蜘蛛は、力を与えてくれた魔女に感謝し、神として崇めた。
鴉は鉱石の力の及ばぬ空を自由に駆けられた。その上、新しく得た能力で何にでも擬態することができたので、神である魔女の使いとして、森や人間の地の様子を監視する命が与えられたのである。
――魔女は、肩身狭く生きていた我々蜘蛛を森の覇者として生まれ変わらせた、神なのだ。そして、そこの白き人間は神の子、神の生まれ変わりなのである。
最長老が締めくくる。
静まりかえった塔の外で、鴉の鳴き声が響いていた。





